岩手県
いわてけん 岩手県 | |||||
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| |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
団体コード | 03000-7 | ||||
ISO 3166-2:JP | JP-03 | ||||
面積 |
15,275.01km2 | ||||
総人口 |
1,194,259 (推計人口 | ||||
人口密度 | 78.2人/km2 | ||||
隣接都道府県 |
青森県 宮城県 秋田県 | ||||
県の木 | ナンブアカマツ | ||||
県の花 | キリ | ||||
県の鳥 | キジ | ||||
県の魚 県の歌 |
ナンブサケ 岩手県民の歌 | ||||
岩手県庁 | |||||
知事 | 達増拓也 | ||||
法人番号 | 4000020030007 | ||||
所在地 |
〒 岩手県盛岡市内丸10番1号 北緯39度42分12.6秒 東経141度9分9.8秒 / 北緯39.703500度 東経141.152722度 | ||||
外部リンク |
公式ウェブサイト | ||||
ウィキポータル | 日本の都道府県/岩手県 | ||||
ウィキプロジェクト |
概要編集
東北地方の北部(北東北)に所在し、北は青森県、西は秋田県、南は宮城県と境界を接している。面積は15,275.01km2で[1]、日本の都道府県としては、北海道に次いで2番目に広い。県の人口およそ120万人のうち、100万人以上(7割強)は、内陸部の北上盆地に集中している。盆地と海岸部以外は山地や丘陵地が多く、緑豊かな県である。
江戸時代の幕藩時代は、現在の岩手県の前身にあたる地域は南部藩の北部と伊達藩の南部で構成されていた(このため県内において、呼称としての「南部」は地理的な意味とは逆に県北部を指す場合がある)。また、岩手県内で陸前に該当する地域は釜石以南の三陸地方のみである。南部(県北)地域は陸中に当たる。
名称編集
「岩手」の名称は、県庁の置かれた盛岡市の所属郡名「岩手郡」に由来する。その起源については、「住民の悪鬼追討の祈りに対し、人々の信仰を集めて『三ツ石さま』と呼ばれていた大岩(三ツ石の神、現:三ツ石神社)がそれを懲罰し、二度とこの地を荒らさないという鬼の確約を岩の上に手形で残させた」という故事に倣うとされる。
また、「岩手」の名が文献に登場するのは、「みちのくから都に献上された鷹を、帝がたいそう気に入り、鷹に慣れた大納言に預けたが、取り逃がしてしまった」という大和物語の一説の鷹の名「岩手」が初めてだといわれている。帝は、岩手を失った悲しみを「言わないことが言うことより気持ちが勝る」の意味で、「岩手=言はで」に掛け「いはでおもふぞいふにまされる」と詠じたという。この表現は、古今和歌集の中からの本歌取りである。
1872年の発足以降現在に至るまで正式には「岩手県」であるが、明治・大正期には「巌手県」の表記も行われ、県報には「巌手県報」の題字が使用されるなど両方が併用されていた[注 1]。「岩手県」に一本化されたのは1923年9月22日で、「岩手県報 第847号」に「縣名ノ文字ニ關スル件」が公示され「岩手県」を正式名としている[2]。
地理・地域編集
自然公園編集
地形編集
- 山岳
- 高原
- 山地・山塊
- 北上山地、和賀山塊
- 河川
- 湖沼
気候編集
気候区分は内陸の那須火山帯の麓は日本海側気候、それ以外の地域は太平洋側気候。それに併せて、内陸は内陸性気候で夏は暑く冬は寒く、太平洋側沿岸部は海洋性気候で夏は涼しい。(→東北地方#気候)。三陸海岸沿岸部はケッペンの気候区分では西岸海洋性気候 (Cfb) に分類されることもある。北部内陸地方や西部山岳地帯は亜寒帯湿潤気候 (Dfa, Dfb) に属し、寒さが非常に厳しく、特に藪川は冬季に−30°C近くまで冷え込むこともある本州最寒地として有名である。
県内全域が豪雪地帯に指定されているものの、冬の積雪量には地域差が大きい。西和賀町と八幡平市は積雪量がかなり多く、特別豪雪地帯に指定されている。奥羽山脈では、積雪量が多く雪質も良いため、いくつかのスキー場でスキーやスノーボードの国際大会や国内大会が開かれることが多い。一方、太平洋側に位置する宮古市、大船渡市などは積雪量は概して少ない。
太平洋側の盆地である北上盆地は、冬季の西高東低の気圧配置になると奥羽山脈が「壁」の役割をはたして晴天になる場合も多い。そのため、放射冷却によって早朝の最低気温がかなり低くなる。対して、降雪時や曇天の場合は気温が下がりづらい。北上盆地に位置する盛岡市は、このような放射冷却の影響がある脊梁山脈東側盆地の最北端都道府県庁所在地であるため、(日本海側のため冬季は曇天が多く、放射冷却がおきにくい)青森市や札幌市など、より北に位置する都道府県庁所在地よりも最低気温が下回る時が多く、東北地方では勿論、日本の都道府県庁所在地で最寒都市である日が多い。実際、北上盆地の各都市(盛岡市、花巻市、北上市、奥州市)は、今でも厳冬期に−15°C前後まで下がることも珍しくなく、北海道を除き、標高が高くない都市平地部では最も冷え込みが厳しい地域である。しかし、冬場の朝晩は市街地と郊外の気温差は非常に大きく、盛岡、北上、一関を中心にヒートアイランドが顕著に見られる。
一方、北上盆地の夏は、フェーン現象の影響で、南にあり海洋性気候の傾向もある仙台市よりも気温が高いことがしばしばあるが、沿岸部は仙台市と同様の気候となることが多い。
平年値 (月単位) |
三陸海岸 | 北部内陸 | 北上高地 | |||||||||||||||
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洋野町 種市 |
久慈 | 普代 | 岩泉町 小本 |
宮古 | 山田 | 釜石 | 大船渡 | 軽米 | 二戸 | 八幡平市 荒屋 |
八幡平市 岩手松尾 |
一戸町 奥中山 |
久慈市 山形 |
葛巻 | 盛岡市 藪川 |
宮古市 区界 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 21.1 (8月) |
21.6 (8月) |
21.0 (8月) |
21.5 (8月) |
21.2 (8月) |
21.9 (8月) |
22.9 (8月) |
23.0 (8月) |
21.1 (8月) |
22.7 (8月) |
21.7 (8月) |
21.3 (8月) |
20.8 (8月) |
20.9 (8月) |
21.5 (8月) |
19.4 (8月) |
|
最寒月 | −1.1 (1月) |
−1.5 (2月) |
−1.4 (1月) |
-0.9 (1月) |
−1.3 (1月) |
0.6 (1月) |
0.7 (1月) |
−3.0 (1月) |
−2.3 (1月) |
−3.6 (1月) |
−3.5 (1月) |
−4.8 (1月) |
−3.1 (1月) |
−3.9 (1月) |
−7.0 (1月) |
|||
降水量 (mm) |
最多月 | 196.4 (9月) |
205.0 (9月) |
257.8 (9月) |
257.1 (9月) |
229.4 (9月) |
234.6 (8月) |
287.2 (8月) |
218.7 (9月) |
160.6 (9月) |
161.2 (9月) |
163.3 (9月) |
159.0 (9月) |
171.5 (8月) |
170.3 (8月) |
154.0 (8月) |
183.7 (7月) |
|
最少月 | 36.0 (12月) |
30.3 (12月) |
36.7 (12月) |
38.4 (12月) |
39.9 (12月) |
42.7 (1月) |
47.0 (1月) |
36.9 (12月) |
28.2 (1月) |
32.3 (1月) |
70.8 (2月) |
38.3 (1月) |
53.5 (2月) |
45.8 (1月) |
34.3 (1月) |
30.4 (1月) |
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平年値 (月単位) |
北上高地 | 中西部 | 北上盆地 | |||||||||||||||
岩泉 | 宮古市 川井 |
遠野 | 住田 | 西和賀町 沢内 |
西和賀町 湯田 |
盛岡市 好摩 |
盛岡 | 雫石 | 紫波 | 花巻市 大迫 |
花巻 | 北上 | 奥州市 江刺 |
奥州市 若柳 |
藤沢 千厩 |
一関 | ||
平均 気温 (°C) |
最暖月 | 22.0 (8月) |
22.4 (8月) |
22.5 (8月) |
22.7 (8月) |
21.9 (8月) |
22.2 (8月) |
22.4 (8月) |
23.2 (8月) |
22.4 (8月) |
22.9 (8月) |
22.9 (8月) |
23.7 (8月) |
23.5 (8月) |
23.2 (8月) |
23.2 (8月) |
23.8 (8月) | |
最寒月 | −1.3 (1月) |
−1.4 (1月) |
−2.8 (1月) |
−1.0 (1月) |
−3.4 (1月) |
−3.0 (1月) |
−3.2 (1月) |
−2.1 (1月) |
−3.0 (1月) |
−2.3 (1月) |
−2.5 (1月) |
−1.5 (1月) |
−1.7 (1月) |
−1.7 (1月) |
−1.3 (1月) |
−0.7 (1月) | ||
降水量 (mm) |
最多月 | 179.2 (9月) |
185.4 (8月) |
194.2 (8月) |
197.7 (8月) |
264.8 (7月) |
32.1 (1月) |
170.0 (8月) |
177.8 (8月) |
215.3 (7月) |
170.6 (8月) |
170.5 (8月) |
189.8 (8月) |
157.1 (8月) |
184.5 (8月) |
171.7 (8月) |
175.5 (8月) | |
最少月 | 49.5 (2月) |
35.0 (1月) |
37.1 (2月) |
32.0 (1月) |
157.5 (3月) |
131.4 (3月) |
36.0 (1月) |
50.6 (1月) |
64.5 (2月) |
42.9 (1月) |
41.5 (1、2月) |
55.1 (1月) |
43.0 (1月) |
49.6 (1月) |
27.4 (12月) |
34.6 (12月) |
広袤(こうぼう)編集
国土地理院の全国都道府県市区町村別面積調によると、岩手県の面積は15,275.01平方キロメートルである[3]。
岩手県の東西南北それぞれの端は以下の位置である[4][5]。東端は魹ヶ崎(本州最東端)、西端は黒森峠の北東約2km、南端はJR東日本東北本線油島駅の東南東約6.7km、北端はJR東日本八戸線角の浜駅の北約1kmである。加えて、重心も併記する[6]。また総務省統計局の平成27年国勢調査によると、人口重心は紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある[7]。
地域編集
総面積で全国2位だが、可住地面積割合が24.3%と低く全国40位で、可住地面積では全国5位に下がる(都道府県の面積一覧#2014年 面積の順位を参照)。可住地は大別して内陸部(人口100万人程度)と、沿岸部(30万人程度)の2つ。このうち、内陸部には東北新幹線・東北縦貫自動車道などの高速交通インフラが整っているが、その他の地域ではインフラが未発達で、地域間移動は国道や在来線レベルに留まっている。特に、内陸部と沿岸部を行き来するためには、一般国道・県道は急峻な峠を上り下りする道となっており、直線距離の割に、移動に大きな時間を要する結果を招いている。このような状況は、県土が多数の島によって構成されている沖縄県とも相似しており、救急医療においてはヘリコプター輸送が行われているほどである。
交通インフラの未整備に起因して、短時間で県庁にたどりつけない県民が多数存在することから、従来岩手県庁は、県内各所に「地方振興局」を設置、県の総合出先機関として機能させてきた。近年にいたって、平成の大合併で市町村数が大幅に減少したことを契機として、2006年(平成18年)4月に地方振興局の再編を実施。高速交通インフラが整った内陸部では、細かい地域圏に分割せず、県の中枢機能が集まる盛岡市広域と、県南地域との南北2分割に統合した。県南地域については、従来多くの広域生活圏の設定があったが、それらを一まとめに統合して、新たに設立した「県南広域振興局」の管轄とした。この結果、従来12だった広域生活圏は、4に減少した。
- 県内地域区分
広域振興局は以下4つに分けられる。
圏域は以下9つに分けられる。
- 盛岡圏域(岩手地域・盛岡地域・紫波地域)
- 岩手中部圏域(和賀地域・花巻地域・遠野地域)
- 胆江圏域
- 両磐圏域
- 宮古圏域
- 釜石圏域
- 気仙圏域
- 二戸圏域
- 久慈圏域
自治体編集
各広域振興局ごとに県内市町村を列記する。県内には14市10郡15町4村がある。「町」の読み方は、葛巻町、岩手町、西和賀町、山田町、軽米町、一戸町の6つが「まち」で、他は全て「ちょう」である。村はすべて「むら」と読む。
盛岡広域振興局管内 482,482人
県南広域振興局管内 514,132人
沿岸広域振興局管内 218,744人
県北広域振興局管内 133,932人
都市圏編集
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 2015年 |
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盛岡 都市圏 38万2706人 |
盛岡 都市圏 41万8459人 |
盛岡 都市圏 46万1605人 |
盛岡 都市圏 47万5541人 |
盛岡 都市圏 45万0392人 |
盛岡 都市圏 47万4395人 |
盛岡 都市圏 47万0414人 |
水沢 都市圏 12万4722人 |
水沢 都市圏 14万2279人 |
水沢 都市圏 14万3633人 |
北上 都市圏 22万0258人 |
北上 都市圏 21万5745人 |
北上 都市圏 19万4576人 |
北上 都市圏 19万1213人 |
花巻 都市圏 9万7389人 |
一関 都市圏 11万1629人 |
一関 都市圏 11万7414人 |
水沢 都市圏 13万3028人 |
一関 都市圏 14万9496人 |
奥州 都市圏 14万1071人 |
奥州 都市圏 13万5317人 |
一関 都市圏 9万2459人 |
花巻 都市圏 9万8853人 |
花巻 都市圏 9万9643人 |
一関 都市圏 11万0034人 |
水沢 都市圏 12万5216人 |
一関 都市圏 13万5987人 |
一関 都市圏 12万9451人 |
釜石 都市圏 8万6538人 |
北上 都市圏 8万2851人 |
北上 都市圏 8万7969人 |
花巻都市圏は 北上都市圏と合一 |
宮古 都市圏 8万0392人 |
宮古 都市圏 7万8047人 |
宮古 都市圏 7万2502人 |
北上 都市圏 7万6633人 |
釜石 都市圏 7万1542人 |
宮古 都市圏 8万7499人 |
宮古 都市圏 8万4406人 |
釜石 都市圏 5万9503人 |
釜石 都市圏 5万4850人 |
釜石 都市圏 4万8561人 |
宮古 都市圏 7万3014人 |
宮古 都市圏 6万8052人 |
釜石 都市圏 6万7748人 |
釜石 都市圏 6万4000人 |
- 盛岡駅で東北新幹線と秋田新幹線とが接続
- 北上JCTで東北自動車道と秋田自動車道とが接続
- 北上都市圏(花巻都市圏)に花巻空港がある
- 交通の変遷
- 1982年(昭和57年) - 東北新幹線 大宮 - 盛岡駅間開業
- 1985年(昭和60年) - 東北新幹線 大宮 - 上野駅間開業
- 1991年(平成3年) - 東北新幹線 上野 - 東京駅間開業
- 1997年(平成9年) - 秋田新幹線開業、秋田道により秋田港と直結される
- 2002年(平成14年) - 東北新幹線 盛岡 - 八戸駅間開業
- 2010年(平成22年) - 東北新幹線 八戸 - 新青森駅間開業
「南北沿岸」の所得格差編集
北上市など県の南部では経済発展によって所得水準が大きく向上している一方の内陸北部・沿岸部では目立った経済的発展がなく発展が遅れがちで、所得格差が存在している。統計資料で比較すると、県全体の平均所得が242万円なのに対し、県北の中心都市二戸市・久慈市では、190万円台にとどまり、50万円以上もの格差が存在している[9]。岩手県庁は2006年、県北・沿岸振興本部を設置して対策に乗り出したが、南北の格差は逆に拡大傾向すら呈しており、根本的な対策が求められている[10]。
隣接自治体編集
歴史編集
先史・古代編集
約4万年 - 3万3000年前には、斜軸尖頭器を出土した柳沢舘遺跡(奥州市)や金取遺跡(遠野市)などが存在した。また、ハナイズミモリウシ[注 2] をはじめとする動・植物化石が多量に発見された金森遺跡(一関市)などの遺跡から旧石器時代から人が住んでいたと考えられる[11][12]。
古くは縄文時代より豊かな狩猟・漁労生活を実現した地だった。近年の東北学では、上代の北上川流域は蝦夷の中心地で、日高見国とも呼ばれていたという説が唱えられている(また、日高見国の名が北上川という地名や、「日本国」という国名のもととなったとも)。一方で、胆沢の角塚古墳は最北の前方後円墳であり、ヤマト王権の影響力が及ぶ北の端でもあった。
北東北地域は、律令国家の形成期である7世紀後半にはまだその支配に組み込まれておらず、蝦夷は朝廷側からは征伐の対象であった。8世紀末の38年戦争では胆沢に蝦夷の軍事指導者アテルイが現れて朝廷軍に抵抗するが、征夷大将軍に任ぜられた坂上田村麻呂によって滅ぼされる。その後北上川流域は朝廷が掌握し、蝦夷の多くが全国に強制移住させられた。残った蝦夷は、俘囚として支配体制に組み込まれ、同時に胆沢には関東地方から柵戸として入植者が入った。
11世紀までに奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる広大な地域に影響力を発揮した俘囚長の安倍氏が半独立の勢力を築いた。安倍氏は前九年の役で源頼義の率いるヤマト朝廷軍になびいた秋田仙北の俘囚主清原氏によって滅ぼされた。その清原氏も一族の内紛から後三年の役で滅び、安倍氏の血を引く奥州藤原氏が江刺郡豊田館から磐井郡平泉に拠点を移動して奥州を掌握、豊かな産金をもとに仏教を基盤とする地域支配を実現し、その平泉時代を築いた。
中世編集
平泉が源頼朝に攻略され再び源氏が統治した鎌倉時代には甲斐国南部の河内地方を領した甲斐源氏の南部氏が八戸周辺に移住し、今の青森県から岩手県北及び秋田県鹿角地方にまで勢力を伸ばした。沿岸部では閉伊氏、県央部では斯波氏、稗貫氏、阿曽沼氏、和賀氏などが割拠し、県南部は葛西氏、留守氏が有力だったが、次第に福島県伊達郡に根城を置く伊達氏の勢力が浸透し、室町時代には葛西氏、留守氏は伊達の馬打ちとして事実上支配下に置かれた。
これらの諸氏は伊達氏の内紛によって再び自立するが、伊達政宗の仙台移封を機会に葛西氏は滅亡、留守氏は伊達氏の一族として組み込まれた。同じ頃、安倍氏の末裔である一方井氏を母に持つ南部氏の南部信直が勢力を拡大し、南部所属の頭領として振舞うようになると、これを認めない九戸南部氏の九戸政実と争い、豊臣秀吉の知遇を得た信直は秀吉軍を招きいれて政実を滅ぼした(九戸政実の乱)。大浦氏以外の南部氏諸家を統一した信直は盛岡に拠点を移し、勢力を確立した。
近世編集
江戸時代には、県の南部は概ね仙台藩伊達氏に62万石、一関藩は田村氏、水沢には留守氏(水沢伊達氏)が置かれ、北部は移封も無く盛岡藩南部氏によって20万石統治された。幕末に東北諸藩が奥羽越列藩同盟(北部政府)を作ると、現在の岩手県を支配していた伊達藩・南部藩はその中心となるが、結局敗れて明治政府によって占領された。
近代以降編集
明治3年7月10日(1870年8月6日)、盛岡藩は財政難により廃藩置県に先立って廃藩を申し出、旧領には明治政府により盛岡県が設置された。盛岡県成立時の管轄地域は陸中国岩手郡、稗貫郡および紫波郡、和賀郡の一部のみで、新政府に敗れる前の盛岡藩より大幅に縮小された。
その後、莫大な御用金を課せられたり、旧藩を分断する県域を設定され弱体化を図られるなど敗戦の屈辱を味わう。(ただし盛岡藩の廃藩置県の折に課せられた70万両の納付は減免されている。)
以降は旧藩を問わず多くの人材を輩出。原敬が内閣総理大臣に就任するなど、近代日本国家建設に多くの功があった。また中央へ人材を輩出したと同時に原敬と山田線、後藤新平と鈴木商店など金権政治の時代を先駆けた政治的犯罪も伴った。
県域は明治4年(1871年)の第1次府県統合ではほとんど変わらず、明治5年1月8日(1872年2月16日)には盛岡県から岩手県に改称[13]、1876年(明治9年)の第2次府県統合で磐井県から胆沢郡・江刺郡・磐井郡を、青森県から二戸郡を編入したが、前者はおおむね旧仙台藩領であり、旧藩が分断された状態は是正されなかった。
1876年(明治9年)1月に最初の県議会が開かれ、5月に岩手県が成立した。県名はそれまでの県庁所在地の郡名を採って付けられた。
1889年(明治22年)に、南岩手郡盛岡が岩手県下で初めて市制施行し、盛岡市となる。1937年(昭和12年)には製鉄業によって発展した上閉伊郡釜石町が市制施行して釜石市となる。1941年(昭和16年)には下閉伊郡宮古町・山口村・千徳村・磯鶏村が合併・市制施行して宮古市となり、戦前までに3市が誕生した。
昭和戦後期の1950年代から1960年代には、山岳地帯のため交通の便が悪いことや、主な産業が富士製鐵(現、日本製鉄)の釜石製鉄所位しかなく、所得水準が全国でも低いことから、自ら「日本のチベット」と呼び、政府の振興策を求めたこともあった。なおこの呼称は、1955年(昭和30年)1月22日封切のニュース映画『カメラルポ 脚光あびる日本のチベット 岩手三陸』において用いられたことから定着したという。
その後、1964年(昭和39年)に花巻空港が開港、1982年(昭和57年)に東北新幹線の大宮 - 盛岡間が開業して、首都圏からは約3時間、仙台からも1時間圏内(当時)となり、交通の便は改善された。これに伴って、安価で広大な土地や豊富な水などを背景に、北上市、金ケ崎町周辺を中心として工場の進出が急激に進展。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)などの自動車産業、東芝や富士通などの半導体工場、塩野義製薬など大企業の工場の進出が進み、製造品出荷額が大きな伸びを見せた[14]。
2008年(平成20年)には、6月14日に岩手・宮城内陸地震(最大震度6強)が、7月24日に岩手県沿岸北部地震(最大震度6弱)の大地震が発生した。さらにその3年後の2011年(平成23年)3月11日、国内観測史上最大の超巨大地震となるマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震(最大震度7)が発生し、沿岸部の各地で津波による大きな被害が出た。
人口編集
岩手県と全国の年齢別人口分布(2005年) | 岩手県の年齢・男女別人口分布(2005年) |
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岩手県の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
- 平成27年国勢調査における前回調査からの人口増減率は3.80%の減少で、全国の0.75%を3%以上下回った。47都道府県中では41位(首位は沖縄県の2.93%増加、最下位は秋田県の5.79%減少)だった。県内市町村では上位が滝沢市の2.98%増加、矢巾町の1.74%増加、北上市の0.40%増加、盛岡市の0.24%減少。下位が大槌町の23.02%減少、陸前高田市の15.20%減少、山田町の14.99%減少となっており、内陸部への集積、沿岸部の減少が顕著となっている[15]。この動向によって県の人口重心も前回調査の花巻市内川目[16] から西北西へ686メートルと大きく移動し、紫波郡紫波町佐比内字砥ケ崎にある[7]。
- 2016年10月1日現在の推計人口は1,268千人であり、日本の総人口126,933千人の1%を割り込んだ。また47都道府県では32位だった[17]。
政治編集
県政編集
財政と事業編集
1995年(平成7年)以降、細川内閣(当時)の打ち出した大規模景気対策に乗って公共投資を拡大させ、その後1997年(平成9年)まで、積極投資を拡大させた。当時県知事を務めていた増田寛也は、退任後の取材に「国の財政的限界で、いずれ予算が回らなくなるのは分かっていた(中略)…東北新幹線や花巻空港、釜石自動車道など(骨格的な事業)は、先にやってしまおうと思った」と答えている[18]。結果的には彼の読み通り、小泉内閣が発足した2001年(平成13年)以降、公共投資予算は年10%以上の割合で急速に縮減され、財政再建に大きく舵を切った。
県自らも、県議会での質問に答える形で、財政悪化の原因について自己分析している(→増田寛也#財政再建など参照)。
- 平成20年度
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- 当初予算規模 約6500億円(一般会計)
- ラスパイレス指数 98.6
- 平成19年度
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- 財政力指数 0.31
- IIIグループ(財政力指数0.3以上、0.4未満)11自治体中8位
- 財政力指数 0.31
- 平成18年度
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- 財政力指数 0.29
- IVグループ(財政力指数0.3未満)10自治体中1位
- 財政力指数 0.29
- 平成17年度
-
- 財政力指数 0.27
- IVグループ(財政力指数0.3未満)14自治体中5位
- 財政力指数 0.27
- 平成16年度
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- 財政力指数 0.26
- IVグループ(財政力指数0.3未満)15自治体中5位
- 財政力指数 0.26
国政編集
経済・産業編集
かつては産業がほとんどない事を自称していたが、東北新幹線や東北縦貫自動車道などの整備に伴って、企業の誘致が進んでいる。企業の誘致には、法人道府県民税収や、法人事業税、従業員からの住民税収、関連企業による経済波及効果などで大きな税源涵養が見込まれることから、全国の自治体が誘致にしのぎを削っている。岩手県もこの例に漏れず、誘致に腐心しており、これまでにトヨタ自動車系の生産工場、東芝のフラッシュメモリ工場、富士通などを誘致した。こうした奏功から、1995年(平成7年)以降は製造品出荷額が伸びを示し、47都道府県中、県民所得は40位台後半から、38位にまで改善した。東北6県で見ると、福島県、宮城県、山形県に続く数字である[19]。
特に自動車産業については、トヨタ自動車が東北地方を新たに生産拠点と位置付けており[20]、今後とも一層の誘致が見込まれる産業分野である。
さらに、近年は国際リニアコライダーを軸とした国際学術研究都市構想を表明している[21]。
貯蓄率が極めて高いことで知られる。地方の県としては珍しく、県内に3行の地方銀行(第二地銀を含む)を持ち、保有する金融資産は4兆円以上に達する。県民の貯蓄率は39%で、東北地方平均の25%、全国平均の16.5%を大きく上回り、東北では宮城県に次いで2位、全国でも9位の高率を保つ[22]。
市町村名[23] | 広域振興圏名[23] | 2014年度[23] | 2015年度[23] | 2016年度[23] | 2017年度[23] |
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盛岡市 | 県央 | 1,075,077 | 1,082,427 | 1,053,221 | 1,052,324 |
八幡平市 | 91,823 | 85,645 | 86,711 | 87,377 | |
滝沢市 | 126,355 | 130,206 | 120,435 | 121,066 | |
雫石町 | 54,955 | 54,745 | 51,297 | 51,915 | |
葛巻町 | 21,313 | 23,437 | 20,030 | 20,370 | |
岩手町 | 41,796 | 39,949 | 38,195 | 37,285 | |
紫波町 | 84,930 | 84,705 | 82,997 | 84,123 | |
矢巾町 | 120,279 | 137,131 | 124,796 | 148,397 | |
花巻市 | 県南 | 337,090 | 333,772 | 330,650 | 317,143 |
北上市 | 376,158 | 378,560 | 372,329 | 401,422 | |
遠野市 | 100,755 | 109,403 | 96,021 | 106,452 | |
一関市 | 380,553 | 388,498 | 375,927 | 377,680 | |
奥州市 | 364,164 | 384,323 | 398,170 | 403,685 | |
西和賀町 | 20,624 | 21,814 | 18,587 | 18,957 | |
金ケ崎町 | 112,032 | 84,748 | 83,732 | 138,070 | |
平泉町 | 22,188 | 24,121 | 24,558 | 23,046 | |
宮古市 | 沿岸 | 241,241 | 263,401 | 265,017 | 252,145 |
大船渡市 | 207,410 | 207,908 | 179,184 | 170,532 | |
陸前高田市 | 93,154 | 84,993 | 81,400 | 66,234 | |
釜石市 | 193,596 | 201,952 | 172,929 | 188,599 | |
住田町 | 18,112 | 17,985 | 20,510 | 21,913 | |
大槌町 | 46,679 | 43,695 | 41,989 | 44,200 | |
山田町 | 59,292 | 70,525 | 72,724 | 61,777 | |
岩泉町 | 41,778 | 41,692 | 35,858 | 39,650 | |
田野畑村 | 17,631 | 21,670 | 15,961 | 17,829 | |
久慈市 | 県北 | 133,387 | 134,011 | 128,151 | 128,956 |
二戸市 | 103,241 | 101,549 | 100,695 | 99,599 | |
普代村 | 11,052 | 12,785 | 14,745 | 16,134 | |
軽米町 | 28,309 | 28,676 | 27,408 | 27,458 | |
野田村 | 21,355 | 24,321 | 20,577 | 20,827 | |
九戸村 | 19,058 | 19,752 | 20,036 | 20,852 | |
洋野町 | 44,307 | 46,465 | 42,306 | 47,057 | |
一戸町 | 37,808 | 38,048 | 37,784 | 38,162 |