「南米のパリ」の名で親しまれ[7][8]、南米の中で美しい町の1つとして数えられる。
ラ・プラタ川(Río de la Plata スペイン語で「銀の川」の意)に面しており、対岸はウルグアイのコロニア・デル・サクラメント。
意味はスペイン語で「buenos(良い)aires(空気、風)」の意。船乗りの望む「順風」が街の名前になったものである。
独立当時は「偉大な田舎」と呼ばれる人口5万人程の小さな町だったが、サルミエント (Sarmiento) 政権による欧州化、文明化政策の実施以降数多くの移民がイタリア・スペインなどから渡来し、中南米の中でも最も欧州的な街になった。
かつて南米随一の豊かさを誇ったアルゼンチンの首都として、20世紀において長らくブエノスアイレスは南米最大級の都市であった[9]。1970年代以降のアルゼンチン経済の悪化に伴い、南米最大の都市はブラジルのサンパウロに移ってしまったものの、現在でもブエノスアイレスはスペイン語圏の都市として重要性を保ち、アメリカのシンクタンクが2019年に発表した世界都市ランキングでは24位に評価され、南米の都市の中で首位であった[10]。
かの有名なアルゼンチン・タンゴはこの街のボカ地区で育った。また、サッカーが盛んなことでも有名で、ディエゴ・マラドーナが在籍したボカ・ジュニアーズやCAリーベル・プレートなど名門チームを数多く擁する。
市民はポルテーニョ(porteño, 女性はポルテーニャporteña; 港の人、浜っ子の意)と呼ばれる[11]。
1516年にスペイン王の命により新大陸の探検をしていた、スペイン人航海者 フアン・ディアス・デ・ソリスは、ラ・プラタ川に到達した。ソリスは今日のラ・プラタ地域に到達した最初のヨーロッパ人だと思われるが、今日のウルグアイ領で、先住民のチャルーア族により殺害される。
