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皇居 - Wikipedia

皇居こうきょImperial Palace天皇その皇族皇室平常居所現在日本東京千代田千代田所在する[1]

皇居
The Imperial Palace
Kokyo0057.jpg
皇居正門石橋
分類 宮殿御所宮内庁宮中殿など皇室関連施設収容
所在地
面積 宮内庁管理部分
1.15km2
面積 皇居外苑
2.30km2
前身 江戸城宮城皇居旧称
現況 皇居
事務所 宮内庁管理
事務所所在地 東京千代田千代田11
公式サイト 皇居宮内庁
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古く宮城きゅうじょう公称こうじょう皇宮こうぐうなど称せられ世界大戦皇居呼称広く用いられるようなっ

概要編集

以前宮城公称世界大戦廃止現在特別史跡江戸一帯指し皇居呼んいる公式英語表記The Imperial Palaceある天皇平常住居ある御所各種公的行事政務ある宮殿宮内庁庁舎などある

平安京遷都79413から東京奠都1869明治2まで京都あり御所ごしょ[注釈 1]禁中きんゅう禁裏きん内裏だいなど呼ば現在京都御所京都上京もと内裏として用いられ後述#皇居歴史参照南北時代以後正式御所なっもの明治維新東京行幸伴い留守なり使わなくなっ荒廃御所様子嘆い明治天皇指示により隣接する京都仙洞御所京都大宮御所とともに保存なお行幸首都機能東京移っ明確遷都法令発せられなかっので京都御所現在皇居みなす向きある詳細東京奠都参照しかし明治以降京都御所近代居住機能付加れることなく平安時代様式伝える最高格式紫宸殿正殿日常生活ある御殿など保存文化財なっいる

皇居呼び名史料古典文学登場するもの現在使わない表現含める様々ある内裏御所大内おおうち大内山九重ここ宮中きゅうちゅ禁中きんゅう禁裏百敷もしきむらさ皇宮こうぐうこうじょう宮城大宮雲の上雲居など非常多い

現在皇居編集

明治以降皇居幕末まで徳川将軍家居城江戸城跡ある江戸城内郭内堀本丸二の丸三の丸西の丸ほか西寄りの部分吹上呼ばれる庭園あっ吹上かつて屋敷あっ大火16573以降除けとして建物建てられないようなっ

皇室関連施設うち宮殿宮内庁庁舎など西の丸位置する天皇住まいある御所江戸城吹上現在吹上御苑建てられいる西の丸吹上御苑道灌という隔てられいる[注釈 2]城郭として江戸城本丸二の丸三の丸および西の丸部分のみ言い道灌西側ある庭園部分厳密江戸城含まないので御所城郭として江戸城跡建っいるわけない[出典]皇居呼ばれる区域西の丸地区吹上御苑皇居御苑からなる宮内庁管理用地区域指す場合[2][3]この区域環境省管轄皇居外苑加え区域指す場合ある[4]

皇居東京代表観光名所あり人工衛星パノラマ画像プログラムGoogle Earth世界ランドマーク一つとして登録いる江戸城本丸二の丸三の丸一部分皇居御苑として1968昭和43101以降一般公開いる[5]皇居制限エリア一般人訪問できる機会として皇居一般参観ほか毎年12天皇誕生日行われる一般参賀ごろ4初旬紅葉見頃12初旬行われる通り通り抜けなどある[6]また皇居周囲取り囲む12から成る皇居外周地区歩道都心ありながら豊か場所ありジョギング皇居ラン散策として親しまいる[7]

皇居宮内庁管理部分住居表示東京千代田千代田11郵便番号100-0001[1]居住なく登録できる本籍として人気高い住所なっいるまた国有財産として皇居価値21464487なっいる財務省資料基づく20095時点[8]

宮殿編集

宮殿宮殿
Chowaden Reception Hall, Imperial Palace Tokyo, 2017.jpg
宮殿から長和殿
皇居の位置(東京都区部内)
皇居
情報
用途 国事行為皇室行事外国元首歓迎行事
設計 吉村順三
施工 宮殿造営工事共同企業
建築 宮内庁
事業主体 宮内庁臨時皇居造営
管理運営 宮内庁管理
宮殿管理
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート
地下駐車及び設備管制鉄筋コンクリート
敷地面積 64,640 m²
建築面積 15,643 m²
面積 35,789.89 m²
階数 地上2地下1
20.19m
戸数 7正殿豊明殿長和殿千鳥千草御座所御座所
駐車台数 大型乗用車120地下駐車
着工 1964昭和396
竣工 1968昭和431114
開館開所 1969昭和444
所在地 100-0001
東京千代田千代田1
座標 北緯354057 東経1394510 / 北緯35.68250 東経139.75278 / 35.68250; 139.75278 (宮殿宮殿)座標: 北緯354057 東経1394510 / 北緯35.68250 東経139.75278 / 35.68250; 139.75278 (宮殿宮殿)
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宮殿きゅうでん天皇国事行為皇室行事など儀式行う施設明治宮殿跡地皇居西の丸地区建設1969昭和444から使用いる焼失明治宮殿に対して宮殿しんきゅうでん称する

鉄骨鉄筋コンクリート地上2地下1宮殿施設面積35,789.89平方メートル基本設計吉村順三正殿せいでん豊明殿ほうめいでんれんすい長和殿ちょうでん千草千鳥御座所御座所7からなりこれら建物面し中庭ちゅうてとうてい南庭なんてある

正殿編集

部屋からなる

宮殿最も格式高い部屋板張りある新年祝賀信任捧呈内閣総理大臣任命親任認証官任命勲章親授歌会主要通年儀式使用れる朝見即位中心儀式ある即位正殿など皇室重要儀式使用れる昭和天皇大喪に際して殯宮設けられ左右報道ある
天皇皇后外国元首政府要人会見又は皇居訪れ日本政府関係及び民間引見する儀式並びに行事使用れる
皇后関係儀式行事皇后誕生祝賀皇后引見使用れる

豊明殿編集

宮殿ホール最大スケール誇る立食形式最大600設置すること可能ある宮中晩餐天皇誕生日宴会即位饗宴多人数宴会使用れる東側廊下奏楽転用でき宮中晩餐宮内庁演奏披露する

編集

午餐茶会人数宴会使用れる

長和殿編集

南北163メートルおよぶ細長い建物参内もてなし拝謁多目的使用れる部屋から順に石橋ゃっきょう春秋松風一般参賀行なわれる面しおり一般参賀皇族長和殿ベランダ中央立つベランダ天井スポットライト設置いる

1969昭和4412宮殿完成皇居一般参賀昭和天皇長和殿ベランダ立っスリングショットパチンコ撃ち込まれる事件発生皇族負傷なかっこの事件長和殿ベランダ中央防弾ガラス設けられ

春秋
宮内豊明殿次いで広い大広間各国賓客歓迎拝謁用いられる平成入っから各種レセプション使用れる機会多くなっ
石橋松風
春秋隣接広間参殿として利用れる
参殿として利用れる部屋
車寄車寄つながる玄関ホール記帳として利用れることある正殿70メートルほど回廊あり国賓から回廊正殿向かう
車寄
車寄車寄車寄ある車寄長和殿北端車寄長和殿南端車寄長和殿地下ある特に車寄宮殿正面玄関あり国賓外交使節迎える使用れるほか祝賀など即位使用長和殿地下参殿ため地下駐車なっおり大型乗用車120駐車できる

千草千鳥編集

参殿使用れる本来千草千鳥別々部屋仕切り取っ部屋として使用れる

回廊編集

正殿長和殿結び豊明殿相対する天皇国賓ここ進ん正殿会見臨む

庭園編集

中庭
正殿豊明殿回廊長和殿四方囲ま庭園即位正殿威儀居並び旛旗立てられる
外国元首栄誉受ける新年及び天皇誕生日一般参賀として使用れるある地下参殿ため駐車なっいる
南庭

御座所編集

ある天皇日常執務するほか侍従部屋などある

皇居施設編集

御所広間におけるインドモディ首相会見
  • 御所
    • 125天皇明仁住居吹上御苑あり昭和天皇ゴルフとして使用広芝西部建てられ建物群れ飛ぶよう配さいる1991平成3着工1993平成5竣工地下1地上2鉄筋コンクリート外観板葺面積5,770平方メートル設計昭蔵よる1993平成5128から20202330まで使用
    • 私的部分居間書斎寝室など17部分広間応接食堂進講皇族など11侍従など執務する事務執務など32あり天皇在位2寝室あっ公的部分広間広間などあり国内外人々招い食事茶会会見など使われる
    • 2019平成31430以前125天皇明仁在位天皇住居として単に御所退位同年元年51から20202330まで上皇御所として吹上仙洞御所称さ上皇東京高輪仙洞御所高輪皇族転居改修工事2021396126天皇一家赤坂御所から転居再び天皇正式住居として御所なっ[9]
  • 吹上大宮御所
    • 生前昭和天皇皇后住居たる御所あり吹上御所称さ吹上御苑あり昭和天皇還暦記念1961昭和36竣工2建て鉄筋コンクリート外装象牙タイル貼り屋根板葺面積4,088平方メートル文庫つない建てられいる
    • 1居間和室食堂書斎書庫など2寝室浴室なっいる寝室設けられ[10]
    • 昭和天皇崩御吹上大宮御所改称皇太后なっ皇后住居として使用2000平成12皇后崩御使用おら建物宮内庁管理いる
1950年代皇居上空から写真
手前吹上御苑から宮殿ある西の丸地区ある一番手前コンクリート陸屋根建物皇宮警察吹上護衛その作り建物生物研究所水田温室広がっいる隣接する宮中殿太平洋戦争空襲明治宮殿焼失おり宮殿あっ場所空き地なっいる宮殿広場左側()皇居なっ宮内庁庁舎ある
宮内庁庁舎
  • 生物研究所
    • 1928昭和3昭和天皇生物研究行うため建設施設
    • 現在上皇明仁ハゼ始めする魚類研究行ったりその新嘗祭執り行う用いられる新穀栽培たりするなど多岐亘っ供用いる栽培職員借りつつ種まきから田植え稲刈りまで自ら行なっいる
    • かつて生物研究所称さ2008平成2010明仁天皇当時意向により外さ名称統一いるなお明仁天皇自身単に研究所呼んいる
  • 紅葉山養蚕
    • 1914大正3貞明皇后により建てられ以来歴代皇后飼育いる施設ある
      養蚕飼われるから出来製品皇室儀典衣裳用立てられる
  • 皇居御苑
    嘗宮
    • 1968昭和43101から一般公開いる本丸芝生大嘗祭会場なる嘗宮悠紀殿殿設営[11]
  • 三の丸蔵館
    • 皇室受け継が美術1989平成元年6寄贈ことからこれ保管展示研究するため建てられ1993平成5113開館
  • 桃華楽堂
    桃華楽堂
    • 皇后還暦記念建てられ音楽1966昭和412建てられる名称皇后ちなむ
  • 皇宮警察本部庁舎
皇宮警察本部庁舎
宮内庁
宮内庁

ギャラリー編集

その他編集

  • 皇居大き宮内庁管理部分敷地115m2[12]東京ドーム25ある[13]面積含む東京千代田千代田面積1,425,500m2[14]皇居外苑含め面積230m2なる[4]
  • 皇居周辺15km歩道信号なく街路景観楽しめることから手軽ランニングジョギングコースなっいる皇居ランニング[15]高低26メートル初心者から上級まで幅広く走れる[16]
  • 外国観光御苑など来訪増えいるため宮内庁2017516スマートフォン向け皇居京都御所について西6か国音声案内するアプリ提供始め[17]
  • 皇居近く勤皇忠臣れる2文武忠臣銅像皇居外苑楠木正成大手和気清麻呂立っいる[18]

皇居自然環境編集

生物宝庫ある下道灌濠

江戸時代以降開発進ん東京都心地区異なり皇居江戸城以降自然残り貴重生態維持いる皇居中心する広大緑地水中生物隠れやすい石垣水草多い一体なっいるうえ釣りなど人間による活動制限いるため植物昆虫魚介鳥類哺乳類含む陸上動物など食物連鎖成立絶滅危惧含む生物多様[19]保全いる

吹上御苑道灌周辺行わ国立科学博物館による1996 - 2000年度2009 - 2013年度調査植物2077動物6375生息確認いるフキアゲニリンソウニホンコシアカハバチよう新種発見ほかイシカワモズクヒロクチコギセルといった絶滅危惧保全いる一方アカボシゴマダラスズミグモ蜘蛛よう外来侵入確認

大型動物としてタヌキ1990年代半ばから宮内庁皇宮警察職員目撃れるようなっ明仁天皇発案宮内庁国立科学博物館2006年度から分析による解明6一時捕獲発信付け行動追跡といった調査行い20082016明仁天皇共同執筆する論文まとめられいる[20]

こうした調査から太田道灌遺徳偲び道灌時代遺構加えなかっ伝承信憑大火防火として整備庭園古い生態閉じ込められこと2003始まっ東京によるディーゼル規制条例効果現れいる可能地球温暖ヒートアイランド進行いることなど示唆[21]

皇居周辺管理する環境省並木手入れヘイケボタル放流といった環境保全改善進めいる[22][23]

また皇居自然触れることにより国民自然理解深めるため宮内庁みどり月間一環として吹上御苑自然観察開催いる[24]

外濠編集

外濠

皇居歴史編集

明治元年10明治天皇東京行幸における六郷渡し情景

1868慶応4明治天皇東京行幸により江戸城東京とうけいじょう称さ東京皇居なる1869明治22度目東京行幸天皇東京滞在発表東京こうじょう称される東京奠都1873明治6それまで天皇御座所江戸城西の丸御殿火災ため焼失[25]赤坂離宮皇居

1879明治12西の丸宮殿造営すること決まり1888明治21明治宮殿落成同年1027以後宮城きゅうじょう称さ[26]明治宮殿車寄正殿西豊明殿千種鳳凰など儀式応接政務行われるある宮殿天皇住居にあたる奥宮殿接続宮殿木造外観和風建築内部和風格天井からシャンデリア下げるなど和洋折衷椅子テーブル用いこの明治宮殿太平洋戦争末期1945昭和205空襲による飛び火焼失

1935内省2庁舎鋼鉄防空地下金庫作らだが内部狭く大型爆弾耐えられないことから内省工匠設計吹上御所近く新た防空壕作ることなっ文庫命名れる大本営防空壕完成するまで昭和天皇皇后空襲警報発令宝剣神璽三種神器うちとともに地下金庫避難

このほか内省1941太平洋戦争開戦直前東京南多摩鶴川町田多摩丘陵一角空襲対策兼ね柿生離宮新設検討密か視察重ね宮内大臣松平恆雄判断取りやめ[27]

文庫

皇居1941昭和16412文庫ぶんこ極秘着工19421231完成施工請負っ大林建築200あっ建坪1,320m2地上1地下123建てそこ天皇皇后寝室居間書斎応接皇族休息食堂洗面侍従女官風呂便所などあっこのほか映写ホールピアノ玉突きなどあっ屋根1トン爆弾耐えるようコンクリート1m1mさらにそのコンクリート1m3mあっ[28]天皇午前御座所政務午後文庫過ごす日課あっ

1945昭和206月戦況悪化ためさらに頑丈文庫附属文庫から90 m離れ地下10m陸軍工兵によって建設330 m256 m2会議2つ2控室通信機械あり板張り各室とも1 m鉄筋コンクリート仕切ら50トン爆弾耐えるよう設計文庫地下道結ば[29]この地下終戦決める2御前会議開か戦後文庫附属昭和天皇意向修理保存れることなく朽ちるままなっいるしかし定期写真映像など記録とらおり戦後70にあたる平成278デジタル音源玉音放送とともに映像写真公開[30][31]

敗戦1948昭和2371宮城名称廃止皇居呼ばれるようなっ[32]1952昭和27から宮内庁庁舎最上階3宮殿

なお日本占領連合国軍最高司令司令GHQ指令日本国憲法施行により戦前戦中皇居管理内省宮内現在宮内庁改組皇居警備陸軍近衛師団内省皇宮警察から警視庁皇宮警察移管

戦後暫く焼失宮殿再建行わなかっこの理由について昭和天皇侍従務め入江よるお上昭和天皇戦争終了国民戦災住む無く暮らしままなら新しい宮殿造ること出来[33]国民生活向上優先べしという考えから戦災消失宮殿など再建待っかけ述べいる[出典]

1955宮殿

昭和30年入っ日本復興一段落宮殿再建動き活発なり1959昭和34皇居造営審議答申基づき1960昭和35から新しい宮殿造営始められ宮殿いわゆる宮殿明治宮殿よう天皇御所接続御所宮殿別々造ることなっまず1961昭和36昭和天皇および皇后住居として皇居吹上地区文庫隣接組込ま建設吹上御所完成宮殿明治宮殿跡地1964昭和39着工1968昭和4310竣工同年1114落成挙行1969昭和444から使用[34]なお吹上御所1993平成5129皇太后皇后住まいとして吹上大宮御所改称[35]

明仁天皇皇后美智子いずれ当時即位暫く引き続き赤坂御所居住[36]ながら皇居宮殿通っ皇居吹上地区一角新た御所建設1993平成5128から使用[37]

皇居歴史編集

みや尊称つい言葉ある身分高い住居という意味から出発やがて天皇皇族宮殿意味するようなっ古代大王天皇住居一世ごと移転皇居みや呼ばれる宮殿指し古事記日本書紀4世紀から6世紀にかけて宮殿多く現代言う奈良盆地東南営ま記さいる

飛鳥編集

592推古天皇即位豊浦から694天皇藤原遷都するまで100年間奈良飛鳥周辺宮殿集中ので飛鳥呼ぶことあるこのよう墾田603 - 630飛鳥岡本630 - 636飛鳥643 - 655飛鳥岡本656 - 672飛鳥672 - 694などあるその規模居館いくつ発見いるそれら地面掘っ根本固定する建物あるこれら建物7世紀以降中心建物正面いる特徴ある

中国王朝影響みやこ造営れるようなり天皇内裏だい定着これ皇居国政中枢ある始めする中央官衙内裏併設合わせ宮城呼ばれる

難波大阪藤原奈良橿原明日香平城京奈良平安京京都などある

平安時代から江戸時代編集

京都御所正門

平安京79413桓武天皇によって定められ960天徳4内裏焼失再建れるまで冷泉皇居976貞元元年内裏被災藤原邸宅ある堀河殿皇居いる平安京内裏しばしば焼亡ため摂関外戚など臣下邸宅皇居里内すること多かっ平安時代末期から内裏あっ里内皇居すること一般1227安貞元年宮城大内裏焼失から内裏再建里内転々

南北時代1331元弘元年3北朝天皇土御門東洞殿即位からこの御殿内裏定められこれ現在京都御所前身なる南北時代南朝歴代天皇大半時期において京都北朝朝廷それ支える室町幕府押さえられ吉野行宮など転々#歴代皇居参照

明治時代以後編集

慶応4717186893江戸東京改められ同年101318681126明治天皇東京行幸江戸城西の丸現在宮殿のみ建っいる現在吹上御所場所入っ江戸城東京改称天皇東幸皇居定められ天皇一旦京都戻っ

明治2328186959再び東京行幸1877明治10京都御所保存至る東京奠都参照

歴代皇居編集

歴代皇居一覧飛鳥時代以前日本書紀一部古事記典拠する

天皇 所在地推定含む 期間
畝傍橿原 初代神武天皇 奈良橿原畝傍 神武天皇元年1 -
葛城高丘 2綏靖天皇 奈良御所森脇 綏靖天皇元年1 -
片塩浮孔 3安寧天皇 奈良大和高田倉堂
または奈良橿原四条
安寧天皇2 -
岡宮 4懿徳天皇 奈良橿原白橿 懿徳天皇21 -
掖上池心葛城掖上 5孝昭天皇 奈良御所池之内 孝昭天皇元年7 -
秋津島 6孝安天皇 奈良御所 孝安天皇210 -
黒田戸宮 7天皇 奈良磯城田原本黒田 孝安天皇10212 -
境原 8天皇 奈良橿原見瀬 天皇43 -
春日率川 9開化天皇 奈良奈良本子守 開化天皇元年10 -
磯城 10天皇 奈良桜井金屋 天皇39 -
玉垣 11天皇 奈良桜井穴師 天皇210 -
向日 12天皇 奈良桜井穴師 天皇411 -
志賀 12景行天皇
- 13天皇
滋賀大津穴太 天皇582 -
豊浦 14仲哀天皇 山口下関長府宮の内 仲哀天皇29 -
橿日宮 福岡福岡香椎 仲哀天皇81 -
桜宮 神功皇后 奈良桜井
または桜井池之内
神功皇后摂政31 -
豊明 15応神天皇 奈良橿原大軽 遷都年次不明
難波大隅 大阪大阪東淀川大隅 応神天皇223 -
難波高津 16仁徳天皇 大阪大阪天王寺餌差
または大阪中央法円坂
仁徳天皇元年1 -
桜宮 17履中天皇 奈良桜井
または桜井池之内
履中天皇元年2 -
丹比 18天皇 大阪松原上田 天皇元年10 -
飛鳥 19允恭天皇 奈良県明日香飛鳥 遷都年次不明
石上 20安康天皇 奈良天理 允恭天皇4212 -
朝倉 21雄略天皇 奈良桜井岩坂
または桜井脇本黒崎
安康天皇311 -
栗宮 22天皇 奈良橿原東池尻 天皇元年1 -
忍海 飯豊青皇女 奈良葛城忍海 天皇51 -
飛鳥八釣飛鳥 23顕宗天皇 奈良県高明日香八釣
または大阪羽曳野飛鳥
顕宗天皇元年1 -
石上広高 24仁賢天皇 奈良天理石上
または天理嘉幡
仁賢天皇元年1 -
25天皇 奈良桜井出雲 仁賢天皇1112 -
樟葉 26天皇 大阪枚方楠葉丘 天皇元年5072 -
筒城 京都京田辺多々羅 天皇551110 -
弟国 京都長岡京今里 天皇125183 -
玉穂 奈良桜井池之内 天皇205269 -
勾金 27安閑天皇 奈良橿原曲川 安閑天皇元年5341 -
入野 28天皇 奈良県高明日香檜前 天皇元年5361 -
磯城金刺 29欽明天皇 奈良桜井金屋外山 明元5407 -
百済大井 30天皇 奈良桜井大福
または奈良北葛城広陵百済
天皇元年572?4
- 天皇4575
訳語田幸玉宮
他田訳語田宮
奈良桜井戒重 天皇4575 -
池辺 31明天 奈良桜井阿部 天皇14585?9 -
倉梯柴垣 32天皇 奈良桜井倉橋 明天2587?8 -
豊浦桜井 33推古天皇 奈良県高明日香豊浦 天皇559212
- 推古天皇1160310
墾田 奈良県高明日香 推古天皇1160310
- 推古天皇366283
飛鳥岡本高市岡本 34舒明天皇 奈良県高明日香村岡 舒明天皇263010
- 舒明天皇86366
田中 奈良橿原田中 舒明天皇86366 -
百済 奈良桜井吉備
または奈良北葛城広陵百済
舒明天皇1264010
- 舒明天皇1364110
飛鳥 35天皇
- 37明天
奈良県高明日香村岡 天皇26434
- 明天元年655
難波長柄碕宮 36孝徳天皇
- 40天武天皇
大阪大阪中央法円坂 265212
- 朱鳥元年6861
飛鳥川原 37斉明天皇 奈良県高明日香川原 明天元年655
- 明天2656
飛鳥岡本 37斉明天皇
- 38天智天皇
奈良県高明日香村岡 明天2656
- 天智天皇66673
朝倉 37斉明天皇 福岡朝倉須川
または朝倉杷木志波
明天76615 - 7
近江大津 38天智天皇
- 39弘文天皇
滋賀大津錦織 天智天皇66673
- 天武天皇元年6727
飛鳥 40天武天皇
- 41天皇
奈良県高明日香村岡 天武天皇元年672
- 天皇869412
藤原 41持統天皇
- 43元明天皇
奈良橿原高殿など 天皇869412
- 和銅37103
平城寧楽 43元明天皇
- 50桓武天皇
奈良県奈良佐紀町(北緯344131.37 東経1354749.85 / 北緯34.6920472 東経135.7971806 / 34.6920472; 135.7971806 (平城) 和銅37103
- 天平1274012
天平177455
- 378411
難波 45聖武天皇
- 50桓武天皇
大阪大阪中央法円坂 天平67343
- 378411
大宮 45聖武天皇 京都木津川加茂例幣など 天平1274012
- 天平167442
信楽甲賀 滋賀甲賀信楽 天平177451 - 5
保良 47淳仁天皇 滋賀大津国分 天平576110
- 天平87649
48天皇 大阪八尾八尾木都塚 神護376910
- 宝亀元年7708
長岡 50桓武天皇 京都向日鶏冠井など 378411
- 1379410
平安 50桓武天皇
- 122明治天皇
京都府京都上京(北緯350113.1 東経1354436.9 / 北緯35.020306 東経135.743583 / 35.020306; 135.743583) 1379410
- 明治218693
福原 81安徳天皇 兵庫神戸兵庫荒田など 411806 - 11
南朝 吉野行宮 96後醍醐天皇
- 99亀山天皇
奈良吉野吉野吉野山 元年133612
- 正平313481
正平23136812
- 正平2413694
文中213738
- 天授51379
21385
- 9139210
賀名行宮 97後村上天皇 奈良五條西吉野賀名
または五條西吉野黒渕
正平313489
- 正平713522
正平713525
- 正平9135410
天野行宮 97後村上天皇
- 98長慶天皇
大阪河内長野天野 正平9135410
- 正平14135912
正平2413694
- 文中213738
観心寺行宮 97後村上天皇 大阪河内長野寺元 正平14135912
- 正平1513609
住吉行宮 97後村上天皇
- 98長慶天皇
大阪大阪住吉墨江 正平1513609
- 正平23136812
栄山行宮 98長慶天皇
- 99後亀山天皇
奈良五條小島 天授51379
- 21385
宮城皇居 122明治天皇 - 東京千代田千代田1-1(北緯354057 東経139457.56 / 北緯35.68250 東経139.7521000 / 35.68250; 139.7521000 明治218693 - 現在

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 御所天皇だけなく由緒ある武家公家邸宅尊称として広く用いられる
  2. ^ 現在下道灌濠3分かれいる

出典編集

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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

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