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天皇 - Wikipedia

天皇

日本及び日本国民統合象徴

天皇てんのう日本国憲法において日本および日本国民統合象徴規定れる地位またはその地位ある個人[5][6][7]7世紀大王用い称号始まり歴史権能変遷現在至っいる[8]

日本の旗 日本
天皇
Flag of the Japanese Emperor.svg
在位天皇
Emperor Naruhito at TICAD7 (cropped) (3).jpg
126天皇

2019元年)51より
詳細
敬称 陛下
順位継承 秋篠宮文仁親王皇嗣
初代 神武天皇[1][注釈 1]
成立 神武天皇即位元年11
西暦660211[1][注釈 2]
宮殿 皇居
東京千代田
ウェブサイト 宮内庁
テンプレート表示
称号: 天皇
Flag of the Japanese Emperor.svg
敬称
His Majesty the Emperor[4]
His Imperial MajestyH.I.M.
皇室
Imperial Seal of Japan.svg

上皇 明仁
皇后 美智子



常陸宮 親王
親王 華子


親王 百合子


2019元年51より在位天皇明仁1男子

皇位象徴ある高御座

概要編集

執務する天皇明仁当時
宮殿御座所 20032
今上天皇即位祝う一般参賀天皇はじめ皇族参列する
宮殿長和殿 201954
洋装今上天皇皇后
宮殿 20191110

てんのうてんおう連声れんょうれる[9][10]古代日本ヤマト王権首長大王オオキミいっ天武ごろから中央集権国家君主として天皇用いられるようなっ[10]天皇大和朝廷時代大王用い称号あり奈良時代から平安時代にかけて政治祭祀頂点だっ摂関政治院政武家台頭により政治実権失っいっ[9]室町時代多く宮中祭祀廃絶あり劣位なっ江戸時代尊王盛んなり王政復古帝国憲法における天皇つながっいわれる[9]

帝国憲法天皇神聖不可侵あること3元首あり統治総攬すること4[注釈 3]規定[5][9][10]

百瀬神聖不可侵天皇神格ことなく不敬行為許さこと政治責任負わないこと天皇一般国法適応特に刑事責任負わないこと皇位廃すること不可能あることという4法律内容持つ神聖不可侵君主持つ本来性格あり日本特有ものなく国際元首神聖不可侵現在でも保証さるべきものいる主張する[12]一方新田現人神唯一唯一天皇絶対至尊といった呼称こうした天皇世界宇宙頂点する価値八紘一宇天皇唯一思想国家社会主義なる日本世界大和民族宿惟神かんながら世界よう呼称主張する[13]詳細天皇#一神教国家神道参照

戦前皇帝天皇併用1936昭和11天皇統一[5]

戦後日本国憲法において日本および日本国民統合象徴規定天皇憲法限定列挙いる国事行為のみ行い国政に関する権能一切ない46 - 7[14]国事行為国家意思形成関わらない形式儀礼行為あり天皇国事行為行う常に内閣助言承認必要あっ内閣自ら助言承認責任負う3[14]天皇国事行為責任負わない民事責任負っいる[14]天皇刑事責任免責する明文規定無い摂政その在任訴追ない定める皇室典範21から天皇その在位訴追ない類推ある[14]

帝国憲法において天皇元首する明記あっ現行日本国憲法元首規定なくそのため日本元首について様々見解ある[15]象徴天皇元首する実質機能重視内閣または内閣総理大臣元首する元首不在するある[16]条約締結外交使節任免および外交関係処理権限もつ内閣元首する内閣代表する内閣総理大臣元首する学説多い[17]内閣法制日本国憲法において天皇元首あるいっ差し支えない天皇限定意味国家元首あるする一方最終定義よるいる国際慣行天皇元首として扱わいる[18][19]

日本国憲法天皇君主該当するどうについて議論ある君主伝統国家特定主権持つ場合その主権あり[20]帝王天子皇帝きみなど言われる[21]日本百科全書天皇通常立憲君主権限無い法律用語辞典(4)象徴天皇元首天皇いる[22]また国史辞典法制象徴天皇君主ないいる[23]一方佐々木弘象徴天皇イギリス立憲君主比し君主権力よりいっそう消極日本独特君主する[24]佐藤国民主権君主呼ぶ適当あろいる[25]清宮四郎イギリス君主比べ権限制約いるものの歴史君主言っあえて誤りいうほどものないいる[25]内閣法制見解日本共和ないことまず明らか立憲君主言っ差しつかえない明治憲法における統治総攬として天皇いただくという意味立憲君主ないいる[25]

天皇日本国憲法10規定日本国籍有する日本国民ある一方日本国憲法1ある主権存する日本国民ない[26][27]世界百科事典よれ日本国憲法によって主権国民なり天皇主権一員ないいる[14]象徴規定とくに法的意味なくまた国民統合する機能憲法天皇期待ないという[14]天皇認可権能極めて限定おり行政もた対外代表することない天皇君主とか元首みること困難れる[14]天皇地位主権ある国民総意基づいおり1国民総意によって天皇制度改廃すること可能なっいる[14]主義明確否定いるので神秘宗教要素ここ介入する余地皆無あり天皇宗教活動禁止いる20ことあっ天皇国家世俗要求いる[14]神道特別地位与えられることもはや許さないあり皇位継承行わ大嘗祭三種神器継承天皇私事としてのみありうるれる[14]

天皇編集

岩波 日本辞典よる天皇日本君主指す[28]広義近代天皇象徴天皇含め狭義明治維新から世界大戦敗戦まで近代天皇指すあり[28]象徴天皇天皇元首ないので君主ないあるいる[29]君主王制について日本百科全書(ニッポニカ)一般世襲君主ある政治共同において最高権力主権もつ政治形態いる[30]

天皇という項目掲載いる学術資料Kotobank登録いる事典としてデジタル大辞泉大辞林ブリタニカ国際百科事典 項目事典百科事典マイペディア世界百科事典日本百科全書(ニッポニカ)ある[31]2017時点天皇使用いる研究論文Google Scholarグーグルスカラー15,700[32]CiNii Articles6156ある[33]

語源編集

古くスメラミコトスメロキスベラギ呼ん[34]皇帝天子[34]君主敬称あり古代中国最高神格北極星天皇大帝指す[35]ある

語源として7世紀中頃以降中国天皇人皇一つ由来おりスメラミコト漢語表現ある[36]するあるこの世紀天皇文字初めて文献現れする事典[37]ある

天皇という漢土ヘルシテこれ全く制度倣っいるため今日見れ言うれる[38]またある分野強大権力持つ指す[9][10]なお天皇てんこうある天帝天子意味天皇てんのう通じる[9][10]こうてん天皇皇室上帝天帝など意味する[39]

地位編集

憲法規定編集

日本国憲法における天皇編集

日本国憲法天皇日本象徴あり日本国民統合象徴1天皇この憲法定める国事に関する行為のみ国政に関する権能ない4規定いる象徴天皇なお天皇元首君主する規定存在ない

国籍日本国民編集

天皇日本国憲法10規定日本国籍有する日本国民ある[40][41]研究による憲法において天皇主権として国民人権享有主体として国民該当する論じられおり憲法皇統について日本国籍有するもの戸籍記載ない唯一例外天皇および皇族あるという記載ある[42]記帳事件における1989平成元年719東京高裁判決天皇いえども日本国籍有する自然人あっ判断いる

裁判編集

刑事裁判皇室典範21摂政その在任訴追ない規定おりこれ天皇について刑事裁判及ばないこと前提いる解さいる[43]告訴について名誉毀損に関する刑法2322内閣総理大臣代わっ告訴行うおり天皇告訴ある前提する

民事裁判1989平成元年1120記帳事件における最高裁判決

天皇日本象徴あり日本国民統合象徴あることかんがみ天皇民事裁判及ばないもの解する相当あるしたがって訴状において天皇被告する訴えについてその訴状却下べきものある

する

大日本帝国憲法における天皇編集

大日本帝国憲法天皇日本天皇統治1天皇元首ニシテ統治総攬憲法条規リテ4規定元首かつ君主憲法解釈として憲法絶対主義解釈する天皇主権立憲主義解釈する天皇機関争いあっ

天皇について学術言説編集

権能編集

日本国憲法権能編集

内閣総理大臣任命する天皇国事行為
国会開会出席する天皇公的行為

日本国憲法において天皇国事に関する行為国事行為のみ行い国政に関する権能一切有しない日本国憲法41次に掲げる国事行為すべて内閣助言承認もと行われる儀礼形式行為ある

なおここいう選挙衆議院議員選挙ほか参議院議員通常選挙含んいる[46]
なお本条儀式天皇主宰行う国家性格持つ儀式いう[47]これに対して他人主宰する儀式参列これ含むする反対ある宗教排除れる
ただし国事行為委任について国事行為含まないする見方ある

これら国事行為に関し天皇政治責任負わないただし君主異なり天皇政治象徴として地位内在するものなく憲法3定める国事行為について内閣責任憲法4定める政治関係から厳格隔離から導き出されるもの解さいる[48]

この天皇公務として公的行為ある国会開会出席宮中晩餐など挙げられる

大日本帝国憲法大権編集

称号編集

日本国内における称号編集

天皇および皇族ある後鳥羽天皇日本御所付し始まる

日本天皇成立7世紀後半大宝律令天皇法制れる直前天武天皇または天皇時代する通説ある13世紀以降天皇使用一時廃れ19世紀初頭再び使用れるようなり現在至っいる

称号由来編集

天皇字音仮名遣てん表記するてん中世まで連声によりてんのう変化れる中国始皇帝統一皇帝名乗る以前大王時代支配新しい名称求め例示天皇天皇ある改定皇帝創始史記始皇帝本紀この記事参照2使国書天子使用煬帝から無礼ことから含みないとして天皇選ん吉田ある[49]中国 道教から天皇称し元年6748皇帝天皇為し皇后為す8ある死後皇后天武によって 天皇大帝 おくり付けられ681中国こののみ天皇使わ以後使わない

古い訓読みすべ米良すめ須賣すめろ須賣すめみこ明樂すめみこなど称し[34]

スメルについて岩波 古語辞典すめサンスクリットsume:ru弥山音韻意味一致モンゴルsümer弥山あろいる[文献特定詳細情報]また統べる転訛見るあっ上代特殊仮名遣からこれ否定いる清浄から神聖想起せる澄め転訛光り輝い煌めくさま表すするあり注目いる現在判然ない[50]

万葉集天皇表記12知らこのうち7オオキミ5スメロキませいるそれぞれ文意比較からオオキミ今上天皇スメロキ天皇皇祖神祖皇祖に対してスメロキませいるため過去歴代天皇皇祖に対して用いられいることわかっいる[51]

日本天皇という文字奈良法隆寺金堂薬師光背池辺大宮天下天皇及び治田大宮天下大王天皇ある池辺大宮明天在位585587治田大宮推古天皇在位592628あり製造推古15このことから戦前津田左右吉推古天皇という過去有力だっしかし戦後美術様式から同じ金堂623製造釈迦三尊より新しい推定製造後世あり666野中弥勒金石天皇確実いる[52]推古8600使オホキミ使用推古天皇166072使国書日出天子とも天子として煬帝怒らそれから国書皇帝蕃夷首長下す形式あるそれ日本から返書国書東天敬白西皇帝云々日本書紀あり日本天皇皇帝使い分けられる前回国書対等書式違う身分貴人差し出すりくだっ形式なっ外交姿勢改めことなる[53]ただし東天編纂改定もの大王天王だっというそのまま天皇始まりするある[54]考古学 明日香飛鳥遺跡出土天皇木簡最も古く一緒出土木簡から天武 - 686101朱鳥元年99時期もの判定いる[55]

天皇関連ある古い記録
文書 年代 抜粋 出典 現存
使国書 607 日出天子沒處天子 636成立
法隆寺金堂
薬師如来像光背
607 池辺大宮天下天皇 法隆寺金堂薬師如来像 実物存在[注釈 4]
国書 608 敬白西皇帝 日本書紀720成立 日本書紀以外記録ない
法興寺
釈迦光背
609 多知波奈天皇 元興寺伽藍縁起
資財
746成立
実物失わいる
天皇 620 書物題名自体天皇含む 日本書紀 実物ない
日本書紀以外記録ない
天寿繡帳 7世紀 斯帰斯麻宮治天下天皇
悲哀嘆息天皇前日
上宮聖徳法王帝説
成立不明
かろうじて現存[注釈 5]
野中弥勒菩薩銘文 666 智識中宮天皇御身 野中弥勒菩薩 実物存在[注釈 6]
木簡 677 天皇聚露忽謹 飛鳥工房遺跡出土

天皇称号諡号として各国最初付せられ人物以下通り

  • 3皇帝在位途中元年6748皇帝称号天皇皇后称号同時にセット変更崩御ある天武によって天皇称号贈ら諡号天皇大聖弘孝皇帝記録
  • 日本40天武天皇日本初めて天皇称さ人物ただし在位いつから天皇称し明らかなく諸説ある遅くとも天武667712天皇使用その文武天皇大宝律令天皇法制天武天皇以降およびその系譜遡っ天皇諡号贈ら
  • 初代皇帝崩御諡号天皇大帝記録

天皇称号存命自ら付しないし付さ人物以下通り

称号変遷編集

古代編集

倭国首長こと国内大王おおきみ天下大王あるいは天王呼び対外倭国倭王称さ[注釈 7]

律令制編集

律令制において天皇という称号制令定められいる養老制令天子において祭祀において天子詔書において天皇中国国外解する説日本国内外解する説あるにおいて皇帝上表臣下天皇文書奉ることにおいて陛下譲位太上天皇だいじょうてんのう外出大内裏移動輿行幸大内裏出ることという7呼び定められいるこれらあくまで書記表記用いられるものどう書いあっ読み風俗当時習慣に従ってすめみことすめみこ称するある特に祭祀における天子すめみこと読ん

天皇死没崩御いい在位天皇今上天皇きんじょうてんのう呼ば崩御追号定められるまで大行天皇たいこうてのう呼ばれる配偶皇后一人称臣下から至尊称さ

奈良時代天平6神武天皇から天皇まで41及び元明天皇元正天皇諡号淡海三船によって一括本紀記述いるこの諡号名前あったとえば神武天皇といった前半神武部分諡号ある後半天皇という称号関係ない

中世編集

順徳天皇在位1210 - 1221以来天皇在位1779 - 1817諡号復活するまで天皇生前死後正式用いられなかっ例えば後水尾天皇没後水尾呼ばこれら後水尾天皇すべて置き換え明治維新ことある[58]

在位天皇御門みか禁裏きん内裏だい禁中きんゅう御所ごしょなど呼ばみか本来御所御門ことあり禁裏禁中内裏御所御所そのもの指す言葉あるこれら天皇直接名指すはばかっ婉曲表現ある陛下階段いる取り次ぎまで申し上げます同様ある

また主上おかみゅじょうという言い方使わ天朝てんちょう天皇王朝指す言葉転じ朝廷または日本国そのものもしくはまれ天皇いう場合使うすめみこすめろすべらなどまれこれら雅語として残っまた皇后中宮いうようなっ

当代天皇当今とうぎんみかどなど呼ば譲位太上天皇上皇略称仙洞などいっ出家する法皇略称法皇呼ば天皇仁孝天皇譲位以後事実明治以降制度存在ないこれ皇室典範退位に関する規定設け天皇崩御皇嗣即位する定めためある[注釈 8]

明治以降編集
大日本帝国憲法3明治天皇署名御名と共に天皇御璽という御璽捺印いる御名御璽
韓国併合スル条約に関する全権委任文中日本皇帝陛下書かいる

大日本帝国憲法明治憲法において天皇呼称初めて天皇統一ただし外交文書などその後日本国皇帝多く用いられ日本国内向け公文書類でも同様表記確認いるそのため完全天皇統一わけない

口語お上主上おかみゅじょう聖上おかみせいじょう当今とうぎん畏き辺りかしこきあたりかみいちなど婉曲表現用いられ

また天皇陸海大日本帝国陸軍大日本帝国海軍統帥有することから大元帥大元帥陛下称さ内部および大元帥として天皇報道するマスメディアにおいて用いられ

現在編集

日本国憲法正式称号単に天皇ある詔書勲記褒状など文書において日本国天皇表記れることある[59]

憲法学界において象徴天皇歴史天皇連続について二つ学説対立いる歴史存在として天皇存続もの捉える宣言規定連続無から新た天皇称する存在創造もの捉える創設規定断絶ある[60][61]後者見解よる神話由来124天皇だっ昭和天皇国民由来天皇初代なっということなる[61]

なお今後元号天皇という形式追号なる確定いるわけないすなわち明治天皇大正天皇昭和天皇過去3そうだからいっ平成天皇同様平成天皇天皇なる限らないある元号制定議論大平正芳首相当時国会答弁よれ追号あくまで皇室儀式として贈られるものあり[62]法定元号縛られることなく天皇自由決めること可能ある[62]

追号元号関係つきまし制度元号天皇追号なるというようルールないわけございます追号天皇先帝に対して贈るもの承知おります中略元号法案による元号追号全然関係ない承知おります[62] — 87国会 参議院内閣委員会議14

日本国外における呼称編集

英語における呼称編集

天皇英語emperorthe Emperor of Japan称さ在位天皇The Current Emperor称されるただし英語公式初めてthe Emperor of Japan称さ人物江戸時代末期幕末当時孝明天皇なく執権将軍徳川家慶あっ[注釈 9]1852ミラード・フィルモアアメリカ合衆国大統領親書宛てHis Imperial Majesty, the Emperor of Japan記さいる[64]かつてMikado御門一般称さ時期あっ[65]

ドイツにおける呼称編集

ドイツオーストリア地域において皇帝意味するKaiserカイザー称さいるまた一部地域においてKeyserケイゼル読まれることある項目ドイツ記事Tennōあるよう日本固有存在として天皇強調する場合Tennō呼ぶことある

中国における呼称編集

現在中華人民共和国政府など公的機関天皇陛下日本天皇陛下など陛下敬称呼ばれる通常ある[66]

朝鮮半島天皇呼称編集

朝鮮半島歴代王朝長期間にわたり中国歴代王朝として存在おり思想天子皇帝世界治める唯一すなわち中国歴代王朝皇帝称号あっそのため倭国日本国王称号呼ん体制から離脱大韓帝国なる初めて日本天皇皇帝称しその後韓国併合による大日本帝国統治天皇称号用いられ世界大戦南北朝鮮独立英語天皇意味するEmperor訳語踏襲日本国王Japanese Kingという称号用いこれ倣い皇室王室皇太子世子呼ん現在天皇言う称号以前より一般なりつつある皇室/王室皇太子/世子に関して同等用いいる但し産経新聞ソウル支局黒田勝弘拠れ20069親王誕生韓国日報例外殆ど韓国マスコミ天皇嫌い代わり格下げ意味用いという[67]

大中大統領在任当時諸国慣例に従って天皇という称号用いるマスコミ働きかけマスコミそれ従う従わない二分大韓民国政府として1998から天皇称号使用するようなっ[68]大統領天皇という称号世界どう確認ないため天皇どちら用いるべき準備できない従来方針転換する姿勢示し大統領明博天皇称号用いいる[68]しかマスメディア始めする民間使用いる[68][69]民間における呼称使用について21世紀初頭天皇改めるべきある議論なさ統一することなり現在至っいる[68]明博2009915インタビュー受け日本天皇という表現繰り返し用い[70]

韓国ジャーナリストよる韓国80年代後半まで新聞など天皇表記確認でき表記始まっ韓国民主1987以降90年代入る天皇表記姿消し指摘いる[71]

歴史編集

国史辞典天皇称号相当する人数学問確定できないいる古事記日本書紀天皇用い記載いる人名最初からないし実在認められない強く疑われる多いためある現在皇統神武天皇一代弘文天皇加えいる学問無関係公的決定すぎないいるそもそも天皇代数一定すること最古天皇実在問題ある同時に複数天皇併立時期あり天皇順序単線連ねることできないから不可能れる天皇安閑天皇天皇両朝併立推定する学説除い後鳥羽天皇安徳天皇一時期並ん天皇おり南北時代北朝光明後光円融小松南北合体以前天皇南朝後醍醐後村長慶亀山天皇対立双方天皇ある主張[23]

大日本帝国憲法万世天皇ありこれ認める学説ある皇位継承もとより一系あっ疑問する学説多くある三輪王朝河内王朝など王朝存在推定する学説天皇応神天皇子孫する系譜信用疑う学説時代あっ定まっ王位継承家系存在なかっする学説神武天皇始まる王朝つつ応神天皇による王位簒奪推定する学説ある6世紀初頭天皇崩御皇位継承絶え天皇新しい皇統創始ない推定する学説河内王朝などについて学説とともに万世疑う理由一つなっいるともかく皇統定まっ以降皇位継承資格父系血族あれ足り傍系女性天皇なっ少なくない近代皇位継承固定制度確立慣行あっられない古代初期天皇崩御新帝つく常例だっ判じられる8世紀以後天皇譲位原則なっいるそしてその以前その期間様々関係による天皇交替あっ天武天皇内乱勝者として先帝天智天皇大友皇子倒し天皇即位淳仁天皇陽成天皇仲恭天皇ようそれぞれ太上天皇摂政幕府廃帝あり後醍醐天皇天皇交替南北両朝分裂よう武力抗争基づく非常事態発生ある[23]

天皇どのよう成立現在学界学説多様分かれいるただし天皇前身なす大王遅くとも5世紀初めのち畿内政権として存在こと中国史書から認められる古墳時代から勢力拡大はじめ吉備出雲筑紫その他各地有力豪族並立する地方政権あっやがて7世紀から8世紀初頭にかけ律令体制整えるまである時政権連合体から広い範囲にわたる統一政権成長いっこと推認いるこの統一時期範囲研究によって意見わかれる

古事記日本書紀伝える物語歴史事実慣行習俗いくら伝承反映いるせよその基本構想大王政権君主地位その支配正当するため造作成立まで潤色重ねられ一般られいるここ記される神武天皇日向から大和入りその支配破っ帝位ついという歴史神代延長線造ら物語綏靖天皇から開化天皇まで書物記述少ない名号相続方式あり実在人物認めがたいすること現在学界主流においてほぼ共通認識なっいる[23]一方どこまで史実どこまで脚色造作する意見わかれるものの多く在野中心として学会一部でもこれら記述史実認める研究いる

一般実在確かあるいる天皇10天皇天皇ある

神代天皇発祥編集

皇室系図古事記日本書紀始めする史書基づい作らその起源神武天皇元年紀元前660即位神武天皇更にその始祖ある天照大御神始まるいる最初葦原中国(日本)降臨天照大御神ある瓊瓊ある 紀元前663奈良盆地その周辺支配神武天皇打ち破り神武東征神武天皇奈良盆地その周辺統治することなっれる明治政府から戦時まで日本神武天皇以降史書記述真実歴史する考え支配あり国定教科書神武天皇元年紀元元年する神武天皇紀元皇紀採らしかし津田左右吉学説広まっ戦後日本書紀天武天皇勅命により編纂ものあり歴史証明難しい神話伝説など多く含んいるから皇室祖先にまつわる伝承事績初期天皇存在について実証欠けるもの見る主流なっ特に天皇について古代中国革命思想讖緯則っ皇室歴史付け加えない指摘する学説主流なっいる一方讖緯時代錯誤ある批判あり天皇陵記述婚姻氏族存在など根拠実在あっ未だ決着ない歴史証明できる皇室起源ヤマト王権支配天下大王大王おおきみ統治古墳時代辺りともされる記紀から推定れる河内存在などから神武天皇実在主張するある

3世紀中葉以降られる前方後円墳登場日本列島における統一政権成立示唆おりこの成立王朝皇室祖先する神話描かれる戔鳴弥生時代朝鮮半島から北九州渡来皇室始祖この6神武天皇東征大和開いする弥生時代北九州または近畿地方あっ邪馬台国卑弥呼天照大御神その系統皇室祖先する皇室祖先王朝4世紀成立するなど多く提出おり定まっない[出典]

古代天皇編集

編集

より印綬れる国王
稲荷山古墳出土鉄剣(国宝) 埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。「獲加多支鹵大王」は雄略天皇を指していると考えられる。 稲荷山古墳出土鉄剣(国宝) 埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面。「獲加多支鹵大王」は雄略天皇を指していると考えられる。
稲荷山古墳出土国宝
埼玉県立さきたま史跡博物館展示表面裏面鹵大雄略天皇指しいる考えられる

中国史書における最古記述南北時代朝貢たちある中国史書倭国倭国5世紀について記述残っいるこれら日本書紀など天皇系譜から履中天皇天皇允恭天皇安康天皇雄略天皇比定する仁徳天皇履中天皇から雄略天皇まで天皇比定する諸説ある

これら朝貢見返り中国王朝から倭国封じられまたしばしば安東将軍または安東大将軍任じられ百済以外朝鮮半島における軍事権威付与対外これら称号名乗っ推定れる国内向けとして熊本埼玉古墳から出土銘文天下鹵大鹵大あり通説鹵大ワカタケル雄略天皇和風する天下大王または大王おおきみ用いられ考えられいる

よう上表引用いる

皇帝の冊封をうけたわが国は、中国からは遠く偏って、外臣としてその藩屏となっている国であります。昔からわが祖先は、みずから甲冑をつらぬき、山川を跋渉し、安んじる日もなく、東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、北のかた海を渡って、平らげること九十五国に及び、強大な一国家を作りあげました。王道はのびのびとゆきわたり、領土は広くひろがり、中国の威ははるか遠くにも及ぶようになりました。

わが国代々中国使え朝貢あやまることなかっあります自分愚かありますかたじけなく先代つぎ統率する国民駈りひきい天下中心ある中国帰一にとって朝貢べくととのえまし

ところが高句麗無道征服はかり辺境かすめおかし殺戮やめませそのため朝貢とどこおっ良風進めることでき使者進めかならずしも目的達しないあります

わが亡父かたき高句麗中国通じる閉じふさぐ憤り兵士この正義感激まさに大挙渡ろありますしかるにちょうどそのにわかに父兄失いせっかく好機むだしまいましそしてため動かすことできけっきょしばらくあいだ休息高句麗勢いくじかないままありますいまなっ武備ととのえ父兄遺志果たそ思います正義勇士としていさおたてるべく眼前白刃うけるともひるむところありませ

もし皇帝のめぐみをもって、この強敵高句麗の勢いをくじき、よく困難をのりきることができましたならば、父祖の功労への報いをお替えになることはないでしょう。みずから開府儀同三司の官をなのり、わが諸将にもそれぞれ称号をたまわって、忠誠をはげみたいと思います[72][ページ番号]

このまで代々天皇出自系統について記紀記述通り万世なく倭国各地有力豪族複雑権力移動あっないというある例えば雄略天皇天皇後嗣なく履中天皇ある仁賢天皇顕宗天皇皇位継いいる実際皇位簒奪なかっありまたこれら君主実在疑う否定ない

また仁賢天皇天皇跡継ぎなく応神天皇5れる天皇皇位就いいるこれにより仁徳天皇血統途絶えいることから皇統交代あっするある

しかし実際どのよう経緯あっについて依拠うる史料中国史除けはるか後代編纂日本書紀など限らいるため前述異論ある当時一つ血統王位継いなく複数有力豪族たち大王継承する考え連合王権られる

以降編集

不安定基盤乗っ皇統確立天皇皇子ある欽明天皇6世紀中期言わいる欽明天皇以後中国制度文化摂取積極行われるようなっいき7世紀初頭制度導入など天皇中心政府形成始めることなっ[出典]

この時期煬帝に対して天子自称[73]見える

大化改新から摂関政治まで編集

天皇中心国家枠組み整い始め大化改新からさらに4世紀経っ天武以後ある大化改新によって天智天皇ある中大兄皇子実権握っ以降中国法令体系ある律令導入結果天皇中心政府国家体制構築しよする動き活発なっいっそれら試み様々曲折により一気に進展なかっ最終天武天皇及びその後継によって完結することなっ特に天武天皇軍事により皇位奪取こと背景として絶対権力行使この時代詠ま柿本人麻呂和歌大君ませ天皇する表現られいる

律令制天皇太政官組織依拠実体権力振るっこの政治形態法令則っため比較的安定ものだっ主要政策事項実施天皇裁可必要おり天皇重要確保

しかし平安時代初期9世紀後期から藤原天皇行為代理代行する摂政関白就任するようなっ特に2858即位清和天皇わずか9これほど年齢天皇それまでないこのよう即位天皇次第に実権失っこと示すものこうした政治体制摂関政治いう

摂関政治成立背景国内外脅威なくなっことともなっ政治運営安定政治中心儀式運営人事など移行いっことあるそのため藤原摂関天皇統治代行すること可能なっ考えられるまた摂関権力源泉として摂関天皇外祖父母方祖父として地位確保続けことあるいる

もっともこのよう一連現象言え天皇という地位制度安定勢力からその存立脅かされる可能薄らいこと反映あるこの関東桓武天皇5平将門親族内紛抑え近隣諸国紛争介入ところ在地国司対立やがて叛乱起こし自ら天皇名乗っいわ朝廷任命国司追放関東7か国伊豆自分国司任命平将門

これ平将門による国家樹立言える将門京都天皇当時朱雀天皇呼ぶなど天皇権威完全否定わけなかっまた将門叛乱自体関東武士たち支持られわずか3か月将門戦死政権崩壊

院政編集

平安後期即位天皇摂関外戚持たない立場だっことから摂関権力から比較的自由行動することできそのため記録荘園設置などさまざま独自政策展開いっ後三条天皇譲位上皇として政治運営あたること企図というある

後三条天皇子息白河天皇自ら退位子息堀河天皇鳥羽天皇いずれ幼少即位これ三条天皇遺志反し異母弟親王輔仁親王帝位から遠ざけるため当時天皇祖父として後見なる必要あっためあるさらにその結果として次第に朝廷における権力掌握ため最終専制君主として朝廷君臨する至っ

この院政展開により摂関勢力著しく後退院政布い上皇多く貴族たち私的主従関係結び事実君主として君臨それとして親権貴族たち主人として立場基づくもの天皇外祖父ゆえ後見人として振る舞っ摂関政治よりいっそう強固ものあっ

自己軍事として北面武士保持源氏など武士とも主従関係結ん重用このこと結果武力による政治紛争解決開くことなり政権誕生による鎌倉幕府登場つながっ政治院政権門勢家国家から自立度合い深めるに従い皇室という権門代表滑り落ち理念歴代天皇といった超越によって失脚追い込まれるという説話主張度々られるようなる仏法敵対によって地獄堕ちという逸話広く知らいる殊に後白河天皇よう聖代帝王対比仮借ない批判投げつけられいる即位灌頂により地位正当ざるない仏教流布背景相対神秘生じまた上地位天皇ほど律令左右恣意行動可能ため私生活乱れ公的暴政陥っ

後鳥羽上皇さらに西武士設置敗北により廃止以後朝廷独自軍事失っ幕府に対して従属立場立たされることなり時には幕府命令天皇任免れる事態まで至っ

時に両統迭立時代なる論理安住出来なくなり徳治善政標榜するようなる花園天皇一統論理寄りかかる戒め君主として涵養力説いるまた同じく儒教精神から後鳥羽上皇ようによって激しく批判失脚正当れるあっ天皇という制度否定れる個々天皇に対して激しい攻撃なさ中世あっなかっそれ儒教徳治核心なし易姓革命思想皇位継承でも高い人物就くべきある人物政治行うべきという論理姿変え日本定着するなっ

院政この江戸時代まで続く実体政権構成白河院政から南北時代円融院政まで250年いる円融上皇崩御わずか残っ朝廷政治権力足利義満ほとんどすべて幕府接収貴族たち多く室町殿主従関係結ん幕府従属院政支配する対象自体失い朝廷政府として機能失っ

鎌倉室町時代編集

中世国家体制について一般天皇公家後退武家伸張によって特徴付けられる公家武家両々って国家維持する権門体制提出いるなど学説多様ある荘園普及かかわら律令体制国衙なお根強く残さことから鎌倉幕府成立前後まで上皇かなり権力振るう余地あっ

しかし31221以降天皇権力側面失墜著しく襲来に当たって外交処理唐船派遣など外国貿易などいずれ鎌倉幕府主導行わおり武家一元化動向示し武家進出ため公家家門分裂起こること多くなっ皇室まず大覚寺持明院分裂さらにおのおの分裂南北時代

ニハヤル 夜討 強盗 綸旨
中略
天下一統メズラシヤ 御代テサマザマノ ミキクゾ不思議ナル
京童ズサミ 分ノヲモラスナリ

河原落書

鎌倉幕府崩壊一時大覚寺傍流後醍醐天皇による天皇親政新政試みられ河原落書風刺世相混乱あり足利離反によって終止符打たしかしその後内乱を通じて南北両朝並立足利北朝南朝吸収すること収拾なおはるか明治時代なっこの時代北朝南朝いずれ正統あるという議論南北正閏起こっおり現在皇室北朝系譜あるものの神器保有南朝正統すること決着いる

また室町幕府3将軍足利義満自分義嗣皇位継承する皇位簒奪計画持っ言われる義満死後朝廷義満だいょう天皇尊号贈ろ室町幕府4将軍義持固辞おり真相定かない

戦国時代末期京都天皇公家窮乏著しかっいる有力戦国大名織田政権豊臣政権天皇公家政治経済意識保護ことによってその後制度として継続する

江戸時代編集

江戸時代において天皇政治実権取得することなく実際石高1のち3程度経済基盤しか持たなかっまた禁中公家諸法によりその言動幕府から厳しく制限

しかしながら公家実権失っものの茶道俳諧文化活動においてその嫡流たる天皇権威高揚努め天皇改元にあたって元号決定する最終権限持っこと元号原則始め将軍大名官位これまで同様全て天皇から任命れるものあっこれに対して幕府元号決定人事介入行いその権威縮小儀礼図っいる

幕間対立による緊張たびたび発生紫衣事件幕府態度憤慨後水尾天皇幕府無断譲位対立頂点達し

江戸時代後期天皇父親閑院親王太上天皇追号送ろ天皇即位なかっ贈位前例ないとして反対幕府松平定信衝突する尊号呼ばれる事件発生

しかし18世紀後半から征夷大将軍権力天皇から委任ものあるから将軍従わなけれならないする大政委任学界提唱れるようなり将軍権威付けとともに天皇権威見直さいくようなっいっそうした運動幕末尊皇攘夷運動繋がっ

明治維新編集

大政奉還様子二条城
座っいる徳川慶喜
明治元年1868東京奠都

体制揺らぎ始める江戸幕府勢力その権威利用しよ画策結果天皇権威高められいくペリー来航伴う対応について幕府独断処理でき朝廷報告行っこのこと前例ないことあっこの天皇孝明天皇ある

このことによって天皇権威復活幕府当初公武合体により勢力批判封じ込めよしかしこの画策失敗薩摩長州主体する勢力による武力倒幕行われよ幕府その機先制し大政奉還行っ将軍納地全て官職領地返上強要それ不満幕府鳥羽伏見官軍衝突内戦なっ

その過程北海道函館榎本武揚によって共和宣言れる蝦夷共和蝦夷共和選挙によって大統領総裁選出官軍程なく平定

戊辰戦争を通じて倒幕成功大久保利通天皇中心する政権当初京都太政官制度によって運営しかし政変によって参議から下野板垣退助自由民権運動開始それ次第に議会開設国民運動として発展する政府大日本帝国憲法発布議会内閣制度発足

これにより日本西ヨーロッパ諸国倣っ立憲君主移行大日本帝国憲法同時に制定皇室典範内閣国会改廃できない皇室家法天皇国民統治神権機関として利用れるようなる一方公平無私その称える風潮起っ

なお天皇国家元首あるいは象徴戴く日本政治体制および皇室というしくみ自体指し現在一般学術天皇広く用いられおり通常王制あるいは君主など同様性質持つ用語として扱われるそのいっぽうこの言葉最初使いはじめコミンテルンあるというから反共政治思想持つ立場から使用忌避れることある戦前国体称さ

一方海外から視点ある権力将軍制度移っから1868まで世に知れ続い貧困皇族薩長土肥武装反乱正当するため日本天皇という8世紀神話再興によってその革命政権表看板なっそして現人神として天皇強調新しい公立学校教育システムとして思想教化いっ[74]

明治天皇

1898明治31大隈重信内閣文部大臣尾崎行雄ある教育席上藩閥勢力拝金主義攻撃演説日本共和実施れれ三井三菱大統領なるだろ述べため問題なり君主あっ共和想定すること不敬あたるとして辞任追い込ま共和演説事件その背景大隈勢力太郎画策あっ言われる後任文相任命

1901明治34429裕仁親王のち昭和天皇誕生

1911明治44大逆事件生じ政権から社会主義弾圧口実使用明治天皇暗殺しよとして幸徳秋水12死刑処さこの事件当時多く文化衝撃影響与え蘆花謀反書き謀反恐れならない石川啄木時代閉塞現状宣戦布告行っ永井荷風これ社会関心から意識遠ざかるようなっ

世界大戦編集

馬車1

その後2にわたる護憲運動大正デモクラシー言われるよう言論活況呈するようなる大正デモクラシー時期君主自由主義解釈する吉野作造民本主義など現れしかし1925大正14普通選挙同時に治安維持公布国体変革包含する言論運動禁止

1933昭和81223昭和天皇男子ある明仁親王のち125天皇誕生

1935昭和10美濃部達吉それまで学会主流だっ天皇機関主張こと貴族攻撃著書発禁処分なり不敬告訴貴族議員辞し政府活動に対する世論批判抑える目的として天皇存在利用れることなっ

世界恐慌事件事件踏まえ軍部擡頭天皇存在利用する帝国憲法において統帥政府なく天皇ある定められいること理由関東軍政府方針無視事変引き起こしまた天皇神聖不可侵強調政府圧力加え軍部大臣現役武官統帥干犯問題国体明徴声明を通じて勢力強めいく

この津田左右吉日本古代学者神話歴史事実異なるだけ追われるようなっそれ頂点達し太平洋戦争あり1938昭和13国家総動員発令より現人神神格天皇中心戦時体制作ら

194311カイロ会談アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルト天皇制度廃止するべきどう中華民国国民政府主席蔣介意見求めことある蔣介戦争元凶日本軍閥あり国体問題戦争終わっから日本人自体決定べき答え[75]:693

世界大戦編集

昭和天皇マッカーサー会見1945昭和20927この写真掲載新聞内務省より発禁処分受けGHQ命令解除

世界大戦終戦連合UN天皇枢軸国家元首として処罰君主廃止べきという意見天皇廃止強かっ事実世界史かつて帝政ドイツオーストリアロシアなど敗戦革命など君主消滅する国々存在しかし日本政府その維持強く唱えダグラスマッカーサー元帥連合国軍最高司令司令 (GHQ/SCAP) 日本占領行政円滑進めるためまた共産主義に対する防波堤として天皇存続その地位日本国憲法によって元首なくおよび国民統合象徴位置付けられ

これようあり戦勝ベルギー場合レオポルド3敗戦責任追及国王支持国王分裂ため国家分裂避け君主維持するためボードゥアン1王位継承しかし敗戦日本皇室最大相違存命退位ある

昭和天皇

昭和天皇戦争責任について追及べき意見強くあっアメリカ外交方針により占領当局追及ないことそしてその外交方針受けアメリカ天皇捕虜として管理さらにその捕虜を通して内閣総理大臣及び最高裁判所長官任命関与日本民主管理する計画策定また国内民間天皇めぐる各種意見生じ津田左右吉など天皇自体存在否定ない言明天皇廃位唱える見解昭和天皇退位高松宮宣仁親王摂政として皇太子明仁親王即位により改元する元号改正する妥当する意見昭和天皇三笠親王要人近衛文麿木戸幸一南原佐々木惣一中曽根康弘唱え一部すぎなかっ

近衛文麿昭和天皇京都仁和寺出家せよ考えれる[76]

昭和天皇自身退位意向示しかえって戦争責任認めることなるとして周囲から強い反対ありまた昭和天皇擁護ある吉田ダグラスマッカーサー強い反対撤回マッカーサーイギリス大使アルバリー・ガスコイン会談にて天皇退位認めるつもりない天皇義務として現在地位留まっもらうよう求めるつもり述べ[77]

天皇退位反応天皇存続支持90.3%天皇支持68.5%皇太子譲位18.4%退位天皇廃止4.0%あっ[78]

この連合司令マッカーサー元帥昭和天皇並ん写っいる写真新聞掲載まで現人神写真御真影呼ば天皇しかも当て姿元帥直立不動姿勢普通新聞写っいること国民衝撃呼ん1946昭和2111新日本建設に関する詔書いわゆる人間宣言官報により発布詔書冒頭において箇条誓文掲げおり[79][80]1977昭和52823昭和天皇会見よる日本民主主義日本元々あっ箇条誓文基づいいること示すこの詔書目的あっ[79][81][82]この詔書人間宣言呼ばれる人間宣言詔書6分1程度あり戦時絶対神化こと否定だけあり天皇神話そのもの否定ない[79]この詔書日本国外天皇から人間歴史変容遂げとして歓迎退位追訴要求昭和天皇印象改善[79]1946昭和2111この詔書について新聞各紙報道日本平和天皇国民とともにあるといったこと報道するのみいわゆる人間宣言ほとんど触れなかっ[79]

昭和天皇その後日本全国各地巡幸始めるこの巡幸各地歓迎もっ迎えられ1947昭和22その歓迎盛り上がりぶり天皇政治権力復活危惧しGHQによって巡幸1年間中止決定れるなど動きあっ国旗掲揚GHQにより禁じられ多数民衆掲揚ため昭和天皇#行幸

宗教編集

神道関係編集

高千穂河原天孫降臨斎場
皇室祖先祀る伊勢神宮 内宮

神道日本古来宗教ある古代日本祭政一致あり天皇上古からその祭祀行っ考えられいる仏教伝来明天仏法神道ありそれ以後天皇受け継が天皇神道関係天武天皇大宝律令など定められゆき奈良時代から平安時代にかけて天皇新嘗祭など祭祀自ら執り行い大神祀る伊勢神宮斎宮遣わし延喜定められ神社など奉幣供え

武家政権移行鎌倉時代順徳天皇において神事その重要述べいる中世なり朝廷衰微する規模祭礼実施できなくなり戦国時代柏原天皇など大嘗祭執り行えなかっ江戸時代江戸幕府要求金銭補助徳川神格目的する日光東照宮奉幣など行わ

明治時代なる神道国家神道なり神武天皇祭る橿原神宮桓武天皇祭る平安神宮明治天皇祭る明治神宮など創建戦前戦中昭和天皇現人神として崇拝戦後政教分離なり国家神道廃止昭和天皇人間宣言により自ら神格否定現在宮中祭祀として新嘗祭四方拝など執り行わ一般人男性結婚民間家庭嫁い皇女伊勢神宮祭主なり皇室私費により各地神社奉幣行わいる[83]

仏教関係編集

法隆寺

日本書紀よる552聖王明王により釈迦金銅経論欽明天皇献上仏教初めて伝来いる仏教伝来仏教信仰可否について家臣により議論れることなり仏教容認蘇我反対物部可否巡っ対立始め明天後継争い繋がり物部滅ぼされる仏教信仰傾き物部討伐加わっ明天皇子ある聖徳太子により法興寺法隆寺建立儒教仏教思想反映憲法作られるなど皇室仏教深い繋がり持っいく

また伝統天皇自ら建てるようなり天武天皇大官大寺天皇薬師寺建立するなど聖武天皇入る鎮護国家という政策盛んなり国情不安鎮撫するため国分寺各地作り東大寺建立れる

平安時代入るこれら寺院政治権力持つことなりそれ桓武天皇により平安京遷都繋がり日本古来仏教対抗せるため空海最澄遣唐使とともに送り密教学ば空海真言宗最澄天台宗開きそれぞれ空海野山最澄比叡山下賜わっまた白河天皇始めする天皇譲位出家法皇名乗る多くなる

その後江戸時代まで仏教とも深く繋がっおり法事仏式行わ1871明治4まで宮中黒戸仏壇あり歴代天皇位牌あっ天皇皇族位牌称さしかし明治時代入る明治政府神道重視政策により神仏分離行わ1000以上続い仏式行事すべて停止京都泉涌寺まとめられ皇室仏教疎遠なる

職能芸能関係編集

天皇という本来自然領域属する超越人間社会奪取する媒介働きおりその多義宗教儀礼技芸まつわっいる[84]天皇職人内密関係られる金春禅竹宿語るところよる芸能職人守護神ある宿宇宙中心あるによって考えられこれ大蛇自然からレガリア取り出すスサノオよう宿荒々しい自然から人間社会持ち込む離れ業演じるあっことよるいうすなわち天皇権力芸能職人日々行う似通っ性格なっいる[85]

宿星宿北極星宿呼ぶこと太陽星宿意味込められいるいる宿という文字降下あらゆる降り注ぎ人間に対してあらゆる行うという意味ある文字書くことから喩える文字ありあらゆる領域飛翔するという込められいる[86]また本地垂迹すべて本体一つあり常住不滅一つ集約れるいう[87]宿末尾日月星宿すべて宿っものあり俗体化身ありそれ知っいる知らない違いある説かいる[88]

天皇律令制という合理制度導入以後自然内奥深い結び付き主張する宿身体身体あるいは身体様々宗教儀礼神話観念を通して維持しよ[89]カムイという言葉よう強力住人指し[90]特に古代天皇復活目指し後醍醐天皇による中興密教道具立て使っ自然内奥から超越主権取り出しくる異形として天皇という規模演出まで試みられ網野善彦異形王権この問題主題いる[89]

一神教国家神道編集

明治23創建橿原神宮
奈良橿原

日本百科全書よる明治維新王政復古によって祭政一致政治理念基本天皇元首かつ神聖不可侵現人神[91]ここ断絶無い日本古来観念全く異なる一神教観念取り入れられ[91]天皇絶対真理普遍道徳体現する至高存在あらゆる価値天皇一元化[91]天皇国家神道いわば最高祭司あり神社祭式皇室祭祀基準整えられれる[91]東アジア学者石川サトミよれ日本人にとって天皇彼ら唯一すなわち天皇their God, i.e. the Tennoとも表現れる[92]

また大日本帝国存在時代日本皇帝the emperor唯一としてas God見なさたり[93]人間形態として啓示唯一God revealed in human form主張たりすることあっ[94]一神教唯一皇帝Empepror唯一皇帝sole emperor説かれる[95]例えば帝国大学比較宗教学だっ加藤天皇日本人にとってユダヤ唯一呼ん一つ地位専有いるoccupying for the Japanese the place of the one whom the Jews called God論じ[94]

ユダヤキリスト編集

宗教思想史学者前川理子研究論文よれ天皇唯一なる存在唯一見なすとして比較宗教学加藤ある[96]加藤東京帝国大学神道研究公的研究あり国家神道State Shinto提唱だっ[97]加藤よれ数多く殉教者出し日本精神――つまり武士大和魂伝統――一神教絶対服従精神同一ある[96]その精神旧約聖書ユダヤアブラハムヨブ見せよう態度ある[96]

このよう考えによって日本精神宗教進化ティーいう倫理宗教レベル到達済みあること明白れるようなっ[96]加藤唯一キリスト天皇結びつけ

西洋あっ即ち日本あっ天皇西洋あっ宗教信仰日本あっ忠孝西洋あっ基督教日本あっ天皇申しあります

述べいる[96]同時に加藤日本人みなあるいる[98]

一方言語B. H. チェンバレン日本人天皇崇敬明治時代以後人為宗教発明ある述べたり武士という使わなかっ論じ[99]こうした研究強い不満持っ加藤日本固有思想日本人一番理解できるという理由もっ日本に対する外国誤解退け科学忠君愛国立てなけれならない述べいる[99]

イスラム編集

ピーターリャン・テック・ソン歴史論文よる唯一天皇同じ唯一として信じるようイスラム命令下されることあっ[100]例えば大日本帝国ジャワ島ムスリムたちメッカより東京礼拝日本皇帝唯一として礼賛せよという日本命令the Japanese military orders to bow towards Tokyo rather than Mecca and to glorify the Japanese Emperor as God伝え[100]

ジャワ奉公日本ジャワ島キャイイスラム教師イスラム指導といったムスリムたちから支持得よ[100]しかその日本唯一アッラーフ天皇について命令伝えためムスリムたち既に混乱られ状態あり結果として失敗[100]

世界帝国主義皇帝主義君主君主主義国家社会主義ナチズム悲惨失敗招きそれに対する反動程度流血沙汰なっ[101]現代イスラム過激主義そうした反動ありカブールからジャワいたる世界各地活発いる[101]

天皇八紘一宇編集

現人神一般

現代推論れるところ加藤西洋絶対合理主義批判ないこと天皇絶対同様説明言論広め批判封じよ[102]しか西洋からすれモンゴル人種または黄色いある天皇日本人によって絶対同一いること西洋驚か嫌悪[102]

現人神天皇絶対兼ねおり東京帝国大学憲法上杉慎吉主張[103]大神天皇絶対唯一否定するについて上杉批判いる[104]以下引用する[104]

家族宗長として祖先崇拝より服従するふも足ら 現人神ある天皇なる故に服従する服従べきもの信仰する故に崇拝服従する信仰理由ない
のうちに、各神が絶対的に憑依するの中心たるが在まさねばならぬ。皆神ならば、又は神道は成立する筈がない。(中略)

カミ種々雑多なれ神道宗教なりとして概念べき唯一天皇祖宗以来一代ますカミ絶対至尊御方なし申さなら

本義絶対天皇憑依する在りふた宗教する一方あるある

神代の人は皆神、功績徳望ありし人は皆神では、皇道は成り立たぬ。

上杉こう言っ[105]

天皇絶対帰依その精神合一するなら有限超越個人圧迫不安解脱することできるという古来日本人信仰あっ
八紘一宇

世界統一思想ある八紘一宇現人神セット語らもの田中智学日本神話解釈から由来いる[105]天皇大神延長ありよって日蓮主義天皇政治一致するよう努力なけれならないという日蓮主義起源ある[105]

伝統精神国家社会主義

国家社会主義社会主義国家主義一種あり日本純正日本主義主義連れ立っ活動[106]特に国家社会主義ナチズム民族主義全体主義個人主義自由主義民主主義議会主義社会主義マルクス主義掲げる[107][108]なお右翼一般ドイツナチスイタリアファシスト日本国家主義などその代表いる[109]

昭和時代初期天皇にまつわる伝統発明として代表佐藤信淵および大国隆正思想利用[110]江戸時代末期著述ある信淵帝国統制経済思想象徴混同秘策1823秘録1833だっ[110]前者日本世界支配する使命ありその手段として満州朝鮮中国併合べきある説かいる[110]後者国家による統制経済必要説いいる[110]こうした著述援用戦時信淵東亜戦争予言称賛[110]

だが東亜戦争至るまで信淵思想存命および死後実質政治影響無かっ[111]混同秘策秘録秘本あり一部弟子以外閲覧さえ許さ公刊1887明治20以降だっ[111]

世界支配および統制経済掲げ信淵関心高まっいっ戦争勝利ある[111]また社会主義観点から信淵興味示す日本知識現れ始め[111]信淵評価決定的変化1927昭和2大川周明著し佐藤信淵理想国家だっ[112]信淵思想

鮮明国家社会主義ある

位置づけられ伝統精神見なさ[112]またよう評価[112]

信淵信念実に聖徳太子動き天智天皇動きたる日本精神信念あるこの精神偉大のみ把握得る

こうして信淵思想国家社会主義あり伝統精神日本精神中核ある見なさ[113]1934昭和9三上河野省三といった歴史神道研究まで日本伝統国家社会主義讃えるようなっ[113]この伝統精神小学校歴史教科書さえ扱われるようなり進ん海外植民開拓国力伸ばさなけれならない日本海外進出する提唱すでに江戸時代からあっというよう論じられ[113]

天皇

戦時天皇もてはやさ[114]天皇同じく戦時天皇信仰主唱世紀予言呼ば幕末国学大国隆正唱え議論ある[114]これ要するに天皇世界皇帝たちより地位あり歴史必然として世界あるという主張だっ[114]

天皇もとより外交政治影響与えこと無かっ[115]しかも隆正一部弟子以外忘れ去ら[115]帝国昭和時代なる世間から注目始め[115]その発端昭和25宮中顧問山口大国隆正日本精神という文章新聞掲載ある[115]隆正日本最も偉大思想家あり最も偉大国学あつ明治維新基礎なし功績ある断定[115]

新聞掲載天皇隆正扱う論文急増大国隆正全集公刊[116]実は全集から省かいるもともと隆正日本神話古事記日本書紀わがくに小説演義鼻祖作り話元祖扱っ[116]これ長いあいだ知られることなかっ[116]

世界大戦至る天皇

明治維新から今日世界維新直通一貫生きゐるある

大崎勝澄によって理屈付けられ[117]そして八紘一宇天皇ありそれまた

  • 唯一思想原動力
  • 天皇中心世界一体
  • 宇宙包含する如き深遠宏大なる日本理念
  • 超え永遠新鮮世界
  • 日本発見
  • なる日本世界
  • 古事記発見
  • 天皇政治世界
  • 国民自覚
  • 大和民族宿志
  • 大和民族本来世界使命
  • 日本理念そのもの
  • 天津ことさしへる使命
  • 神武天皇抱懐せらたる世界雄図
  • 惟神かんながら世界

ある認識いっ[118]このよう大国隆正よう国学たち足がかり八紘一宇明治維新日本建国理念結合伝統発明完成[119]

当時アメリカ合衆国天皇というアンケート調査行なわ[120]19444雑誌フォーチュン日本特集組ま調査回答結果

という内容だっ[120]

敗戦

日本降伏GHQ神道指令State Shinto国家神道といったはじめ加藤影響及ん[121]神道指令起草するW. K. バンス用いものアメリカ神道学者D. C. ホルトム神道あっホルトム加藤神道から学ん[121]

敗戦加藤公職追放恩給一時停止[122]加藤たち時代宗教理想宗教融合調和だっ[123]加藤よれ神道仏教合一国家神道成立神道キリスト合一全うかね[123]しか1959当時皇太子だっ上皇明仁結婚によって破天荒精神事業加藤述べ[123]キリスト教カトリック教育成長正田美智子皇室迎えることによって従来一大難事だっ宗教融合調和成立という[123]前川これ加藤続き評しいる[123]

批判

前川よる加藤研究多分規範あり神道研究いうより神道だっ[97]また加藤世代民俗柳田國男最近神道現実踏まえない人為新説批判[97]当時神社国家宗旨あり宗教ない[97]それ学問から内容だっ多様神道神社主張れることなり加藤有力論者なっ[97]

皇位継承編集

皇位継承皇太子など皇嗣皇位天皇継承することある皇位継承世襲により行われること大日本帝国憲法日本国憲法とも明文規定あり詳細ルール皇室典範において定められる

三種神器編集

三種神器イメージ
現物非公開

日本神話において天孫降臨瓊瓊大神から授けられ神器また神話登場神器同一れるあるいはそれなぞらえられる日本歴代天皇継承三種宝物

天皇践祚に際しこの神器うち瓊勾ならび形代所持すること正統天皇たるある皇位継承同時に継承れる璽等承継[124]

三種神器所在地
実物 形代
咫鏡 伊勢神宮内宮 宮中殿賢所
瓊勾 皇居
草薙 熱田神宮 皇居

即位編集

即位即位正殿臨む天皇
2019元年1022

天皇即位に際して即位行われるこれ皇室典範定められ国事行為あり以下儀式から成る

  • 璽等承継
  • 即位朝見
  • 即位正殿
  • 祝賀
  • 饗宴

即位正殿戴冠相当する即位中心儀式あり天皇即位国内外宣明する

大嘗祭編集

大嘗祭嘗宮臨む天皇明仁
1990平成211

天皇即位に際し一世重要祭祀ある大嘗祭行われる日本国憲法皇室公的行事れる

氏姓編集

天皇氏姓および名字持たないれる

配偶編集

現在皇后雅子
20198 撮影

皇室典範において天皇配偶皇后1のみある一夫一婦現在皇位継承できる男子のみありその配偶女子なる

大王正室おおき称さ律令制天皇正室皇后天皇正室以外複数側室ほか一夫多妻皇后正室すらもつことでき皇后中宮一条天皇2並立天皇配偶当初出自応じそれぞれ称号決まっ後代なる寵愛度合いによってこれ曖昧なっ

明治20年半ば1890年代後半皇太子親王大正天皇決めるにあたりキリスト概念による一夫一妻西欧列強一等国として認められるため宮中一夫一妻推進する必要迫ら[125]そこ健康九条節子皇太子なり夫妻裕仁親王昭和天皇4男児誕生大正天皇自身側室柳原愛子あること知っ衝撃受けまたその貞明皇后側室ある生母野間幾子不遇育っことから一夫一妻推進[126]

続く昭和天皇2021にかけて欧州訪問行っイギリス王侯貴族簡素生活影響受け[127]主体意思持っ側室制度拒否[128]

時期 大王天皇配偶
大宝律令制定
大宝律令制定 - 平安時代初期 皇后 夫人
平安時代初期 - 南北時代 中宮 女御 更衣
南北時代 - 江戸時代初期 上臈 典侍
江戸時代初期 - 明治維新 中宮
明治天皇 皇后
大正天皇から現在

組織役職編集

宮内庁編集

宮内庁[129]ないちょう英語: Imperial Household Agency日本行政機関一つある皇室関係国家事務天皇国事行為にあたる外国大使公使接受に関する事務皇室儀式係る事務つかさどり御璽国璽保管する内閣機関ある所在地東京千代田千代田11皇居坂下北側

なお宮内庁かつて総理府外局あっ現在内閣外局内閣設置4964なく内閣置かれる独自位置づけ機関いる内閣設置48官報掲載内閣について外局なく外局として宮内庁含めいる

明治2(186978古代太政官ならっいわゆるからなる政府組織このかつて大宝規定宮内ないしょみやうちつかさ名称のみ受け継ぐ内省設置1947宮内なりさらに1949宮内宮内庁なっ総理府外局なり宮内庁長官宮内庁次長置か1官房32京都事務所設置2001平成1316中央省庁改革一環として内閣設置施行宮内庁内閣置かれる機関なっ

幹部編集

内部部局編集

皇宮警察本部編集

皇宮警察本部[130]こうぐうけいさつほんぶImperial Guard Headquarters警察庁置かいる附属機関ひとつ[131]天皇及び皇后皇太子その他皇族護衛皇居及び御所警衛その他皇宮警察に関する事務つかさどる[131]本部所在地東京千代田千代田13

本部皇宮警視階級皇宮護衛ある慣例により内閣事務ある宮内庁職員併任れる

本部紋章ある菊花紋章並ん古来から皇室象徴

皇居うち宮殿及び皇居御苑区域担当する坂下護衛御所宮中殿区域担当する吹上護衛設置いる[132][133]

役職編集

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葬送儀礼編集

昭和天皇大喪
1989平成元年224

葬送儀礼形式古く神式あり平安時代から江戸時代まで仏式営ま江戸時代後期神式復活以降この形式行われる

皇室行事として天皇葬送儀礼大喪いう大喪特徴として長期間にわたって通夜にあたる儀式殯宮営まれること挙げられるこれ古代葬送儀礼もがり由来するもの本来年間行う昭和天皇大喪40ほどあっ葬儀告別斂葬いい葬場殿という御殿建て行う

この皇室私的儀礼国事行為として大喪という国葬行われる大喪宗教排除もの国内外から弔問訪れる

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大王規模造営まだ倭国火葬文化なく例外なく大王土葬あっ初めて火葬天皇天皇あるこれ以降江戸時代初め至るまで火葬多く採用後光明天崩御土葬復活する昭和天皇皇后まで土葬しかし125天皇明仁在位自ら葬儀簡素火葬導入希望するこれあわせ新た葬儀あり方打ち出さこれ以降天皇皇后火葬復活することなっ

天皇陵編集

武蔵陵墓昭和天皇陵
宇治山田陵墓参考
全国各地散在する皇族宮内庁陵墓参考として管理続けいる

外部リンク歴代天皇陵一覧宮内庁
皇室典範昭和22116法律327により天皇皇后皇太后太皇太后葬るりょうその他皇太子親王など皇族葬るはか定められいるこのほかニニギノミコトなどとして神代宮内庁によって治定いる[136]
天皇陵時代によって変遷おり天皇まだ大王呼ば時代巨大前方後円墳造営その後方墳八角変遷院政白河天皇鳥羽天皇近衛天皇いたっ仏式納骨する方式現れ江戸時代後水尾天皇以降代々京都泉涌寺石造形式陵墓建立幕末いたっ尊皇思想高揚する天皇陵復古調取り入れられ孝明天皇規模墳丘持つ形式築造明治天皇以降規模下方造営れる形式続い明仁自らについて火葬希望する明らか規模縮小する方針発表

国際関係編集

天皇明仁皇后美智子米国大統領ブッシュ夫妻2002
1983昭和58アメリカ大統領ロナルドレーガン昭和天皇
2019元年各国首脳歓談する天皇
2019元年饗宴ブルネイボルキア国王会食する

天皇外国訪問国事行為臨時代行に関する法律整備おら長年実現なかっ

1971昭和46昭和天皇天皇として初めて外遊イギリスオランダスイスなどヨーロッパ諸国7カ国訪問1975昭和50当時大統領ジェラルド・Rフォード招待により天皇として初めてアメリカ合衆国公式訪問

125天皇だっ明仁1991平成3タイ王国など行幸始め12ペース海外行幸いるまた各国王室様々機会プライベート電話会談などやり取り行わいる[137]

世界大戦占領統治終わりとともに外国元首賓客王族など日本訪れるようなっ1956昭和31エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ11957昭和32インド首相ジャワハルラール・ネルー1958昭和33インドネシア大統領スカルノ1960昭和35西ドイツ首相アデナウアー1968(昭和38)タイ国王ラーマ9来日あっ以後国々から賓客次々来日するようなっ[138]

昭和天皇大喪世界163か国国家元首首脳17国際機関関係参列訪れベルギーブータンブルネイヨルダンレソトニジェールトンガ国王バングラデシュブラジルブルンジジブチエジプトフィジーフィンランドフランスガンビアドイツ連邦共和ギリシャホンジュラスアイスランドインドインドネシアアイルランドイスラエルイタリアケニアモルディブミクロネシア連邦ナイジェリアパキスタンフィリピンポルトガルスペインスワジランドエスワティニトーゴチュニジアトルコウガンダタンザニアアメリカ合衆国バヌアツザイールザンビア大統領首相国際連合事務総長参列[139]

天皇に関する課題編集

皇位継承問題編集

国体論争編集

退位問題編集

日本皇室系図編集

126天皇男系父系直系祖先編集

  • 代数皇統よる
  • 北朝歴代算入ない
1 神武天皇 2 綏靖天皇 3 安寧天皇 4 懿徳天皇 5 孝昭天皇 6 孝安天皇 7 天皇 8 天皇 9 開化天皇 10 天皇
11 天皇 12 天皇 日本 14 仲哀天皇 15 応神天皇 野毛皇子 乎非 主人 26 天皇
29 欽明天皇 30 天皇 押坂彦人
大兄皇子
34 舒明天皇 38 天智天皇 志貴皇子 49 天皇 50 桓武天皇 52 嵯峨天皇 54 仁明天皇
58 光孝天皇 59 宇多天皇 60 醍醐天皇 62 村上天皇 64 円融天皇 66 一条天皇 69 朱雀天皇 71 後三条天皇 72 白河天皇 73 堀河天皇
74 鳥羽天皇 77 後白河天皇 80 高倉天皇 82 後鳥羽天皇 83 土御門天皇 88 嵯峨天皇 89 後深草天皇 92 伏見天皇 93 伏見天皇 1 天皇
3 天皇 親王 親王 102 花園天皇 103 土御門天皇 104 柏原天皇 105 奈良天皇 106 正親町天皇 親王 107 陽成天皇
108 後水尾天皇 112 天皇 113 東山天皇 親王(閑院) 親王() 119 天皇 120 仁孝天皇 121 孝明天皇 122 明治天皇 123 大正天皇
124 昭和天皇 125 明仁 126

家系形式天照大御神から126天皇まで編集

  • 各囲みの一段目はいみな/生年-没年/性別 の形式で表記
  • 囲み下部数字即位退位ある
  • 西暦記し紀元前?不詳表す
  • ()記号名称諡号かんふうし生前行跡基づい死後贈らあること意味する
  • ()天皇代数[出典]
  • 記紀による初代天皇(神武天皇)以前系図について皇室皇室系図一覧参照
天照大御神/神話存在/♀
 
 
 
/神話存在/♂
 
 
 
瓊瓊/神話存在/♂
 
 
 
彦火/神話存在/♂
 
 
 
草葺/神話存在/♂
 
 
 
彦火/711-585/♂
神武天皇()
660-585(1)
 
 
 
(不明)/632-549/♂
綏靖天皇()
581-549(2)
 
 
 
(不明)/577-510/♂
安寧天皇()
549-510(3)
 
 
 
(不明)/553-476/♂
懿徳天皇()
510-476(4)
 
 
 
(不明)/506-393/♂
孝昭天皇()
475-393(5)
 
 
 
(不明)/427-291/♂
孝安天皇()
392-291(6)
 
 
 
(不明)/342-215/♂
天皇()
290-215(7)
 
 
 
(不明)/273-158/♂
天皇()
214-158(8)
 
 
 
(不明)/208-98/♂
開化天皇()
157-98(9)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/148-29/♂
天皇()
97-29(10)
 
 
 
 
 
/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/68-70/♂
天皇()
29-70(11)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大足/13-130/♂
天皇()
71-130(12)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
日本/82?-113?/♂
 
/84-191/♂
天皇()
131-191(13)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/148?-200/♂
仲哀天皇()
192-200(14)
 
 
 
 
 
長足/170-269/♀
神功皇后()
201-269(摂政)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
譽田/200-310/♂
應神天皇()
270-310(15)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鷦鷯/257-399/♂
仁徳天皇()
313-399(16)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
野毛/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
去来/336?-405/♂
履中天皇()
400-405(17)
 
/336?-410/♂
天皇()
406-410(18)
 
/376?-453/♂
允恭天皇()
413-453(19)
 
坂大中姫/?-?/♀
 
/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
市辺/?-?/♂
 
 
 
 
 
/401-456/♂
安康天皇()
454-456(20)
 
大泊/418-479/♂
雄略天皇()
456-479(21)
 
乎非/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/449-498/♂
仁賢天皇()
488-498(24)
 
/450-487/♂
天皇()
484-487(23)
 
飯豊/440-484/♀
484-484(秉政)
 
白髪/444-484/♂
天皇()
480-484(22)
 
主人/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
小泊鷦鷯/489-507/♂
天皇()
498-507(25)
 
/?-?/♀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/450-531/♂
繼體天皇()
507-531(26)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/509-571/♂
欽明天皇()
540-571(29)
 
/465-536/♂
安閑天皇()
531-536(27)
 
高田/467-539/♂
天皇()
536-539(28)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/538-585/♂
天皇()
572-585(30)
 
額田/554-628/♀
推古天皇()
593-628(33)
 
池辺/540?-587/♂
明天()
585-587(31)
 
瀬部/553?-592/♂
天皇()
587-592(32)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
坂彦/?-?/♂
 
 
 
 
 
/574-622/♂
聖徳太子()
593-622(摂政)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/?-?/♂
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/596-654/♂
孝徳天皇()
645-654(36)
 
/594-661/♀
天皇()
642-645(35)
明天()
654-661(37)
 
 
 
田村/593-641/♂
舒明天皇()
629-641(34)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
葛城/626-672/♂
天智天皇()
661-672(38)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大友/648-672/♂
弘文天皇()
672(39)
 
 
 
 
鸕野讚良/645-701/♀
天皇()
690-697(41)
 
 
 
海人/631?-686/♂
天武天皇()
672-686(40)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
志貴/668?-716/♂
春日天皇()
()
 
 
 
/661-721/♀
元明天皇()
707-715(43)
 
草壁/662-689/♂
岡宮天皇()
()
 
 
舎人/676-735/♂
崇道尽敬天皇()
()
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
氷高/680-748/♀
元正天皇()
715-724(44)
 
珂瑠/683-707/♂
文武天皇()
697-707(42)
 
 
大炊/733-765/♂
淳仁天皇()
758-764(47)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/701-756/♂
聖武天皇()
724-749(45)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高野/?-790/♀
 
白壁/709-782/♂
天皇()
770-781(49)
 
井上/717-775/♀
 
阿倍/718-770/♀
天皇()
749-758(46)
天皇()
764-770(48)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
山部/737-806/♂
桓武天皇()
(別名: 柏原)
781-806(50)
 
早良/750?-785/♂
崇道天皇()
()
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
殿/774-824/♂
平城天皇()
(別名: 奈良)
806-809(51)
 
神野/786-842/♂
嵯峨天皇()
809-823(52)
 
大伴/786-840/♂
淳和天皇()
(別名: 西院)
823-833(53)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
正良/810-850/♂
仁明天皇()
(別名: 深草)
833-850(54)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/827-858/♂
文徳天皇()
(別名: 田邑)
850-858(55)
 
/830-887/♂
光孝天皇()
(別名: 小松)
884-887(58)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/850-880/♂
清和天皇()
(別名: 水尾)
858-876(56)
 
/867-931/♂
宇多天皇()
887-897(59)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
貞明/869-949/♂
陽成天皇()
876-884(57)
 
/885-930/♂
醍醐天皇()
897-930(60)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
寛明/923-952/♂
朱雀天皇()
930-946(61)
 
成明/926-967/♂
村上天皇()
946-967(62)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/950-1011/♂
冷泉天皇()
967-969(63)
 
 
 
 
 
/959-991/♂
天皇()
969-984(64)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/968-1008/♂
花山天皇()
984-986(65)
 
/976-1017/♂
天皇()
1011-1016(67)
 
 
 
/980-1011/♂
一條天皇()
986-1011(66)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
禎子/1013-1094/♀
 
/1009-1045/♂
朱雀天皇()
1036-1045(69)
 
/1008-1036/♂
後一天皇()
1016-1036(68)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1034-1073/♂
天皇()
1068-1073(71)
 
親仁/1025-1068/♂
後冷泉天皇()
1045-1068(70)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
貞仁/1053-1129/♂
白河天皇()
1073-1087(72)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
善仁/1079-1107/♂
堀河天皇()
1087-1107(73)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1103-1156/♂
鳥羽天皇()
1107-1123(74)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1119-1164/♂
崇徳天皇()
1123-1142(75)
 
/1127-1192/♂
後白河天皇()
1155-1158(77)
 
/1139-1155/♂
天皇()
1142-1155(76)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1143-1165/♂
二條天皇()
1158-1165(78)
 
 
 
憲仁/1161-1181/♂
高倉天皇()
1168-1180(80)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1164-1176/♂
天皇()
1165-1168(79)
 
/1178-1185/♂
安徳天皇()
1180-1185(81)
 
/1179-1223/♂
高倉天皇()
()
 
/1180-1239/♂
鳥羽天皇()
1185-1198(82)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1212-1234/♂
堀河天皇()
1221-1232(86)
 
/1196-1231/♂
土御門天皇()
1198-1210(83)
 
守成/1197-1242/♂
順徳天皇()
1210-1221(84)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
秀仁/1231-1242/♂
天皇()
1232-1242(87)
 
邦仁/1220-1272/♂
嵯峨天皇()
1242-1246(88)
 
/1218-1234/♂
仲恭天皇()
1221(85)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宗尊/1242-1274/♂
1252-1266(鎌倉将軍6)
 
 
 
 
久仁/1243-1304/♂
後深草天皇()
1246-1260(89)
 
 
 
 
 
 
恒仁/1249-1305/♂
山天()
1260-1274(90)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
惟康/1264-1326/♂
1266-1289(鎌倉将軍7)
 
熈仁/1265-1317/♂
伏見天皇()
1287-1298(92)
 
 
 
久明/1279-1308/♂
1289-1308(鎌倉将軍8)
 
 
 
/1267-1324/♂
宇多天皇()
1274-1287(91)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1288-1336/♂
伏見天皇()
1298-1301(93)
 
/1297-1348/♂
花園天皇()
1308-1318(95)
 
/1301-1333/♂
1308-1333(鎌倉将軍9)
 
邦治/1285-1308/♂
二條天皇()
1301-1308(94)
 
/1288-1339/♂
後醍醐天皇()
1318-1339(96)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1313-1348/♂
天皇()
1332-1334(北朝1)
 
豊仁/1322-1380/♂
光明天皇()
1336-1348(北朝2)
 
 
 
義良/1328-1368/♂
後村上天皇()
1339-1368(97)
 
護良/1308-1335/♂
1333-1334(征夷大将軍)
 
成良/1326-1338(または1344)/♂
1334-1338(征夷大将軍)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1334-1398/♂
天皇()
1348-1351(北朝3)
 
/1336-1374/♂
後光天皇()
1352-1371(北朝4)
 
寛成/1343-1394/♂
長慶天皇()
1368-1383(98)
 
/1350?-1424/♂
山天()
1383-1392(99)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1351-1416/♂
 
/1339-1393/♂
天皇()
1371-1382(北朝5)
 
参照:
南朝北朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1372-1456/♂
天皇()
()
 
/1377-1433/♂
小松天皇()
1382-1392(北朝6)
小松天皇()
1392-1412(100)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1419-1471/♂
花園天皇()
1428-1464(102)
 
躬仁/1401-1428/♂
天皇()
1412-1428(101)
 
 
 
 
 
 
 
成仁/1442-1500/♂
土御門天皇()
1464-1500(103)
 
 
 
 
 
 
 
/1464-1526/♂
柏原天皇()
1500-1526(104)
 
 
 
 
 
 
 
/1497-1557/♂
奈良天皇()
1526-1557(105)
 
 
 
 
 
 
 
/1517-1593/♂
正親町天皇()
1557-1586(106)
 
 
 
 
 
 
 
/1552-1586/♂
陽光天皇()
()
 
 
 
 
 
 
 
和仁/1572-1617/♂
陽成天皇()
1586-1611(107)
 
 
 
 
 
 
 
政仁/1596-1680/♂
後水尾天皇()
1611-1629(108)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1624-1696/♀
明正天皇()
1629-1643(109)
 
紹仁/1633-1654/♂
光明天皇()
1643-1654(110)
 
良仁/1638-1685/♂
西天皇()
1655-1663(111)
 
/1654-1732/♂
靈元天皇()
1663-1687(112)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
朝仁/1675-1710/♂
東山天皇()
1687-1709(113)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1704-1753/♂
 
/1702-1737/♂
中御門天皇()
1709-1735(114)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
昭仁/1720-1750/♂
天皇()
1735-1747(115)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1733-1794/♂
天皇()
()
 
遐仁/1741-1762/♂
桃園天皇()
1747-1762(116)
 
智子/1740-1813/♀
天皇()
1762-1771(117)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1758-1779/♂
桃園天皇()
1771-1779(118)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勧修寺婧子/1780-1843/♀
 
/1771-1840/♂
天皇()
1780-1817(119)
 
欣子/1779-1846/♀
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1800-1846/♂
仁孝天皇()
1817-1846(120)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1831-1867/♂
孝明天皇()
1846-1867(121)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1852-1912/♂
明治天皇()
1867-1912(122)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1879-1926/♂
大正天皇()
1912-1926(123)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
裕仁/1901-1989/♂
1921-1926(摂政)
昭和天皇()
1926-1989(124)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明仁/1933-/♂
(上皇)
1989-2019 (125)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
/1960-/♂
(今上天皇)
2019-(126)

脚注編集

[脚注使い方]

注釈編集

  1. ^ 実在強い疑いある人名多い問題あり確定不能[2]学問無関係公的決定神武天皇れる[2]
  2. ^ 学界諸説ある7世紀から8世紀初頭推認いる[3]公的決定神武天皇即位紀元前660れる[2]
  3. ^ 総攬そうらん統合掌握すること政治人心など掌握治めること[11]
  4. ^ 実際607成立なく少し白鳳時代645から710考えられいる
  5. ^ 天寿繡帳破損ひどく抜粋部分前日などかろうじて現存全文法王転記いる7世紀より細かい成立年代論争ある問題部分後世補修部分あることわかっいるので原形通り復元文字変更なさない確定できない
  6. ^ 京都市立芸術大学礪波技法様式から白鳳末期世紀から世紀初頭遡りないいうまた666中大兄皇子期間ため天皇空位あり銘文内容事実当てはまらないそのため銘文解釈諸説ある
  7. ^ 始皇帝以来使用皇帝に対して日本含め周辺諸国皇帝から称号与えられしかし日本みずから天皇称号用いるようなる[57]
  8. ^ ただし明仁天皇退位特例によって譲位上皇なっ
  9. ^ 日本古文書 幕末関係文書 1 六月七月東京大学史料編纂 東京大学出版 1972p238 - 251[63]

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参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集

天皇
126

1960223 - 存命

日本皇室
先代
明仁
皇位
2019元年51 現在
次代
(秋篠宮親王)
(推定相続)
皇嗣皇位継承順位1