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版籍奉還 - Wikipedia

版籍奉還

所有領地領民朝廷返還政策

版籍奉還はんせほう明治維新一環として全国所有土地人民朝廷返還政治改革明治26171869725勅許[1]

経緯編集

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明治維新発足政府幕府戊辰戦争敵対領地接収直轄として支配

戊辰戦争慶応4明治元年1から418682から5にかけて政府直轄統治機関として裁判所設置続い同年421611政体定められ一方この明治元年段階府県並ぶ地方機関位置づけられ直轄以外本領安堵その領主大きな制約加えられなかっ[2]

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いう体制られるよう江戸幕府制度思わがちある実際江戸時代公式という大名領地呼ぶことなかっ一部学者など書物など使用するのみだっある

幕末なる大名こと中国諸侯呼ぶこと一般するそれとともに大名領地中国俗称すること増えいっそれでもという行政名称として公式使用明治維新こと廃藩置県消滅するまでわずか2程度ことだっ

政府版籍奉還形成編集

政府薩摩寺島有礼長州木戸孝允伊藤博文封建体制限界指摘その改変主張[3][4]

慶応3(1867)11薩摩寺島土地人民朝廷返還するよう求める建白藩主島津忠義提出[5]島津忠義慶応42創設費用として10いる

慶応3(1867)12長州木戸孝允長州征討長州占領豊前石見朝廷返還するよう提案長州慶応41豊前石見返上出しそれうけ政府長州するよう指示

木戸孝允慶応4186827版籍奉還必要建言いる伊藤博文兵庫県知事務め明治元年186810木戸同様戊辰戦争凱旋兵士再編政府常備する意見出し明治2正月同じ趣旨国是綱目兵庫提出いるその間明治元年11姫路藩主酒井忠邦伊藤博文建白連携する版籍奉還建白提出

状況編集

この日本財政問題戊辰戦争における内紛あっ江戸時代藩主代替わりごと領地所有将軍承認徳川幕府瓦解によって領地所有法的根拠失わまた戊辰戦争において近代兵器用い戦争藩主ほとんど指導発揮できにおいて藩主権威失墜さらに戦乱による被害権威低下により戦闘なっ関東東北など農民一揆続発年貢徴収滞りがちあっ

酒井忠邦版籍奉還建白提出背景内紛あっ姫路戊辰戦争において朝敵徳川処遇徳川酒井主従関係否定れる不満抱い藩主酒井忠績江戸幕府最後大老明治元年5独自所領没収嘆願する嘆願政府提出その結果佐幕粛清れる事件起きその後実権握っ尊王急進国政改革志向するとともに路線吸収する制度改革より中央統制働く移行求める建白提出[6]

版籍奉還上表編集

明治2114薩摩大久保利通長州広沢土佐板垣退助京都円山薩摩吉井友実持参草稿版籍奉還について会合行っ[4]3合意肥前加え薩長土肥4藩主薩摩島津忠義長州毛利土佐山内肥前鍋島連名政府に対して明治2120版籍奉還上表提出上表国立公文書公開いる[7]

版籍奉還上表王土思想大義名分掲げ諸侯土地人民スベケンヤ私有べきないする一方朝廷其宜其与フベキハ其奪キハコレヲ土地人民所有結末についてあいまい表現

その後から奉還上表提出相次い128まで鳥取佐土原越前熊本大垣など提出53までわずか除く262藩主提出[8]当時政府大隈重信いったん返上土地人民政府から交付れる期待あるいは誤解という見解回想記しいる[9]

政府薩長土肥上表忠誠天皇東京改めて会議開き公論集め決定する東京明治23月行わ

会議開催編集

明治2521政府以上官員親王公卿など東京大広間集め会議開催この会議興隆蝦夷開拓とともに諮詢版籍奉還意見交換行わ[10]

議員有礼提案により将来選ぶべき方向封建どちらする議論反応103封建102あっ主張する体制維持困難なっ中小多かっ

版籍奉還実施編集

明治2617版籍奉還勅許同日太政官公卿諸侯華族公布華族制度創設藩主諸侯285公卿142同時に華族列せられ士分藩士藩主一門別家含め士族

版籍奉還により藩主世襲任命例外として維新ばかり田安版籍奉還する藩主任命命じられ一方陪臣あっ藩士同じ朝廷明治政府家臣れる朱子学基づい武士近代以後武士違うによって位置づけられ主君藩主家臣藩士主従関係否定することなるものあり抵抗予想そこで版籍奉還実施に際してその意義について曖昧表現用いぼかしなど代表からなる同意求めもっとも賛否両論伯仲ため半数署名による両論折衷答申出し政権から失望いるこれ前後戊辰戦争恩賞あるについて定めること倒幕賛同藩主藩士宥め不満逸らし

このため将軍代替わり伴う知行安堵朝廷代わり行っもの誤解するあり大きな抵抗無く終わっ

奉還編集

地方知行廃止一律蔵米知行すること義務財政統計報告命じられ全体収入10分1定められまた全体収入9%陸海軍費すること定められそのから半分4.5%海軍として政府上納すること課さ加え戊辰戦争悪化財政建て直すため改革政府から命じられ高禄上士中心削減

藩士主従関係形式否定政府藩士登用する問い合わせることなく行うようなっまた従来家老相当する参事[ 1]任官政府から下される官記により正式任命れることなっ

江戸時代財政など内情幕府報告求められ人事俸禄原則として専権事項あっ版籍奉還により中央集権進むことなっ

年表編集

日付いずれ旧暦[ 2]

  • 慶応41868
    • 421 - 政府政体発布大名新た大名知事任命諸侯統治するかたち残す打ち出す
    • 98 - 明治改元
    • 1028 - 行政家臣分離定める職制設け[11]政府による統制行う
  • 明治21869
    • 1 - 伊藤博文陸奥宗光6箇条からなる国是綱目建白提出する
    • 120 - 政府樹立主導薩摩長州土佐肥前4建白提出する
    • 513 - において諮問行われる
    • 617 - 主要大藩含む版籍奉還聴許
    • 625 - このまで262奉還聴許政府変革ためヶ条命令するこれにより石高物産人口戸数など統計取り報告歳入1する義務負っ
  • 明治31870
    • 82 - このまですべて274190469261奉還聴許
    • 910 - 布告陸海軍費歳入9%そのうち半分海軍として上納すること定められ[12]
  • 明治41871
    • 22 - 薩長から献上設けること決定
    • 714 - 廃藩置県詔書在京伝達府県確立する

実施一覧編集

以下一覧

  • 日付いずれ旧暦
  • 幕府崩壊政府もと新規
  • 諸々理由から廃藩置県すでになっあるいは統廃合
  • 幕府崩壊から廃藩置県至る3年間における名称変遷
明治2版籍奉還
617
619
620
622
623
624
625
629
722
725
813
819
920
1023
112
127
明治3版籍奉還
112
224
515
82

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 奉還明治元年18681028政府布告職制により従来家老年寄執政参政職名すること命じられ[11]これら参事参事参事改められ
  2. ^ 日本明治512218721231まで旧暦使用
  3. ^ 盛岡15藩主南部戊辰戦争政府降伏戦後7明治政府仙台から没収所領一部ある白石命じられ版籍奉還ない白石知事なる重臣たち国替停止運動繰り広げさらに領民から政府に対して盛岡復帰請願続いその結果同年7上納70献納条件盛岡復帰認められ8月盛岡知事なるしかし上納一部支払っのみ財政破綻明治37自ら藩主華族留まっのち子爵
  4. ^ 米沢内分による支藩財政逼迫理由明治2統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  5. ^ 鳥取内分による支藩定府だっ明治元年12鹿陣屋置か鹿なる財政逼迫理由明治2統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  6. ^ 鳥取内分による支藩定府だっ明治元年12月若桜陣屋置かなる財政逼迫理由明治3統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  7. ^ 明治44自ら藩主華族留まっのち子爵
  8. ^ 尾張支藩明治3統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  9. ^ 8000交代寄合だっ戊辰戦争戦功により慶応4直し15200なっことから諸侯
  10. ^ 常陸松岡2知行する水戸附家老慶応41政府特旨により諸侯
  11. ^ 明治3自ら藩主華族留まっのち子爵
  12. ^ 明治4財政困窮理由自ら藩主華族留まっのち子爵
  13. ^ 今尾3知行する尾張附家老慶応41政府特旨により諸侯
  14. ^ 明治47自ら藩主華族留まっのち子爵
  15. ^ 8000交代寄合だっ慶応4直し10110なっことから諸侯
  16. ^ 5000交代寄合だっ慶応4直し11000なっことから諸侯
  17. ^ 6700交代寄合だっ慶応4直し11000なっことから諸侯
  18. ^ 5000交代寄合だっ慶応4直し12746なっことから諸侯
  19. ^ 盛岡内分による支藩だっ盛岡新田明治元年123藩主南部奥羽列藩同盟加わっ1000隠居命じられこれに従い隠居舎弟家督相続明治21戦後混乱による手違いから政府1改めて与えことからここ
  20. ^ 水戸内分による支藩だっ宍戸元治元年18649藩主松平天狗同情だっことから切腹なり改易慶応418682政府から特旨もっ8藩主認められ
  21. ^ 明治元年9相良田沼政府により
  22. ^ 明治元年横須賀西尾忠篤政府により
  23. ^ 明治212自ら藩主華族留まっのち子爵
  24. ^ 小浜内分による支藩明治39財政困窮理由統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  25. ^ 明治212自ら藩主華族留まっのち子爵
  26. ^ 明治46自ら藩主華族留まっのち子爵
  27. ^ 明治42自ら藩主華族留まっのち子爵
  28. ^ 大沢寿堀江3550知行する高家旗本だっ明治元年8行っ検地5485浜名湖湖面一部開墾予定として架空新田内高4521計上都合16という虚偽報告行なっこれ以上なっことから諸侯堀江藩主なっ寿版籍奉還華族廃藩置県調査報告虚偽露見寿士族落とさうえ禁固1実刑判決受け
  29. ^ 岩国6江戸時代を通じて長州藩主毛利一門吉川領主だっ成立複雑事情から毛利これ支藩認め単なる家臣扱いその一方幕府から6外様大名として認められおりこの変則状態慶応43政府によって正式岩国として認められるまで続い
  30. ^ 長州支藩明治45自ら統合藩主宗家別に華族留まっのち子爵
  31. ^ 下野塩谷喜連川5000知行喜連川室町幕府古河公方流れ汲む名家江戸時代大名旗本なく将軍家主従関係ない客分として10国主認められ特殊だっ幕府崩壊満たないかかわら政府により正式喜連川として認められ明治3自ら版籍奉還華族のち子爵
  32. ^ 会津松平9藩主松平容保戊辰戦争政府降伏嫡男戦後20明治政府盛岡から没収所領一部ある高3認められるのち改称
  33. ^ 6000交代寄合だっ慶応46月本家鳥取から廩米3500内分その後直し都合10573なっことから諸侯明治311財政困窮ため統合藩主華族留まっのち男爵その後爵位返上

出典編集

参考文献資料編集

参考書籍編集

  • 松尾正人廃藩置県中公新書8051986年6月25日ISBN 4-12-100805-7
  • 松尾正人廃藩置県研究吉川弘文館2001110ISBN 4642036970
  • 松尾正人戊辰戦争廃藩置県岩波講座日本歴史 15現代1ISBN 4000113356
  • 水谷憲二戊辰戦争朝敵 敗者維新八木書店2011ISBN 484062044X

関連項目編集

外部リンク編集