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日露戦争 - Wikipedia

戦争

1904から1905行わ大日本帝国ロシア帝国戦争

戦争ちろせんそうロシア: Русско-японская войнаルースカ・イポーンスカヤ・ヴァイナー1904明治372[注釈 3]から1905明治389にかけて大日本帝国南下政策行うロシア帝国行わ戦争ある朝鮮半島満州権益めぐる争い原因なっ引き起こさ満州南部遼東半島おも戦場なっほか日本近海規模艦隊繰り広げられ最終両国アメリカ合衆国斡旋調印ポーツマス条約により講和

戦争
RUSSOJAPANESEWARIMAGE.jpg
戦争明治戦役 戦争
年月日190426 - 190595
場所満州南部[注釈 1]遼東半島黄海日本海
結果大日本帝国勝利ポーツマス条約締結
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
Flag of Montenegro (1852–1905).svg モンテネグロ公国
指導指揮
Flag of the Japanese Emperor.svg 明治天皇

War flag of the Imperial Japanese Army.svg 大山

Naval Ensign of Japan.svg 東郷平八郎

Imperial Standard of the Emperor of Russia (1858–1917).svg ニコライ2

ロシア帝国の旗 アレクセイ・クロパトキン

Naval Ensign of Russia.svg ステパン・マカロフ 
Naval Ensign of Russia.svg ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー
Naval Ensign of Russia.svg エヴゲーニイ・アレクセーエフ

戦力
120(トータル) 650000(ピーク) 1365000(トータル)700000(ピーク)
損害
戦没8万8,429人,

うち戦死戦傷 55,655[注釈 2]
病死27,192
負傷153,584[1]
捕虜1,800[3]

戦没8万1210人、

うち戦死戦傷 52,623
病死2
負傷146,032
[4]
捕虜79,000[3]

戦争

講和条約日本朝鮮半島における権益認めさせロシアあっ樺太半分割譲またロシア清国から受領大連旅順租借獲得同様鉄道旅順 - 長春支線租借得る至っしかし交渉賠償得る至ら戦後外務省に対する不満軍民などから高まっ

戦争目的動機編集

戦場全域俯瞰

大日本帝国動機

大日本帝国[注釈 4]ロシア帝国南下政策による脅威防ぎ朝鮮半島独占すること大日本帝国安全保障[5]堅持すること目的開戦明治天皇により公布スル宣戦詔勅大韓帝国保全脅かさこと日本安全保障脅威なっこと戦争動機挙げいる他方210開戦詔勅続くはずだっられる詔勅草案ありここ信教自由強調開戦不幸強調いる[6]

憲法条章由り信教自由保明せり各々自らそのする案ずる得ると共にまたよくする尊重互いに犯すなき要す

不幸釁端開け平素違いする至りたる事由既に示せ少し宗教相関信教に対する一視同仁更に平時ことあるなしよく体し信仰帰依如何問わ互いに相愛協力同心するなき期せ

ロシア帝国動機

ロシア帝国および関東租借鉄道敷設など利権確保満州還付条約不履行維持満州駐留朝鮮半島利権拡大における日本抵抗排除直接的日本から攻撃宣戦布告戦争理由

戦争性格

戦争20世紀近代力戦要素含んおりまた2のみなら帝国主義宗主各国外交関係関与グローバル規模もっこのことから横手慎二戦争0世界大戦World War Zeroあっいる[7]

関与勢力編集

日本 ロシア
戦争参加勢力

大日本帝国の旗  大日本帝国

ロシア帝国の旗  ロシア帝国
モンテネグロの旗  モンテネグロ公国ただし宣戦布告戦闘参加

支持勢力

大韓帝国の旗  大韓帝国はじめする支配階級独立知識

同盟支援

イギリスの旗  イギリス帝国同盟
大韓帝国の旗  大韓帝国議定
清の旗 大清帝国
厳正中立宣言ロシア事実植民なっいる東三回復べく暗に協力あり[8][9]袁世配下北洋軍閥用い諜報馬賊編成など日本協力諜報将校日本特別任務派遣

フランスの旗  フランス同盟
清の旗  帝国密約開戦同年518破棄など一部馬賊協力

観戦武官

一軍司令観戦武官

陣営欧米南米諸国から多く観戦武官派遣日本13か国から合計70以上来訪おりその国籍イギリスアメリカ合衆国ドイツオーストリアスペインイタリアスイススウェーデンブラジルチリアルゼンチンオスマン=トルコあっ同盟あるイギリスから最多エイルマー・ホールデン英語はじめ33数えアメリカからマッカーサー元帥父親あるアーサーマッカーサーJr赴任[出典]

観戦武官レポートそれぞれ物議醸し特に機関戦場支配こと騎兵無用長物化しこといまだにナポレオン戦争時代幻想引きずっヨーロッパ軍人受け入れがたく[出典]東洋特有事情として一蹴しかしやがて彼ら世界大戦その現実直面することなっ

背景編集

朝鮮半島めぐる対立編集

大韓帝国体制から離脱ものの勢力置いロシア朝鮮半島持つ利権手がかり南下政策取りつつあっロシア通じ売り払わ鍾城鉱山採掘朝鮮北部森林伐採関税など国家基盤取得朝鮮半島影響増しロシア進める南下政策危機1861文久元年ロシア軍艦対馬占領事件あっため持っ日本これら買い戻し回復

当初日本外交努力衝突避けよロシア強大軍事背景日本圧力増しいっ1904明治37223開戦局外中立宣言大韓帝国における軍事行動可能するため議定締結開戦8協約締結大韓帝国財政外交顧問置き条約締結日本政府協議すること大韓帝国朝鮮による体制維持いる状況独自改革難しい判断進歩合邦目指そ鉄道敷設工事など5いわれる大量人員派遣するなど戦争において日本協力惜しまなかっ

一方など支配日本影響あくまでも排除しよ試み戦争においてロシア密書送るなど外交展開いっ戦争密使日本軍により海上にて発見大韓帝国条約違反犯すという失敗終わる

同盟編集

ロシア帝国不凍港求め南下政策採用戦争など勝利によってバルカン半島における大きな地歩獲得ロシア影響増大警戒するドイツ帝国宰相ビスマルク列強代表集めベルリン会議主催戦争講和条約あるサン・ステファノ条約破棄ベルリン条約締結成功これによりロシアバルカン半島南下政策断念進出矛先極東地域向けることなっ

近代国家建設急ぐ日本ロシアに対する安全保障理由から朝鮮半島自国勢力置く必要ある意見大勢占め朝鮮属国戦争勝利朝鮮半島影響排除ものの中国進出目論むロシアフランスドイツから干渉によって下関条約割譲受け遼東半島返還世論においてロシア戦争辞さという強硬意見当時日本列強諸国戦えるだけなく政府伊藤博文戦争回避主流占めところがロシア密約結び鉄道敷設日本手放し遼東半島南端位置する旅順大連1898明治31租借旅順大連租借条約旅順太平洋艦隊基地作るなど満州進出押し進めいっ

1900明治33ロシア発生義和義和事変義和事件混乱収拾ため侵攻全土占領置いロシア植民既定事実しよこれ抗議ロシア撤兵約束ところがロシア履行期限過ぎ撤退行わ駐留増強図っボーア戦争終了せるのに戦費調達ため国力低下アジア大きな国力注げない状況あっイギリスロシア南下自国権益衝突する危機募ら1902明治35長年墨守孤立政策栄光ある孤立捨て日本同盟踏み切っ同盟なおこの同盟ロシアロシア条約呼ばれる[10]日本2以上戦うときイギリス参戦義務づける条約なっことから密約による清国参戦阻止そのうえこの同盟太平洋海域において日本ロシアより排水大きな海軍持つこと義務づけいる同盟によってロシア帝国満州から撤兵開始大日本帝国軽視兵力撤兵行わなかっ[11]

開戦至るまで議論世論編集

ロシア風刺地図慶應義塾大学学生作っ1904

日本政府小村寿太郎太郎山縣有朋主戦伊藤博文井上戦争回避論争続き1903明治36421京都あっ山縣別荘鄰菴伊藤山縣小村による鄰庵会議行わ問題に対して優越認めとして朝鮮問題根本解決すること[12]目的貫徹欲せ戦争辞せざる覚悟無かから[13]という交渉方針について伊藤山縣同意のちこの会談開戦覚悟定まっ書いいる実際記録むしろ伊藤慎重優勢あっようのち交渉反映れることなる

同じく4ロシア企業朝鮮会社韓国鴨緑江山林事業開始通告[14]5なっロシア鴨緑江河口軍事拠点築きはじめ事件[15]

日本ロシア緊張関係高まるなかメディア言論盛ん論争行わ612アレクセイ・クロパトキン陸軍大臣訪日国賓として迎えられ訪日目的外遊だっため高官交流あっものの正式行わ交渉ひとつなかっ新聞各紙クロパトキン訪日関係好転契機なること期待当初好意さまざま憶測報じ実質成果ないこと失望[16]また時期ベッサラビア行わユダヤに対するポグロム情報日本入りロシア不信論調高まるようなっ

610戸水寛人国際法学など7博士開戦唱える意見内閣提出博士建白事件624その全文新聞紙上掲載紙上非戦論論陣張っ幸徳秋水社会学者養っいる開戦建白提出せるためない批判実際この時点開戦まで言及する言論少数だっロシアによる7成立租借条約によってロシア南下危機現実ものなっ[16]さらに非戦論よりどころなっロシア満州撤兵セルゲイヴィッテ大臣失脚南下政策撤回希望持てなくなっ社説最後期限撤兵期限履行なかっ108日本新聞各紙論調開戦一辺倒なっ[16]

直前交渉編集

開戦戦力比較歩兵6613騎兵131砲撃支援部隊1615工兵後方支援部隊4415予備部隊40046

19038から交渉において日本朝鮮半島日本ロシア支配置くという妥協いわゆる交換ロシア提案しかし積極主戦主張ロシア海軍関東総督エヴゲーニイ・アレクセーエフ朝鮮半島増えつつあっロシア利権妨害れる恐れある妥協興味示さなかっさらにニコライ2クロパトキン主戦同調常識考えれ強大ロシア日本戦争恐れる理由なかっロシア重臣でもセルゲイヴィッテ財務大臣戦争によって負けることないせよロシア疲弊すること恐れ戦争回避展開この当時実権なかっ大臣会議議長のち十月詔書首相相当なるポスト左遷ロシア日本返答として朝鮮半島北緯39以北中立地帯軍事目的利用禁ずるという提案行っ

日本この提案日本海突き出朝鮮半島事実ロシア支配なり日本独立危機状況なりかねない判断またシベリア鉄道全線開通するヨーロッパ配備いるロシア極東方面派遣容易なるためその開戦国論傾いそして190426日本外務大臣小村寿太郎当時ロシアローゼン公使外務省呼び国交断絶言い渡し同日公使栗野慎一郎ラムスドルフ外相国交断絶通知

各国思惑編集

ドイツ帝国心情ロシア帝国あっ具体支援行っない

外貨調達編集

戦争遂行膨大物資輸入不可欠あり日本銀行総裁高橋是清日本勝算低く見積もる当時国際世論外貨調達非常苦心当時政府戦費見積もり45,000あっ戦争経験戦費3分の1海外流失ため今回15,000外貨調達必要あっこの時点日銀保有正貨5,200あり1外貨調達なけれならなかっ外国公債募集担保として関税収入充てること発行1期間10据え置き最長45金利5パーセント以下条件高橋是清外債発行主席総理曾禰蔵相から委任命令受け取っ

開戦とともに日本外債暴落おり初回計画1,000ポンド外債発行まったく引き受け現れない状況あっこれ当時世界中投資日本敗北資金回収できない判断ためある特にフランス投資ロシア同盟同盟手前あり当初非常冷淡あっまたドイツ銀行慎重あっアメリカ同様あっハーバード留学時代セオドア・ルーズベルト面識あっ金子堅太郎再度渡米直接説明ほか全米各地講演開き日本立場訴えまた金子伊沢修二留学アレクサンダーグラハムベル出向い電話通話体験ベル要人日本実情説明募債協力[17]

是清4イギリス額面100ポンドに対して発行価格93.5ポンドまで値下げ日本関税収入抵当する好条件イギリス銀行たち1か月以上交渉ようやくロンドン500ポンド外債発行成算当時香港上海銀行ロンドン支店ユーウェン・キャメロン英語のちイギリス首相デーヴィッド・キャメロン高祖父あり高橋戦費調達ためイギリス訪れこの支店から助力というエピソードある[18]またロンドン滞在あり帝政ロシア敵視するアメリカドイツユダヤ銀行ジェイコブシフ知遇ニューヨーク金融から残額500ポンド外債引き受けおよび追加融資獲得[19]

1190452仮調印こぎつけ結果当初調達金利上回る6パーセント調達割引発行あるため実質金利7償還7パーセントなっ応募状況ロンドン盛況募集26ニューヨーク3なり成功発行なっ19045会戦ロシア圧倒日本勝利する国際市場日本外債安定21904116.0パーセント償還7実質7.4パーセントとして190533ドイツ銀行MMヴァールブルク&COなど[20]参加4.5パーセント借り換え調達[注釈 5]成功この3および続く7募集パンミュア・ゴードン引受参加いる115公開市場募集利率4パーセント下げ担保消化できこのときから是清ロスチャイルド根回し好条件ベアリング貢献あっ[21]

終戦19076NMロスチャイルド&サンズロチルド・フレール参加いる後者1910新た45,000フラン貸し19519月43,4328,700フラン償還あっ[21]

結局日本1904から1907にかけ合計6外債発行により借り換え調達含め総額13,000ポンド13外貨公債発行[21]このうち最初48,200ポンド起債実質戦費調達資金ありあと2好条件切り替え発行あっしかし切り替えため鉄道国有制定する必要あっなお戦争開戦前年1903明治36一般会計歳入2.6ありいかに巨額資金調達あっ分かるこの公債世界大戦あとまで残ることなっ

一般特別会計よる戦争戦費総額182,629れる[22][注釈 6]

経過編集

戦争経過
朝鮮半島進軍日本歩兵1904撮影

開戦基本戦略編集

大日本帝国の旗  日本
海軍艦隊艦隊もっ旅順いるロシア太平洋艦隊殲滅ない封鎖艦隊もっ対馬海峡抑え制海権確保するその後陸軍一軍もっ朝鮮半島上陸朝鮮ロシア駆逐もっ遼東半島橋頭堡立て旅順孤立せるさらにこれら三軍加えもっ平野にてロシア主力早め殲滅するのち沿海州進撃ウラジオストク攻略まで想定海軍によるロシア太平洋艦隊殲滅ヨーロッパより回航予想れるバルチック艦隊到着まで行う
1904211大本営設置このとき1903大本営条例全部改正により軍事参議院設置戦時において初めて軍令機関陸海並列対等なっことから陸軍参謀総長海軍海軍軍令部長とも幕僚
ロシア帝国の旗  ロシア
陸軍日本上陸朝鮮半島南部想定付近集結北上する日本迎撃せる迎撃日本前進許し場合日本引きつけながら順次ハルビンまで後退補給延びきっ日本殲滅するという戦略変わる海軍太平洋艦隊無理決戦ヨーロッパ方面から増援待つただしロシアこの時期開戦想定おら旅順回航だっ戦艦オスリャービャ間に合わなかっなど準備万全言えるものなかっ

開戦編集

満州撮影ロシア23砲兵旅団写真
仁川海戦炎上するロシアヴァリャーグ
架け仮設渡る一軍部隊
会戦ロシア使用観測気球気嚢

日本海軍190426より行動移り釜山ロシア2拿捕[23]28日本陸軍先遣部隊12師団木越旅団日本海軍2艦隊瓜生戦隊護衛受けながら朝鮮仁川上陸その入港瓜生戦隊水雷同地派遣ロシア砲艦コレーエツ小競り合い起し最初直接戦闘あっ同日旅順ロシア旅順艦隊に対する日本海軍駆逐奇襲攻撃旅順攻撃行わこの攻撃ロシア艦艇損傷与え修復可能大きな戦果言えなかっ瓜生戦隊29仁川港外にて巡洋艦ヴァリャーグコレーエツ攻撃自沈追い込ん仁川海戦日本政府210ロシア政府宣戦布告行い211大本営設置223大韓帝国日本補給確保目的議定締結315元老松方正義井上帝国軍人援護結成するなど準備整えいっ

交渉一方打ち切り宣戦布告攻撃及んことに対しロシア抗議[24]当時攻撃開始宣戦布告なけれならないという国際規定なかっハーグ陸戦条約武力行使第三国による調停依頼する努力規定[25]違反主張

国交断絶日本攻撃国際合法[出典]また日本戦時始まり26すること決め[26]これ認められため釜山拿捕承認

36上村彦之海軍中将率いる装甲巡洋艦出雲八雲吾妻浅間防護巡洋艦笠置吉野ウスリー方面からウラジオストク接近薄氷から造船砲台市街地向け50分間砲撃引き上げロシア旅順艦隊増援頼み日本連合艦隊正面決戦避け旅順待機

連合艦隊2から5にかけて旅順出入り口古い船舶沈め封鎖しよ失敗終わっ旅順閉塞作戦413連合艦隊敷設機雷旅順艦隊旗艦ある戦艦ペトロパヴロフスク撃沈旅順艦隊司令長官マカロフ中将戦死せるという戦果上げ後任ヴィリゲリム・ヴィトゲフト少将515日本海軍戦艦八島初瀬ロシア機雷によって撃沈れる

一方ウラジオストク配備ロシアウラジオストク巡洋艦積極出撃通商破壊展開するウラジオストク艦隊425日本輸送撃沈いるこのとき捕虜なっ日本海軍少佐戦後免官なっ[27]この上村彦之中将率いる艦隊再びウラジオストク攻撃しよあり以降艦隊代わり艦隊一部除い対馬海峡警備当たっ

旅順要塞攻囲黄海海戦会戦編集

黒木大将率いる日本陸軍一軍朝鮮半島上陸430 - 51戦闘安東近郊ロシア破っ会戦続い保鞏大将率いる遼東半島上陸526旅順半島付け根ある南山ロシア陣地攻略南山戦い南山旅順要塞よう本格要塞なかっ堅固陣地死傷4,000損害受け東京大本営損害大き驚愕ひとつ間違えない疑っいう大連占領1師団残し目指し北上614旅順援護ため南下ロシア部隊戦い撃退723石橋戦い勝利

旅順要塞に対して陸軍3上旬まで監視十分ある判断その後314北上する2後方有力戦力残置する危険判断2師団からなる編成すること決定しかし海軍として陸軍援助なし海軍独力による旅順処理望んよう事前調整段階から陸軍後援要求ないしばしば口外大本営海軍幕僚伝えられる46行わ陸軍大山参謀総長児玉源太郎次長海軍軍令次長伊集院五郎合議議決陸軍要塞攻略すること海軍要請あらという1ある[28]よう4入っ海軍独力による旅順艦隊無力固執続け閉塞作戦失敗機雷による封鎖転換412 - 13実施失敗

ロシアバルト海艦隊バルチック艦隊極東回航ほぼ確定追い詰められ海軍開戦当初から拒み続け陸軍旅順参戦認めざるなくなっこのよう経緯により要塞攻略任務する三軍編成遅れ戦闘序列529発令なっ司令東京編成司令戦争旅順攻略参加経歴あっ乃木希典大将

620現地司令として満州司令設置大本営から指揮移さ68大連到着三軍司令すでに上陸師団ともにより抽出麾下加え前進開始626まで旅順外延まで進出712伊東祐亨海軍軍令部長から山縣有朋参謀総長旅順艦隊旅順より追い出す壊滅せるよう正式要請入る87より海軍陸戦重砲旅順港艦船向け砲撃開始旅順艦隊損傷与え

これ受け旅順艦隊810旅順からウラジオストク向け出撃待ち構え連合艦隊海戦起こっこの海戦旅順艦隊旗艦司令長官巡洋艦駆逐過半事実失い残っ艦艇大きな損害受け旅順引き返し黄海海戦コルサコフ海戦ロシアウラジオストク艦隊615輸送常陸撃沈する常陸事件など活発通商破壊続け旅順艦隊呼応出撃する814日本海軍艦隊蔚山捕捉艦隊ウラジオストク艦隊損害与えその後活動阻止蔚山海戦旅順艦隊出撃あきらめ作戦能力失っ日本それ確認でき三軍要塞に対し攻撃819開始しかしロシア近代要塞死傷15,000という損害受け失敗終わる

8月日本一軍および野津道貫大将率いる戦略拠点迫っ824 - 94会戦南側から正面攻撃かけ一軍東側山地迂回背後進撃ロシア司令クロパトキン大将撤退日本占領もののロシア撃破失敗109 - 1020ロシア攻勢出る日本防御失敗する会戦こののち奉天瀋陽中間付近流れる対陣入っ

1015ロジェストヴェンスキー中将率いるバルチック艦隊正確バルチック艦隊から抽出太平洋艦隊旅順旅順陥落ウラジオストク向けリエパヤ出発しかし1021北海ドッガーバンク海上日本海軍誤認イギリストロール船攻撃ドッガーバンク事件発生元々同盟結んいた事加えトラファルガー海戦記念当日起こっ出来事あっから世論激高買っ[29]おろか当時イギリス国王エドワード7最も卑怯暴行事件評し[30]だけなく英国海軍艦艇28補給あるスペインビーゴまで追跡れるなる[31]など一触即発事態発展

旅順攻略編集

旅順降伏ステッセル将軍中央
旅順要塞28センチ砲撃

三軍旅順攻撃続行あっしかしながら港湾から観測射撃8 - 10まで黄海海戦挟ん実施旅順艦隊壊滅成功しかし日本それ確認することできその後作戦運用混乱もたらすことなっ

三軍要塞東北方面防衛突破その背後ある旅順要塞最高峰ある占領すること要塞死命制し海軍要望果たそ9191026前後分け行わ攻撃突起形成いる攻撃占領拠点周辺安定せること目的203高地以外作戦目標攻略目的達成中央失敗判断

この三軍海鼠占領旅順ほぼすべて観測することできるようなっ旅順艦隊主力引きこもっいる海域だけ俯瞰できこのころより海軍より旅順一望できる203高地攻略優先するよう要請するこの海軍要請大本営追認する三軍上級司令ある満州東北方面主張続け対立大本営海軍天皇勅許まで取り付け方針変更するよう促し

1126から攻撃苦戦陥る途中より乃木判断要塞東北方面攻撃一時取りやめ203高地攻略方針変更する戦況懸念児玉源太郎大将大山元帥了承もらっ旅順方面向かっ直前乃木攻撃目標変更こと受けその攻略尽力激戦125旅順港一望できる203高地占領達成しかしその後要塞落ち三軍作戦目的ある要塞攻略続行190511ようやく東北方面防衛突破占領

これ受けロシア軍旅順要塞司令ステッセル中将降伏決意旅順艦隊203高地奪わ時点すでに乗員陸地揚げ防衛投入おり戦力として無力観測射撃受けるようなっしかし日本砲弾品質問題などほとんど船底貫通れることなくほとんど艦艇要塞降伏前後すぐさま使用できないようすべて自沈られ

対陣続いロシア新た前線着任グリッペンベルク大将主導125日本左翼位置する方面攻勢一時日本戦線崩壊危機陥っ秋山好古少将立見尚文中将奮戦により危機脱し会戦2三軍戦線到着

奉天会戦編集

渡河実施する奉天ロシア

日本ロシア拠点奉天向け作戦開始する奉天会戦221日本右翼攻撃開始31から左翼三軍奉天側面から背後向け前進ロシア予備投入三軍ロシア猛攻崩壊寸前なりつつ前進続け39ロシア司令クロパトキン大将撤退指示日本310奉天占領またもロシア撃破失敗

この結果受け日本依頼受けアメリカ合衆国大統領セオドア・ルーズベルト和平交渉開始まもなく日本近海到着するバルチック艦隊期待ロシアこれ拒否一方陸軍一連戦いともに大きな損害受け作戦継続困難なっためその後終戦まで付近対峙続い

日本海海戦編集

バルチック艦隊7か月及ん航海日本近海到達527東郷平八郎率いる連合艦隊激突日本海海戦529までわたるこの海戦バルチック艦隊その艦艇ほとんど失うのみなら司令長官捕虜なるなど壊滅打撃受けこれに対して連合艦隊喪失わずか水雷3という近代海戦史上においてない一方圧勝終わっこの海戦結果日本制海権確定頼みバルチック艦隊完膚なきまで叩きのめさ追い込まロシア和平向け動き出し

また欧米各国におけるロシア有利予想くつがえすだけなくバルチック艦隊壊滅するという予想なかっ海戦結果列強諸国驚愕トルコようロシア脅威さらさポーランドフィンランドようロシア編入地域のみならイギリスフランスアメリカオランダなど白人国家による植民支配甘んじアジア各地民衆熱狂

講和勧告樺太攻略編集

セオドア・ルーズベルト大統領日本海海戦あと外務大臣小村寿太郎から要請受け190566日本ロシア両国に対し講和勧告行いロシア12公式勧告受諾

日本和平交渉進むなか7樺太攻略作戦実施全島占領この占領のち講和条約樺太日本割譲もたらすことなる[32]講和以降樺太王子製紙富士製紙樺太工業などパルプ産業企業進出

講和編集

ロシア日本に対する相次ぐ敗北それ含め帝政に対する民衆不満増大国民厭戦気分蔓延経済停滞一途たどり190519日曜日事件発生さらにバルチック艦隊壊滅制海権失っうえ日本明石元二郎大佐による革命運動支援工作これ拍車かけ国家として戦争継続困難情勢なっ

日本勝利次ぐ勝利ロシア土壇場まで追い詰めものの19か月戦争期間戦費18あまり[出典]投入戦費ほとんど戦時国債によって調達また当時日本常備兵力20に対して総動員兵力109達しことなどから国内産業稼働低下経済疲弊するなど国力消耗激しく講和提案拒否なかっ

アメリカ仲介により講和交渉テーブル着い両国810からアメリカニューハンプシャーポーツマス近郊終戦交渉臨み190595締結ポーツマス条約により講和日本ポーツマス条約によって遼東半島関東租借鉄道長春大連支線朝鮮半島監督[33]鉄道守備のち関東なっ[34]10満州司令関東総督設置軍政敷い[34]清国これ抗議日本門戸閉鎖に対して反発[35]19063満州門戸開放迫っため日本満州開放方針確認関東総督関東として改組[33]190611民間企業日本最大コンツェルンとして満州鉄道株式会社設立以降満州鉄道する満州経営権益日本重大課題なっ[33]

同盟攻守同盟強化日本朝鮮半島支配イギリスインド支配相互承認[33]またアメリカともタフト協定日本朝鮮半島支配アメリカフィリピン支配相互確認[33]フランス同盟ロシア弱体受け日本接近1907協約締結[33]ロシア国内革命運動激化など背景日本接近1907協約協商締結日本満州ロシア満州勢力範囲日本朝鮮半島支配ロシア特殊利益相互承認[33][36]日本列強承認1910韓国併合いたっ[33]満州10生霊20国帑購わ特殊地域日本みなし[37]イギリスフランスロシア日本によるドイツ包囲形成日本国内路線路線対立[33]関係満州権益をめぐって対立また日系移民排斥問題など発生悪化[33]1907紳士協定1908高平ルート協定によって緊張宥和1911通商航海条約によって日本関税自主権獲得日本従属立場解消[33]

明治天皇講和条約締結から8か月190667帝国軍人後援に対し慰労勅語下し[38]

明治 戦役に際し時に及び募り軍人家族遺族廃兵救護経営資し軍人援護致せ深く嘉す

年表編集

分類 出来事
1904年02月06日 戦争 日本ロシアに対して最後通牒発令
1904年02月08日 戦争 日本陸軍先遣仁川上陸
1904年02月08日 戦争 日本海軍旅順ロシア艦隊夜襲
1904年02月09日 戦争 仁川海戦
1904年02月10日 戦争 相互宣戦布告
1904年02月11日 日本国内 大本営設置
1904年02月12日 世界情勢 清国局外中立宣言する
1904年02月23日 日本国内 大韓帝国議定結ぶ
1904年02月24日 戦争 旅順閉塞作戦
1904年03月27日 戦争 旅順閉塞作戦
1904年04月01日 日本国内 非常特別税煙草専売公布する
1904年04月08日 世界情勢 協商締結れる
1904年05月01日 戦争 会戦
1904年05月08日 戦争 日本遼東半島上陸開始
1904年06月15日 日本国内 常陸事件
1904年06月20日 日本国内 満州司令設置する
1904年07月28日 ロシア国内 ヴャチェスラフ・プレーヴェ内務大臣暗殺れる
1904年08月10日 戦争 黄海海戦
1904年08月22日 日本国内 大韓帝国協約結ぶ
1904年08月14日 戦争 蔚山海戦
1904年08月19日 戦争 旅順攻撃
1904年08月30日 戦争 会戦
1904年10月09日 戦争 会戦
19041015 戦争 バルチック艦隊出航
19041126 戦争 旅順攻撃
1904年12月05日 戦争 日本旅順203高地占領
19041231 戦争 旅順攻撃
1905年01月01日 日本国内 非常特別税改正専売相続税法公布する
1905年01月02日 戦争 旅順開城
1905年01月22日 ロシア国内 日曜日事件起きる
各地ストライキ起きる
1905年01月25日 戦争 会戦
1905年01月28日 日本国内 竹島命名島根管轄する閣議決定
1905年03月01日 戦争 奉天会戦
1905年03月08日 日本国内 鉱業公布する
1905年03月31日 世界情勢 モロッコ事件
1905年05月27日 戦争 日本海海戦
1905年06月 ロシア国内 各地反乱暴動起きるロシア革命始まり
1905年06月07日 世界情勢 ノルウェースウェーデンから分離独立宣言する
1905年06月09日 戦争 セオドア・ルーズベルト正式両国講和勧告
1905年06月14日 ロシア国内 戦艦ポチョムキン反乱起きる
1905年06月12日 戦争 ロシア講和勧告正式受諾
1905年07月07日 戦争 日本樺太上陸樺太作戦開始
1905年07月23日 ロシア国内 ニコライ2ドイツ帝国皇帝ヴィルヘルム2ビヨルケ密約結ぶ
1905年07月29日 日本国内 タフト協定締結する
1905年07月31日 戦争 日本樺太占領
1905年08月09日 戦争 ポーツマス講和会議始まる
1905年08月12日 日本国内 同盟改訂する
1905年08月20日 世界情勢 中国同盟結成
1905年09月01日 戦争 両国休戦議定調印休戦
1905年09月05日 戦争 両国講和条約ポーツマス条約調印
190510 ロシア国内 ゼネラルストライキ起きる
19051014 戦争 両国講和条約ポーツマス条約批准終戦
19051017 ロシア国内 ニコライ2十月詔書署名する
19051220 日本国内 大本営解散

影響編集

日本編集

日本この戦争勝利ロシア帝国南下抑えること成功加え戦後協約成立こと関係急速改善革命によりロシア帝国崩壊するまでその信頼関係維持この条約により相互勢力確定日本朝鮮半島権益確保うえロシア帝国軍事脅威排除当面安全保障達成また新た鉄道一部ある満州鉄道獲得するなど満州における権益得ることなっ

こうして日本最大目標達成しかし講和条約内容賠償取れないなど国民にとって予想厳しい内容だっため日比谷事件はじめとして各地暴動起こっ結果戒厳敷かれるまで至り戦争指導内閣退陣これいかなることあれロシア弱みなること秘密しよ日本政府政策加え新聞以下マスコミ各社戦争引き合い出し戦争に対する国民期待煽っため修正利かなくなっことあり国民多くロシア勝利ものの日本その国力戦争により疲弊きっという実情知らさ相次ぐ勝利によってロシア簡単屈服よう錯覚反動からいるものある

190591大阪朝日新聞社説天皇陛下和議破棄命じはんこと奉る掲載つづい国民新聞除く有力こぞって条約反対論説展開

賠償取れなかっことから日本ジェイコブ・シフクーン・ローブに対して金利払い続けることなっ戦争もっとも儲けシフロシア帝国ポグロムユダヤ主義報復融資動機いわのちレーニントロツキー資金援助

しかし当時列強諸国から恐れられ大国あるロシア勝利こと同盟イギリスアメリカフランスドイツなど列強諸国日本に対する評価高め明治維新以来課題あっ不平等条約改正達成大きく寄与のみなら白人として唯一列強諸国仲間入りのち大国一角占めることなっ

この戦争において日本および政府旅順要塞司令ステッセル降伏帯剣許すなど武士精神則り敗者非常紳士扱っほか戦争捕虜非常人道的扱い日本赤十字ロシア戦傷救済尽力日本国内各地捕虜収容設置愛媛松山あっ施設著名あっためロシア降伏すること日本語マツヤママツヤマ勘違いというエピソードある[注釈 7]終戦日本国内ロシア捕虜ロシア本国送還熊本物産事務所収容ロシア士官帰国決定全員自殺いる[注釈 8]

元老ありながら参謀総長として戦争指揮山縣有朋発言高まり陸軍大陸帝国[注釈 9]ロシアによる復讐可能唱え1907山縣主導によって平時25師団体制確保する帝国国防方針まとめられしかし戦後財政難から師団増設順調いか18師団20師団すること是非をめぐって2師団増設問題発生することなっ

戦争において旅順要塞戦闘苦しめられ陸軍戦後ロマン・コンドラチェンコによって築か旅順要塞堡塁模倣永久防塁呼ば演習構造陸軍習志野構築演習など行い要塞戦術について研究というエピソード残さおり当時陸軍与え影響大き物語っいるなお脚気惨害について陸軍脚気惨害海軍状況参照こと

1907921山縣有朋伊藤博文大山公爵授与[40]

戦争状況映画として記録各地上映1904仙台留学だっ魯迅ロシアスパイとして処刑れる中国人影響影響医学から文学転向

ロシア編集

不凍港求め伝統南下政策この戦争動機ひとつあっロシア帝国この敗北極東南下政策もと侵略断念南下矛先再びバルカン向かいロシアスラヴ主義全面唱えることなるこのことゲルマン主義唱えるドイツ同じくバルカン侵略企むオーストリアハンガリー帝国対立招き世界大戦引き金なっ

また戦時国民生活窮乏により日曜日事件戦艦ポチョムキン叛乱などより始まるロシア革命発生することなる

西欧編集

イギリス戦争勝利日本評価改め1905812それまで同盟攻守同盟強化する同盟協約また戦争きっかけ関係関係急速改善それぞれ協約協商締結すで締結協商あわせ欧州情勢戦争以前勢力鼎立状況から協商同盟対立向かっこうしてイギリス仮想敵国戦争敗北により国力疲弊ロシアからドイツ切り替えドイツイギリス競争拡大いく

アメリカ編集

ポーツマスにおける政府代表

アメリカポーツマス条約仲介によって漁夫自ら進出すること企んおり講和満州ロシアから譲渡鉄道支線合弁経営する予備協定内閣成立ハリマン協定19051012これアメリカ鉄道ハリマン参画せるというものハリマン資金協力クーン・ローブすなわちジェイコブシフあっこの協定小村外相反対によりすぐさま破棄日本外債講和協力アメリカその後機会均等掲げ中国進出意図思惑により中国権益から締め出さしまう結果なっ

大統領セオドア・ルーズベルトポーツマス条約締結至る和平交渉貢献評価1906ノーベル平和受賞感情ポーツマス講和協力以降急速悪化いくなおルーズベルト大統領新渡戸稲造武士陸海教科書として配布

急激国力存在高め黄色人種ある日本人種差別感情あわせ中国利権から締め出しによる焦りさらに日比谷事件日本群衆怒り講和斡旋アメリカ向けられ東京アメリカ公使館など襲撃対象なっこれに対してアメリカ世論憤慨黄色人種人種差別感情もと黄禍高まっいくこれら関係急速悪化により同盟協約日本同盟攻守同盟性格強化ばかりイギリス新た巻き起こっ日本アメリカ対立巻き込まれること恐れ始め[41]

また日本勝利米国白人至上主義戦っアフリカアメリカ活動たち刺激与え黒人社会において日本興味称賛連帯促す言説多く行わ[42]

清朝編集

戦争戦場あっ満州主権あっ満州民族による王朝ある建国以来父祖ある民族入れないという政策取り中国内地よう細かい行政制度採用なかっ開発南部遼東西除き進んおらこうしたこと原因なっ19世紀ロシア進出に対して対応遅れ鉄道ハルビンはじめする植民都市建設まで許すことなっさらに義和混乱完全ロシア制圧1901北京議定締結ロシア占拠続いため袁世行政体制内地同一するなど統治強化主張しかし清朝対応遅れそういるうち両国開戦自国領土他国同士戦うという事態なっ

終戦日本当初唱えにおける列国機会均等原則翻し共同利権分け合うこと画策こうした状況危機つのら清朝山東から民族移民奨励人口密度向上努め終戦翌々年1907内地同じによる行政制度確立ある推計よる1880から1910にかけて東三人口7434,000から1,7836,000まで増加いる[43]さらに同年袁世北洋一部駐留警察防衛増強するとともに行動歯止めかけ

革命により1912退位袁世中華民国2臨時総統就任持つ利権に対してアメリカ資本導入相互勢力牽制せること対抗図っ袁世失脚日本工作ありうまくいかなかっまた1917ロシア帝国崩壊日本利権扶植走り1932満州建国世界大戦日本敗れ満州滅亡する代わっ侵攻ソ連進駐乗じ日本残しインフラ持ち去り旅順大連租借主張中華民国から領土奪い取っ中華人民共和国ソ連から満州完全返還1955ことあり戦争から50ことあっ

アジア日本あること白人アジア軽視できなくなっアジア全体国際地位高くなっ述べいる[44]

大韓帝国編集

戦争風刺

開戦大韓帝国日本ロシア政争継続その後日本戦況優勢系列から1904設立大衆親日独立運動から日本支援受け合邦運動発展ただし当初党是韓国自主独立あっ

戦争ロシアによる脅威なくなっ朝鮮半島日本影響絶大なりのち大韓帝国さまざま権利日本委譲することなりさらに日本保護なる1910明治43併合条約締結により大韓帝国大日本帝国併合

モンテネグロ公国編集

モンテネグロロシア立ち1905日本宣戦布告ロシアとともに戦うため義勇満州派遣[45]しかし実際戦闘参加なかっことからその宣戦布告無視講和会議招かなかっそのため国際モンテネグロ公国日本戦争継続いるという奇妙状態なっのち世界大戦ともに連合として戦うことなっモンテネグロ王国その最中セルビア王国によって併合ユーゴスラビア王国その後世界大戦においてユーゴスラビア日本戦争状態なっ1952ユーゴスラビア社会主義連邦共和書簡交わさ日本ユーゴスラビア戦争状態日本平和条約発効1952428をもって終了すること合意[46]

しかしその後セルビアモンテネグロ旧名ユーゴスラビア連邦共和からモンテネグロ独立するこの問題取り上げられモンテネグロおよびセルビアモンテネグロユーゴスラビア社会主義連邦継承ある認められおらモンテネグロ日本戦争状態に関する条約不在状態なっ2006平成18214鈴木宗男衆議院議員モンテネグロ王国日本に対して宣戦布告という事実あるポーツマス講和会議モンテネグロ王国代表招か日本モンテネグロ王国戦争状態どのよう手続きとっ終了内容質問主意提出[47]これに対し日本政府政府としてモンテネグロ我が国に対して宣戦布告こと示す根拠ある承知ないモンテネグロ全権委員指摘ポーツマスにおいて行わ講和会議参加ない答弁出しいる[48]

200663モンテネグロ独立宣言に際し日本政府616独立承認山中燁子外務大臣政務総理特使として派遣[49]UPI通信616ベオグラードB92ラジオニュース引用特使独立承認100以上勃発戦争休戦通達行う予定報道[50]ただし日本国外務省から特使派遣報告はじめとして戦争休戦関連する情報出さない[51]参考外交終結まで長期わたっ戦争一覧

なお同盟規定により当時日本2か国以上戦争状態なっ場合イギリス参戦義務生じることなる仮に日本モンテネグロ宣戦布告無視なかっ場合かなり厄介問題引き起こすことなっ[注釈 10]

その他各国編集

当時欧米列強支配あり世界大戦独立国々指導たち回顧有色人種小国白人大国勝っという前例ない事実アジアアフリカ植民なっ地域独立気概弾みつけ人種差別あっ人々勇気づけ記される[52]など欧米列強による植民時代における感慨記録数多く見受けられる[注釈 11]

またエチオピア戦争エチオピア帝国イタリア王国勝利先例あるこれ全面軍事支援によるものあっそのため戦争における日本勝利有色人種国家独自軍隊による白色人種国家に対する近代勝利言えるただし1804独立ハイチナポレオン率いるフランス撃退世界黒人共和なっおり有色人種白人勝利あるまた絶対君主ツァーリズム続けるに対する立憲君主勝利という側面あっいずれ戦争における日本勝利世界及ぼし影響大きく来日ドイツ帝国医者エルヴィン・フォン・ベルツ自分日記戦争結果についてこの日記書いいる世界歴史重要1ページ決定いる書い

実際戦争影響受けロシア植民あっ地域ヨーロッパ諸国植民そのほとんど占めアジア特に独立革命運動高まり清朝における革命オスマン帝国における青年トルコ革命カージャールにおける立憲革命インドシナにおけるファン・ボイ・チャウ東遊運動インド帝国におけるインド国民会議カルカッタ大会オランダインドにおけるブディ・ウトモなど影響与えいる戦争研究知られるイスラエル歴史学者ロテム・コウナーen:Rotem Kowner白人打ち負かさうる存在ある思わ戦争結果アジアにおけるすべて国民解放運動影響与え述べいる[53]

インドネルー小さな日本大きなロシア勝っことインド深い印象刻み付け日本もっとも強大ヨーロッパに対して勝つことできならどうしてそれインドできないいえよだから日本勝利アジアにとって偉大救いあっインド我々長くとらわれ劣等取り除いくれ日本大国ロシア破っインド国民非常刺激受け帝国インドから放逐べきとして独立運動インド広がっインドイギリス劣等もっヨーロッパアジア遅れから自分たち支配受ける言っ日本勝利アジア人々救っ述べいる[44]チャンドラ・ボース来日日本皆さんから東洋民族ある日本強大ロシア戦い大敗ましこのニュースインド伝わる興奮全土覆い旅順攻略日本海海戦話題持ちきりなり子供東郷元帥乃木大将尊敬ましというメッセージ日本国民送っいる[54]

ビルマバー・モウアジア目覚め発端またはその発端出発あっ回想おりウー・オッタマ英語日本なる著書刊行日本興隆戦勝原因明治天皇中心青年団結起っからわれわれ仏陀教え中心青年団結決起すれ必ず独立勝ち取ることできる長年イギリス桎梏から逃れる日本頼る以外ない述べいる[54]

フィリピンアメリカから独立目指す革命司令リカルテから一般庶民至るまで戦争独立好機捉え日本海海戦日本勝報接する民衆それ祝福する挨拶交し合いマニラ旗行列まで行わ[54]

アゼルバイジャン思想家ターレボフ人生問題において日本皇帝アジアたちよき手本提供もしたち狩猟黄金ちりばめ王宮安眠代わりその時間少しでも王国問題解決国民福祉考えるため費やすなら彼らきっと天皇方策模倣することなる記し大日本帝国憲法掲載また日本同盟日本将校招聘求める上がっ[55]

イラン詩人ホセイン・アリー・タージェル・シーラーズィー明治天皇称えるミカド・ナーメ天皇出版叙事詩明治天皇即位から明治維新近代改革戦争干渉そして戦争まで語っおり[55]立憲体制日本世界新しい投げかけ長い無知暗闇駆逐日本賛美[56]

東方からまたという太陽昇っくるだろ
眠っ人間がそから跳ね起きる
文明夜明け日本から拡がっとき
この昇る太陽世界明るく照らし出さ
— ホセイン・アリー・タージェル・シーラーズィーミカド・ナーメ

イランロシアなど進出受け弱体ぶり露呈ガージャールにおける革新運動台頭するこうした運動台頭日本ロシア勝利収めこと関連おり日本ロシア勝利収めという事実多くイラン変革欲求もたらし日本勝利原因についてイラン考えこと立憲国家日本立憲国家ロシアに対する勝利あり憲法こそ日本勝利秘訣という結論至り憲法必要考えるイランたちカーヌーン(憲法)、カーヌーン叫ん憲法要求イラン立憲革命運動広がっ[57]

ペルシア雑誌ハブラル・マタン(19128)明治天皇崩御受け日本先帝陛下ロシア撃破アジア全般立憲思想普及日本立憲政体倣っ最初帝国ペルシャありそれにトルコ最後清国つづいそもそもこの帝国終始ロシア圧迫威嚇受け専制君主あるロシア配慮立憲不可能だっそれゆえ日本先帝陛下アジアに対する解放ありアジア仁恵ある明言することできるという論説掲載[55]

トルコ戦争皇帝から庶民まで日本声援送り赤十字新聞通じ日本寄付送るもの多く[55]ハリデ・エディプ・アドゥヴァル東郷大将ちなみ次男ハサン・ヒクメトッラー・トーゴー名付けるなどトルコ戦争活躍東郷将軍乃木将軍名前人名通り名前付けられおり現在でもイスタンブールトーゴ通りノギ通りがる[56]

エジプト政治ムスタファー・カーミル英語日本人こそヨーロッパ身のほどわきまえさせやっ唯一東洋あるいい[58]昇る太陽という日本紹介著し昇る太陽という表現エジプト独立期待希望込められおりイギリスからエジプト完全独立達成するため日本から教訓得よという考えもと明治日本発展日本人愛国心それ支える教育政治経済など制度ある主張[57]また詩人ハーフィズイブラヒム英語持っ戦う能わ砲火飛び散る戦い傷病尽くすわが務め日本従軍看護称える日本乙女という作っ[58]

なお戦争日本勝利当時ロシア支配あっフィンランド喜ば東郷平八郎知れ渡り東郷ビールなるビール製造逸話あるこれ誇張ないし誤りある実際フィンランドビール会社製造東郷ビール24ラベルある提督ビールAmiraali Olutうちひとつすぎないこの提督ビール東郷平八郎以外山本五十六そしてロシア海軍提督肖像使わいる

開戦に関する条約創設編集

日本ロシア皇帝ニコライ2に対し宣戦布告ないまま旅順ロシア旅順艦隊襲撃ことから1907万国平和会議開戦に関する条約創設討議行わまたハーグ陸戦条約改訂行わ日本双方署名19112内閣批准日本における効力発生1912

その後関係編集

満州アメリカ進出警戒両国次第に接近1907両国協約締結相互権益保全するという合意締結以降関係ほとんど同盟状態近いものなっ[59]しかロシア革命勃発によってこの関係崩壊することなる

発行編集

特殊切手として1906429153切手発行

戦争題材作品編集

Category:戦争題材作品参照

小説編集

編集

映画編集

テレビドラマ編集

漫画編集

ゲーム編集

脚注編集

[脚注使い方]

注釈編集

  1. ^ 密約特に1900締結密約によりロシア帝国事実植民状態あっ
  2. ^ 靖国神社資料靖国神社戦争合祀よる日本長期統計総覧よれ死没84,435[1]戦死戦病死戦争ヨリ満州事変日本外交経済得失よれ55,655[2]
  3. ^ 戦時6直接戦闘8始まり宣戦布告10どれ戦争開始する資料により異なる
  4. ^ 公文書において対外 日本国 日本帝国 あるいは単に帝国表記
  5. ^ 3割引発行ので償還20実質5.0%担保煙草専売
  6. ^ 戦争しばしば高橋による外債工面注目れる金本位において正金交換媒体すぎ海外から物資調達日本から交易輸出により支弁正金その融通ため穴埋めヴェールすぎない高橋外貨調達なけれ決済資金不足により海外交易途絶する可能あっためロンドン金融シフによる与信供与重要特筆れるものある彼ら日本人費用負担くれ言えそうなく日本人信用資金用立てくれというある最終戦費外債支払い利息含めすべて日本政府すなわち日本人負担ポーツマス条約戦争賠償期待できないこと明らかなるロンドンにおける日本国外債評価一時混乱
  7. ^ 捕虜参照
  8. ^ このうち東部シベリア狙撃13連隊所属イグナティアン・ドレヴイチャセウイチ熊本フランシスコ修道院近く現存する[39]
  9. ^ 従来島国ある日本本土防衛重視海軍充実主唱アジア大陸東部韓国支配置い以上日本大陸国家として備え即ち強力陸軍必要あるする主張こと
  10. ^ 同盟主旨一つ日本ロシア戦争突入フランスなどロシア友好国参戦する牽制することあるイギリス簡単参戦しまっロシア友好国参戦する呼び水なっしまう
  11. ^ たとえばカナダサスカチュワン州ウクライナ移民自分カド名付けいる

出典編集

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参考文献編集

歴史編集

  • デニスウォーナーペギー・ウォーナー尾作三谷庸雄戦争時事通信社1978ISBN 4788778254
  • 軍事学会 戦争国際文脈2004ISBN 4764603187
  • 軍事学会 戦争戦い諸相遺産2005ISBN 4764603195

戦時史料編集

従軍回想編集

近年刊行関連書籍編集

関連項目編集

外部リンク編集