現代において「みかん」は、通常ウンシュウミカンを指す[4][5]:21。和名ウンシュウミカンの名称は、温州(三国志演義中などで蜜柑の産地とされる中国浙江省の温州市)から入った種子を日本で蒔いてできた品種であるとの俗説があることに由来するが、本種の原産地は日本の薩摩地方(現在の鹿児島県)の長島であると考えられており、温州から伝来したというわけではない。ウンシュウミカンの名は江戸時代の後半に名付けられた[7]が、九州では古くは仲島ミカンと呼ばれていた。2010年代に行われた遺伝研究により、母系種は小ミカン、父系種はクネンボと明らかになっている[7][8]。
「みかん」が専らウンシュウミカンを指すようになったのは明治以後である[4]。江戸時代には種無しであることから不吉として広まらず、普及していたのは本種より小型の種がある小ミカン(紀州蜜柑)Citrus kinokuniであり[5]:21、「みかん」を代表していたのは小ミカンであった[4]。
「蜜柑」「みかん」について
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「みかん」は蜜のように甘い柑橘の意で、漢字では「蜜柑」「蜜橘」「樒柑」などと表記された[4]。
史料上「蜜柑」という言葉の初出は、室町時代の1418年(応永26年)に記された伏見宮貞成親王(後崇光院)の日記『看聞日記』で、室町殿(足利義持)や仙洞(後小松上皇)へ「蜜柑」(小ミカンと考えられる)が贈られている[4]。1540年ごろと年次が推定される、伊予国大三島の大山祇神社大祝三島氏が献上した果物に対する領主河野通直の礼状が2通が残されているが、一通には「みつかん」、もう一通には「みかん」と記されており、「みつかん」から「みかん」への発音の過渡期と考えられている[4]。
江戸時代には甘い柑橘類の種類も増え、「橘」と書いて「みかん」を意味するケースや、柑子(コウジ)の甘いものを蜜柑(みつかん)と呼ぶケース、「柑類」で「みかん類」を意味するケースなど、名称に混乱が見られるようになった[9]。
「温州」について
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南宋の韓彦直が1178年に記した柑橘類の専門書『橘録』には、柑橘は各地で産出されるが「みな温州のものの上と為すに如かざるなり」と記している[4]。日本でも『和漢三才図会』(1712年)に「温州橘は蜜柑である。温州とは浙江の南にあって柑橘の産地である」とあり、岡村尚謙『桂園橘譜』(1848年)も「温州橘」の美味は「蜜柑に優れる」と記す[4]。温州は上質で甘い柑橘の産地と認識されていた[4]。古典に通じた人物が、甘みに優れた本種に「温州」と名付けたという推測は成り立つ[4]が、確証といえるものはない。
『和漢三才図会』(1712年)には「蜜柑」の品種として「紅蜜柑」「夏蜜柑」「温州橘」「無核蜜柑」「唐蜜柑」の5品種を挙げている[5]:25。「温州橘」「無核蜜柑」は今日のウンシュウミカンの可能性があるが、ここで触れられている「温州橘」は特徴として「皮厚実絶酸芳芬」と書かれており、同一種か断定は難しい[5]:25。「雲州蜜柑」という表記も見られ[5]:21、19世紀半ば以降成立の『増訂豆州志稿』には「雲州蜜柑ト称スル者、味殊ニ美ナリ」とあって、これは今日のウンシュウミカンとみられる[5]:25。
1874年(明治7年)より全国規模の生産統計が取られるようになった(『明治7年府県物産表』)[5]:27。当初は、地域ごとに様々であった柑橘類の名称を統一しないまま統計がとられたが、名称を統一する過程で、小蜜柑などと呼ばれていた種が「普通蜜柑」、李夫人などと呼ばれていた種が「温州蜜柑」となったという[4]。明治中期以降、温州蜜柑が全国的に普及し、他の柑橘類に卓越するようになる[5]:29。安部熊之輔『日本の蜜柑』(1904年)は、蜜柑の種類として「紀州蜜柑」「温州蜜柑」「柑子蜜柑」の3種類が挙げられている[5]:33。
英語表現
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英語で本種は satsuma mandarin と呼ばれる[4]。欧米では「Satsuma」「Mikan」などの名称が一般的である。
"satsuma" という名称は、1876年(明治9年)、本種が鹿児島県薩摩地方からアメリカ合衆国フロリダに導入されたことによる[4]。なお、その後愛知県尾張地方の種苗産地からアメリカに本種が渡り、それらは "Owari satsuma" という名称で呼ばれるようにもなった[4]。
タンジェリン (Tangerine)・マンダリンオレンジ (Mandarin orange) (学名は共にCitrus reticulata)と近縁であり、そこから派生した栽培種である。
また、皮を剥くのにナイフを必要とせずテレビを観ながらでも食べられるため、アメリカ・カナダ・オーストラリアなどでは「TV orange(テレビオレンジ)」とも呼ばれている[10]。