言語の拡張(理解・言語)の投稿

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PPL++は理解・言語の本質、認識の様式をうまく利用しています。 その最初の説明として、先日、 理解・言語についての記事を投稿しました。 技術範囲としては多色ハイライトが関係しています。自然な単位と、改行アライメントは今回は出てきません、もう少し後で出てきます。 テキストトランスフォーマーのリリース(アップデート)に合わせて記載しました。 こんなの本当に読みやすくなるの?という人、特に理屈が好きな人は読んでみてほしいです。 理解・言語の本質から見て正統なアプローチをテキストトランスフォーマー(多色ハイライト)が採っていると分かるはずです(※)。

駄文

内容はそちらで読んでもらうとして題材として、 以下のような文章を素の状態で読めますか、という問題が出てきます (私は読めませんw)。


平政道は、平安時代中期の武将でした。彼は家督を継いだ後、数多くの戦闘に参加し、その武勇で知られていました。しかし、政道は比較的若い年齢で亡くなり、幼い息子の政長を残しました。政長は父の死後、家督を継ぐことになりましたが、まだ幼かったため、権力争いが勃発しました。

政長の叔父である政信は、政長の後見人として実権を握る立場にありましたが、自らの家督継承を目指すようになり、政長との間で激しい家督争いを繰り広げました。政信は、政道の弟であり、家督を巡る争いの中で、自らの正統性を主張しました。この争いにより、平家は二分され、内紛が激化しました。

一方で、政長の弟である政時は、幼い頃から叔父の政信のもとで育てられ、政信に忠誠を誓っていました。政信の家督継承を支持していた政時ですが、政長の死後に成人し、自らの権力を確立するために政信と対立するようになりました。

この家督争いにおいて、源氏の武将である源道政は、当初は政信を支持する立場を取っていました。しかし、政信が政長を支持する勢力と対立する中で、道政は次第に政長側に加担することを決意しました。道政は政長を支援し、内紛を利用して源氏の勢力を拡大しようとしました。

争いの最中、政長は若くして死去しました。この時点で政時は成人しており、今度は政信と対立することとなりました。政時は政信との争いの中で道政の支援を受け、政信を圧倒する立場に立ちました。

道政はこの機会に乗じて源氏の勢力を拡大し、平家の権力を奪取することに成功しました。こうして、平政道の死後に始まった家督争いは、平家の衰退と源氏の台頭を象徴する出来事となり、平安時代中期における歴史の一ページとして刻まれることになりました。



歴史の教科書とかでよく出てきがちな文章だと思います。 政◯とか、◯信とか。どんだけ似たような名前出てくんのよって。 そしていつも家族間で争っている。 平安時代に関わらず、その後の時代でもこういうのが出てきて既視感ありますよね。 洋の東西を問わず。後世の人間がいちいち取り上げる必要があるのはだるくないですか? 学生はもう良いから、歴史を専門で学ぶ人だけでいいんじゃないの?とか。 テストで出すのはやめようよ、とか。 当時、あまり歴史が好きでなかった人間としてはボヤきたくなります(歴史好きな人にはすいませんが正直ベースです※)。 しかし、こういう読みづらい文章もテキストトランスフォーマーを使えば、、です。

※追記:勢いで上のように書きましたが、自分と関係のある歴史は好きだったりします。 例えば私は名古屋市民なので名古屋市と関連するもの、特に星崎・笠寺エリアに関するものは知りたいです。 「他人事」ではなく「自分事」、というのがポイントでしょうか。教養がつくと「自分事」になる確率が増えるんでしょうね。 私の祖父も近隣の歴史について晩年に興味を持っていたのを憶えていますが、 自分もそこまでの歳は食ってませんが以前と比べて周辺について調べるようになりました。一度外(長野市)に出た、のもありますが(郷土愛)。 実は最近、日本語学習のボランティア教室にも先生側で参加していて、外国人の方と接することが多くなりました。 以前であれば、例えばタガログ語(フィリピン語)について学ぶきっかけはなかったですが、 きっかけだけでなく、今は学習時にその生徒の人が思い浮かんで学習効率が上がっているんだろうなと実感しています。 次に会った時に何を話そうかな、何を聴こうかな、といった具合に。幅広い教養を身に着けていきたいものです。

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(※) 私も開発を続けていて、本当にこれが正解ルートなのか、バッドエンドルートじゃないか、と何度も思いましたが、 今はトゥルーエンドルートだと確信しています。実際にはもう少し過激に考えていて、 以下は普段の普通の文章についてではないと最初に明言しておきますが、 難解な文章、つまり正確性を重視する文脈で、 そこにテキストトランスフォーマーを適用した際に微妙な感じになるのは、 文章側が悪い、と思うことにしました。これは自分のソフトを依怙贔屓しているわけではなく、 上の理解・言語の本質からしておかしいということです。 私はこの開発を続けていて、非常にたくさんの文章を読んでいますが上の傾向はあると実感しています。