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壱岐島 - Wikipedia

壱岐島

日本
壱岐から転送

壱岐いきしま長崎離島九州対馬位置する南北17 km東西14 km程度大き壱岐島周辺小さな島々区別壱岐本島呼ぶ場合あるまた古事記伎島いきしま書か[1]別名あめひとつばしら言う[2]

壱岐島
Iki Island Relief Map, SRTM.jpg
地形
所在地 日本の旗 日本 長崎壱岐
所在海域 日本海玄界灘壱岐水道対馬海峡
座標 北緯33470 東経129430 / 北緯33.78333 東経129.71667 / 33.78333; 129.71667座標: 北緯33470 東経129430 / 北緯33.78333 東経129.71667 / 33.78333; 129.71667
面積 133.8  km²
海岸 167.5  km
最高標高 212.8  m
壱岐島の位置(長崎県内)
壱岐島
壱岐島
壱岐島 (長崎)
壱岐島の位置(日本内)
壱岐島
壱岐島
壱岐島 (日本)
Project.svgプロジェクト 地形
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概説編集

壱岐島縄文時代からヒト居住形跡られ古墳など現存おりヒト居住続け痕跡島内各地残っいるただ島内植生動物ヒトによる撹乱続けられそればかりヒトによって持ち込ま特定外来による撹乱続いいる

壱岐島対馬同様九州朝鮮半島存在するありこの地理条件ため古く文明先進地域あっ朝鮮半島後進地域あっ九州結ぶ航路中継1として利用ただし船舶進歩伴い九州博多港朝鮮半島釜山直接結ぶ航路など開設さらに航空機登場など伴い交通中継として地位低下

玄界灘位置する壱岐島周囲23属島有人4無人島19存在まとめ壱岐諸島呼ぶただしこの属島含め壱岐島呼び壱岐島壱岐本島呼ぶ場合あるなお官公庁定義壱岐島呼ぶ場合周囲属島含めない現在壱岐1体制長崎島内壱岐振興壱岐支庁壱岐地方置いいる

島内漁業だけなく農業行わいるまた島内全域壱岐対馬国定公園指定おり観光られるこの関係九州などから旅客船など運行いる空港有るものの慢性赤字空港ある[注釈 1]

地理編集

壱岐島空中写真2017511撮影148合成なお写真ある
国土交通省 国土地理 地図空中写真閲覧サービス空中写真作成
壱岐島地図

九州東松浦半島から北西20 km玄界灘壱岐島位置いるなお九州壱岐島海域壱岐水道呼ぶまた壱岐島から対馬海峡隔て北西海上対馬有る航路距離福岡博多港から南西郷ノ浦まで74 km東松浦半島呼子唐津から南東いんうじまで26 kmある

海岸入り組んおり面積133.8 km2程度ながら海岸167.5 km達するそれほど高い島内無く南端位置する山頂標高212.8 m岳ノ辻最高峰ある

島内河川中部北部江川有り両方とも向き流れいるまたいずれ注いおり内海呼ばれる谷江芦辺有る流れ込んいるなおその他河川ある北西壱岐湯本温泉69 温泉自噴[3][注釈 2]

地質編集

岳ノ辻
壱岐島

部分玄武岩覆わ溶岩台地あり高低小さい[注釈 3]最高峰岳ノ辻標高212.8 m8標高100 m以下ある岳ノ辻170-140万4100-605火山活動溶岩台地以外北部堆積岩ある勝本中部南部新第三紀中新世壱岐られる

気候編集

暖流対馬海流対馬海峡流れる影響あり気候比較的温暖ある天気予報壱岐対馬一括表示れる場合多いものの自然環境特殊対馬ほど強くなく九州北部近い

なお春先吹く強い南風こと気象用語として用いられる春一番発祥壱岐ある江戸時代幕末1859安政6春一番呼ば季節強い南風により地元漁師大勢遭難海難事故きっかけ広まっ用語あるこの関係1987郷ノ浦入口公園イメージ春一番建立

生物編集

比較的平坦地形田畑として利用易く古来より自然環境人的影響強かっ照葉樹各地残るものの規模原始無い渡良アコウ自生北限あるまた氷河期あっ1まで九州陸続きだっ考えられおりその根拠として九州北部共通淡水魚られ挙げられるただし淡水魚相次ぐ河川改修行わだけなく人為オオクチバスブルーギル放流現在絶滅考えられいる

集落形成編集

島内集落農業集落漁業集落大きく分けられる農業集落ざい呼ば形態取るに対し漁業集落うら呼ば形態取る[4]そしてそれぞれ農村集落ふれ漁業集落地名末尾付く語源江戸時代村方うち扨頭さすがしら触れ回っ範囲呼称由来するする朝鮮プル由来するする有る[5]なお現在壱岐行政区画ある単位として用いられいる

壱岐諸島編集

壱岐島付近複数島々られそれら総称壱岐諸島呼ぶ場合ある壱岐諸島における最大壱岐島あるこの壱岐島属島として原島長島大島若宮4有人19無人島存在する[6][7]

画像 名前 範囲
(km2)
人口 最高
(m)
ピーク 座標
Position of Ashibe Port Iki City.png 壱岐島 133.8 13,178 212.8 岳ノ辻 北緯3347 東経12943 / 北緯33.783 東経129.717 / 33.783; 129.717 (Iki-no-shima)
Harushima Iki.png 原島 0.53 140 北緯334323 東経1293856 / 北緯33.72306 東経129.64889 / 33.72306; 129.64889 (Harushima)
Nagashima Iki.png 長島 0.51 170 北緯334338 東経1293753 / 北緯33.72722 東経129.63139 / 33.72722; 129.63139 (Nagashima)
Oshima Iki.png 大島 1.16 200 北緯334417 東経129385 / 北緯33.73806 東経129.63472 / 33.73806; 129.63472 (Oshima)
Wakamiyajima Iki.png 若宮島 0.35 無人 99.7 北緯335156 東経1294111 / 北緯33.86556 東経129.68639 / 33.86556; 129.68639 (Wakamiyajima)
"Iki Island"全て座標示し地図 - OSM
座標出力 - KML

  人口データ古いものあり平成27国勢調査基づく人口壱岐 26,750ある

歴史編集

対馬と共に朝鮮半島九州結ぶ海上交通中継として利用なお15世紀朝鮮王朝通交記述諸国ヘドンチェグッキ壱岐島対馬について記述られる[8]

古代編集

縄文時代編集

縄文時代遺跡として縄文時代後期遺跡推定れる郷ノ浦片原触遺跡残っいる

弥生時代編集

弥生時代ほぼ全島人々住ん考えられおり河川流域遺跡濃密分布いる下流原の辻ミヤクリ上流柳田田原地域物部戸田遺跡など比較的規模大きく遺物豊富ある[9]

また中国史書壱岐島に関する記述残さいる例えば三国志東夷倭人いわゆる人伝において邪馬台国支配一大存在記さいる逸文存在記さいる199312長崎教育委員島内原の辻遺跡支国中心集落発表東夷倭人ばかり有りまとまっ居住判る記述残っいる

古墳時代編集

河川流域中部など横穴石室分布いる郷ノ浦鬼屋久保古墳横穴石室帆船クジラ認められる描かおりこれ回遊するクジラ集落追い込ん様子描い考えられる[9]

前方後円墳長崎県内最大勝本百合畑触古墳始めとして残存する古墳時代後期6世紀中央窟古笹塚古墳など石室築造

律令制編集

として壱岐置か窟古近く壱岐国分寺置か

和名よれ壱岐石田211伝えられる原方山方相当する壱岐壱岐中央出仕伊吉一族ある考えられる[9]

平安時代1019寛仁3満州られる賊徒高麗沿岸襲いさらに対馬壱岐現れこの壱岐国司あっ藤原賊徒戦い討ち死に一通り略奪繰り返し北九州移りそこで藤原隆家によって鎮圧入寇

なお長田源義朝討っ恩賞壱岐として赴任湯岳覩城築い

中世編集

中世大宰府権能消滅伴い松浦勢力あっ

鎌倉時代中期モンゴル帝国大元ウルスその属国高麗により2侵攻受け1壱岐守護あっ応戦ものの圧倒的兵力壊滅壱岐占領大きな被害受け2弘安上陸受け大きな損害受けなお博多湾日本による上陸受けまた台風影響あり壱岐島から撤退壱岐島戦い

1472文明4岸岳あっ波多壱岐進攻[注釈 4]勢力排除勢力置い波多おき周辺豪族有馬松浦ほか姻戚結ん

後代16世紀半ば年代諸説あり波多さこ死後本家岸岳お家騒動勃発家老日高後室一説有馬義貞抗争あっ嫁ぎある有馬義貞藤堂推し壱岐島代官通じ当時波多次々誅戮1556弘治2堂丸波多16当主据え毒殺あっ日高による侵攻受け岸岳奪わしかし大村草野頼っ落ち延び15658支配代官攻め滅ぼし城主波多据えその後龍造寺有馬支援反攻松浦隆信支援求めものの破れ壱岐島逃れから波多誅戮156912自ら城代なっ岸岳奪還波多攻めものの領地支援求め隆信連合敗退結果嫁が隆信松浦信実城代就い

近世編集

江戸時代松浦流れ汲む平戸松浦治める平戸一部編入

現代編集

1871実施廃藩置県平戸属しその再編により長崎一部編入島内有っ壱岐石田1896町村編制統合壱岐のみ残さ自治体として1889町村制度施行当初壱岐7石田512発足その後町制施行合併繰り返し昭和合併1970まで郷ノ浦勝本芦辺石田4再編200431平成合併によりこれら4合併市制施行壱岐誕生

行政区域変遷について壱岐#歴史参照こと

産業編集

壱岐島産業農業漁業といった産業中心あるなお2世界大戦戦後タバコ栽培肉牛生産盛んなっその後タバコ栽培斜陽化ものの壱岐として差別図らいる

耕地面積僅少ため古来耕地くじ引き行わ[10]

特産として焼酎有名ある焼酎発祥世界貿易機関から壱岐焼酎として保護産地指定受けいる

レオタード編集

壱岐島東部八幡はた地区海女いにしえ海人から伝統ある潜水営んいるただウェットスーツなくレオタード潜っいるこれ八幡から乱獲防ぐためウェットスーツ着用禁止いるからある伝統海女レオタード組み合わせレオタード呼ばれることある

なお八幡海女出漁する期間51から9まである

観光編集

壱岐島温泉海水浴ゴルフキャンプ備え観光として宣伝いる海岸イルカパークある

文化編集

祭事編集

催事編集

  • 壱岐島新マラソン大会1
  • 壱岐綱引大会2
  • 支国ウォーク(3)
  • 壱岐オープンテニス大会5
  • 壱岐サイクルフェスティバル6
  • 辰の島フェスティバル7
  • 壱岐 夜空祭典8
  • 支国幼児相撲大会(9)
  • 壱岐ウルトラマラソン(10)
  • 湯本まつり10

交通編集

壱岐空港1977

国道382北西から南西そして南西から南東"L"貫き主要県道国道地域つなぐ鉄道無く壱岐交通路線バス運行いる

連絡編集

南西郷ノ浦南東東部芦辺漁港北部本港設置いる南東壱岐空港ある

郷ノ浦
九州郵船により博多港福岡および対馬結ぶ旅客船あるジェットフォイル運航いる車両伴わない旅客高速ジェットフォイル利用するまた壱岐島属島ある原島長島大島航路壱岐により運航いる
九州郵船により唐津東港佐賀唐津結ぶフェリー運航いるかつてこのフェリー長崎唐津東港結ぶ高速バスレインボー壱岐連絡長崎壱岐結んなおレインボー壱岐2012331って廃止
芦辺
九州郵船壱岐対馬フェリーにより博多港および対馬結ぶフェリー九州郵船によるジェットフォイル運航いるなお芦辺法的港湾なく漁港ある
勝本
勝本漁協辰の島観光2夏場のみ定期航路として壱岐北部辰の島結んいるオフシーズン予約不定期運航ある
壱岐空港
オリエンタルエアブリッジORC[11]により長崎空港航空便運航いる

脚注編集

[脚注使い方]

注釈編集

  1. ^ 国土交通省数字見る航空2009年よれ日本空港黒字空港8空港のみあり壱岐空港赤字あっ
  2. ^ 日本源泉温度42 以上場合温泉分類れる
  3. ^ 玄武岩形成する熔岩一般比較的粘性弱いこのためその熔岩固まっでき勾配緩い場合多い
  4. ^ 波多松浦一派出自ある

出典編集

  1. ^ 伊東ひとみ地名解く新潮社201710ページ
  2. ^ 次生伎嶋古事記
  3. ^ 山村順次 47都道府県温泉百科 丸善出版 20151230発行 ISBN 978-4-621-08996-5長崎項目
  4. ^ 日本地名百科 ランドジャポニカ 小学館1996p.77ISBN 4-09-523101-7
  5. ^ 日本地名百科 ランドジャポニカ 小学館1996p.77ISBN 4-09-523101-7
  6. ^ 8 島しょ. 長崎統計年鑑 平成22. 長崎. 2013714閲覧
  7. ^ 壱岐統計 市勢要覧統計資料 平成22年. 壱岐. p. 1 (20115). 2013714閲覧
  8. ^ 叔舟田中健夫訳注諸国 朝鮮中世日本琉球 岩波文庫1991ISBN 4-00-334581-9
  9. ^ a b c 岡崎倭人考古学書房 2003
  10. ^ 藤岡謙二郎 人文地理 改訂 大明1982107
  11. ^ 全日本空輸ANAコードシェア

参考文献編集

  • 財団法人日本離島センター日本ガイド SHIMADASISBN 4931230229
  • 長崎環境自然環境さき希少野生動植物該当執筆 : 鎌田泰彦邑上松尾公則鴨川幹夫池崎善博2001発行
  • 藤岡謙二郎 人文地理 改訂 大明1982

関連項目編集

外部リンク編集