四国
四国 | |
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所在地 | 日本 |
所在海域 | 太平洋 |
所属諸島 | 日本列島 |
面積 | 18,297.78[1] km² |
海岸線長 | 2,091[2] km |
最高標高 | 1,982 m |
最高峰 | 石鎚山(愛媛県西条市) |
人口 | 約369万人 |
最大都市 | 松山市 |
プロジェクト 地形 |
四国地方のデータ | |
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4県の合計 | |
国 | 日本 |
面積 |
18,803.41km2[3] (2015年10月1日) |
推計人口 |
3,651,145人 (2021年12月1日) |
人口密度 |
194.1人/km2 (2021年12月1日) |
位置 | |
北海道・本州・九州とともに主要4島の一つでもあり[5]、この中では最も小さい[6][7]。最高標高は石鎚山の1,982mで、福井・石川・岐阜県境の両白山地三ノ峰 (2128m) 以西の西日本では最も高い。面積は18,297.78km2で[1]、世界の島の中では、ブラジルのバナナル島に次ぐ第50位の大きさである[8]。
四国とその付随する島(小豆島、大三島、大島、中島、伯方島、豊島など)を合わせて「四国地方」と言う[9]。これら付随する島を含めないことを強調したい場合、「四国本土」あるいは「四国島」と呼ぶこともある。
(日本の地理・四国、日本の地域・四国地方も参照)
四国には、徳島県、香川県、愛媛県、高知県の4つの地方公共団体があり、4県の総人口は約372万人であり、概ね横浜市の人口に相当する[注 1]。(表右下 四国地方も参照)
四国の古代の呼称は、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」(いよのふたなのしま)である。
概要編集
四国地方を構成する4県の中で、徳島県・香川県・愛媛県・高知県は島内交流と合わせて、本州四国連絡橋(本四架橋)もあり本州との交流も盛んである。
西南部除く四国全域は近畿地方の影響力を文化的に強く受けているが、東部の徳島県は政治・経済においても影響が顕著である。北東部の香川県は文化・経済の両面で岡山県とのつながりも深いが、高松自動車道と神戸淡路鳴門自動車道の開通以降は徳島県同様近畿地方との交流もより活発になっている。西部の愛媛県は広島県や九州の大分県との交流が見られる。一方で高知県は陸路が険しく船での往来が発達した関係上、古くから上方、京都、近世は江戸からの影響も強く、政治・文化的な中央への意識が高いとも言われている。近年は高速道路網の発達により、四国内指向が強まっている[要出典]。
日本の主要4島の中で唯一政令指定都市が実在しない。
歴史書における呼称編集
神々による日本の創造の過程を記した『古事記』の国産み神話では、四国は淡路島に続き、日本列島で二番目に創造された島であるという[10]。古事記には「伊予之二名島(いよのふたなのしま)」と記されている[10]。また『日本書紀』では「四国」を「伊予二名洲(いよのふたなのしま)」と表記している。よって古代においては、「伊予之二名島」・「伊予二名洲」、または単に、「伊予島」・「伊予洲」(いよのしま、いよしま)、「二名島」・「二名洲」(ふたなのしま、ふたなしま)」などと呼ばれた(「フタナ」は二並びの意)。
近世以降は、五畿七道の南海道のうち、紀伊国と淡路国を除いた阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国の4つの令制国が存在したことから、「四国」と呼ばれた。歴史書ではないが、16世紀の戦国時代を描いた軍記物語として知られる『陰徳太平記』(享保2年(1717年)出版)序に、「山陰山陽四国九州」の記載があり、このような近世の書物において、明確に「四国」という名称を見出すことができる。
地理編集
約1900万年前の日本列島の誕生に伴い、四国の前身が誕生した。瀬戸内海を挟んで、近畿地方・山陽地方・九州に三方を囲まれた位置にある。島の中部には、各県を分断するような形で四国山地や讃岐山脈の山々がそびえており、この地形が近年まで各地域間の交流を困難にしていた。
中央構造線が吉野川北岸から佐田岬半島にかけて東西に貫いている。構造線以北の内帯(西南日本内帯)に当たる地方では、中生層・古生層とこれを貫く火成岩が分布している。構造線以南の外帯(西南日本外帯)に当たる地方では、北側から南側にかけて中生層・古生層が形成された順に配列している。
日本の島の中では九州に次ぐ第4位[6]、世界の島の中ではブラジルのバナナル島に次ぐ第50位の面積を持つ[8]。最高標高は、石鎚山の天狗岳(愛媛県)の1,982 m。
広袤(こうぼう)編集
四国本土の東西南北それぞれの端は以下の位置で、東西の長さは254.04km、南北の長さは186.21kmである。
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地形編集
海編集
山地・山岳編集
- 四国山地
- 石鎚山(1982m、西日本最高峰):愛媛県
- 剣山 (1955m):徳島県
- 次郎笈 (1930m):徳島県
- 瓶ヶ森 (1896m):愛媛県・高知県
- 三嶺 (1893m):徳島県・高知県
- 一ノ森 (1880m):徳島県
- 筒上山 (1860m):愛媛県・高知県
- 笹ヶ峰 (1859m):愛媛県・高知県
- ちち山 (1855m):愛媛県・高知県
- 矢筈山 (1848m):徳島県
- 天狗塚 (1812m):徳島県
- 白髪山 (1770m):高知県
- 伊予富士 (1756m):愛媛県・高知県
- 石立山 (1707m):徳島県
- 烏帽子山 (1670m):徳島県
- 高城山 (1630m):徳島県
- 雲早山 (1496m):徳島県
- 皿ヶ嶺 (1271m):愛媛県
- 高越山 (1133m):徳島県
- 障子山 (885m):愛媛県
- 中津峰山 (773m):徳島県
- 谷上山 (455m):愛媛県
- 行道山 (373m):愛媛県
- 眉山(290m):徳島県
- 讃岐山脈
- 高縄山地
- 東三方ヶ森 (1233m):愛媛県
- 明神ヶ森 (1217m):愛媛県
- 福見山 (1053m):愛媛県
- 楢原山 (1041m):愛媛県
- 高縄山 (993m):愛媛県
- 北三方ヶ森 (977m):愛媛県
- 大月山 (953m):愛媛県
- ヨソ山 (927m):愛媛県
- 岩伽羅山 (696m):愛媛県
- 杉立山 (668m):愛媛県
- 観音山 (518m):愛媛県
- 倉谷山 (410m):愛媛県
- 笠松山 (357m):愛媛県
- 世田山 (339m):愛媛県
- 宝ヶ峯 (284m):愛媛県
河川・湖沼編集
- 吉野川水系(四国三郎):高知県→徳島県
- 銅山川(伊予川):愛媛県→徳島県
- 祖谷川:徳島県
- 松尾川:徳島県
- 貞光川:徳島県
- 穴吹川:徳島県
- 鮎喰川:徳島県
- 飯尾川:徳島県
- 旧吉野川:徳島県
- 今切川:徳島県
- 新町川:徳島県
- 園瀬川:徳島県
- 池田湖(ダム湖):徳島県
- 金砂湖(ダム湖):愛媛県
- さめうら湖(ダム湖):高知県
- 那賀川水系:徳島県
- 勝浦川:徳島県
- 海部川:徳島県
- 土器川:香川県
- 綾川:香川県
- 香東川:香川県
- 肱川:愛媛県
- 重信川水系:愛媛県
- 蒼社川水系:愛媛県
- 玉川湖(ダム湖):愛媛県
- 物部川:高知県
- 鏡川:徳島県
- 仁淀川水系:愛媛県→高知県
- 四万十川水系:高知県
- 海老ヶ池:徳島県- 四国唯一の天然湖沼[11]
- 満濃池:香川県
- 内場池:香川県
平野・高原編集
- 徳島平野:徳島県
- 那賀川平野(阿南平野):徳島県
- 讃岐平野:香川県
- 松山平野:愛媛県
- 今治平野:愛媛県
- 新居浜平野:愛媛県
- 高知平野:高知県
- 中村平野:高知県
- 大川原高原:徳島県
- 塩塚高原:徳島県・愛媛県
- 久万高原:愛媛県
- 五段高原:愛媛県・高知県
- 天狗高原:愛媛県・高知県
岬編集
半島編集
島嶼編集
- 瀬戸内海
- 太平洋
地質編集
地質学的には、四国は北からおもに三波川帯(ほぼ吉野川がある)、秩父帯(四国山地)、四万十層(四万十川)がほぼ東西に分布し、その間を中央構造線、御荷鉾構造線、仏像構造線が走っている[12][13]。
気候編集
- 瀬戸内海地方
徳島県の吉野川流域以北、香川県全域、愛媛県東予地方、中予地方の、瀬戸内海に面した北側は、瀬戸内海式気候に属する温暖少雨な気候であり、台風等の直撃も比較的少ない。そのため、オリーブやミカンの栽培が盛んである。その反面、大規模な河川は太平洋や紀伊水道に流れ込む形となっているため、水資源に恵まれず、過去幾度かの渇水に見舞われてきた。このため、満濃池を初めとするため池が多数造られている。その中でも特に、香川県は古来から水不足に悩まされ続けており、渇水対策として吉野川の水を送水するための香川用水が建設されている。
冬から春にかけて、中国大陸から流入する黄砂がしばしば観測される。冬は小雨や小雪(みぞれ)の降る日もあるが、基本的に晴天が多い。平野部では大雪になることはほとんどないが、山間部では気温が低く冬は積雪も多い。なお、太平洋高気圧に覆われる夏季には瀬戸内海沿岸特有の「凪」や、四国山地越えのフェーン現象に伴う気流の影響で、猛暑日や熱帯夜になる日も少なくない。
- 太平洋側
徳島県のほとんどの地域や、愛媛県南予地方・高知県全域の太平洋に面した南側は、太平洋側気候に属している。太平洋沖合を流れる黒潮の影響を受けて冬でも温暖で、一部で無霜地帯が存在する。春の訪れが早く本土で最初の桜の開花宣言が高知市または宇和島市となることも少なくない。そのため、特に高知県では促成栽培が盛んであったり、プロ野球チームのキャンプ地になったりと、温暖な気候を生かした産業や行事が発達している。
年間降水量が多いことから林業も盛んであるが、一方で高知県の室戸岬と足摺岬では、台風が来襲しやすいことから「台風銀座」と呼ばれている。このため「室戸台風」などの大型台風が直撃し、洪水などの被害を受けている。なお「室戸台風」では、室戸岬上陸時の中心気圧は911.6hPaであり、日本本土に上陸した台風のなかで観測史上最も上陸時の中心気圧が低い台風だった。これは同緯度の台風における中心気圧の最低記録(台風の正式な統計は1951年(昭和26年)から開始されたため、この記録は参考記録扱い)として、いまだに破られていない。また、愛媛県南予地方および高知県幡多地方では、冬は関門海峡からの季節風の影響で曇りや雨、雪の日が他の太平洋側の地域に比べると多くなっている。
歴史編集
古代編集
四国は、畿内から南西側に位置しており、海路で移動するために、五畿七道では南紀や淡路島と一緒に南海道に含まれていた。近畿・九州航路の要所であった四国の西北部に位置する伊予国の道後温泉などは、舒明天皇や斉明天皇の入浴記録(日本書紀)があるほか、山部赤人・額田王の来浴記録(万葉集)もあるなど、古くから栄えていたと思われる。
中世編集
平氏が都落ちした際、安徳天皇を擁して屋島を一時的な本拠地としたため、この地で源平両軍が争った。室町時代は細川氏が讃岐・阿波・土佐の三国を、河野氏が伊予をそれぞれ守護した。
戦国時代の四国の大名としては、三好を拠点とし阿波国から山城国にわたる8国を支配圏に収めた三好長慶、「土佐の小京都」とも呼ばれている中村を拠点とした土佐一条氏、伊予国道後の湯築城を本拠とした水軍を有する河野氏、讃岐の香川氏、土佐国の四国の覇者である長宗我部元親などが高名であるが、長い騒乱の末に収束に向かい、一時は長宗我部氏が四国を統一したものの、やがて豊臣秀吉により平定された。土佐の大名であった長宗我部盛親は関ヶ原の戦いで西軍につき改易された。
近世編集
江戸時代になると、それまで四国各地を治めていた戦国大名は四国から駆逐され、幕府徳川氏の信任厚い諸将がこの地に封じられることになった。初め、讃岐に生駒氏、阿波に蜂須賀氏、土佐を山内氏と一国一円支配を許したが、のちに生駒氏が騒動を起こして改易されると讃岐は二分割統治された。伊予は初めから小大名が配置され、一国統治はされなかった。なお、瀬戸内海の小豆島と塩飽諸島は天領として倉敷代官所の支配下に置かれた。
四国の代表的な藩には、阿波国と淡路国を稲田氏の知行地とする蜂須賀氏の徳島藩、水戸徳川家の分家の高松藩、山内氏が治める土佐藩、加藤氏や久松松平家(親藩)などが領した伊予松山藩、仙台伊達氏の分家が治める宇和島藩などであった。
近代編集
幕末維新において土佐藩が終始政局に関わり続け、土佐藩出身の坂本龍馬らの仲介で薩長同盟がなった。戊辰戦争においても土佐藩は官軍として各地を転戦し功を挙げた。明治期の自由民権運動も元土佐藩士板垣退助らが中心として起こった。それ以前に金陵会議(四国会議)が土佐藩から提唱され、四国をまとめ上げる力となったが、わずか数年で解散を命ぜられた。愛媛県から正岡子規なる文豪が輩出され、明治文化に貢献した。
経済編集
歴史的には全県が畿内との繋がりの強い地域であったが、陸路交流の活発化と海路交流の衰退により徳島県は近畿地方と、香川県は岡山県と、愛媛県は広島県との経済活動も多くなっている。特に徳島県沿岸部は、日常的に京阪神との経済交流が盛んであり、影響が大きい。太平洋に面し三方を山に囲まれる高知県は特に対外的経済交流が活発な地域はなかった。
近年は高速道路網の整備により島内での交流が高知県を含め各県大幅に増加し、2010年現在では本州ではなく島内での経済的交流が最も盛んとなっている[14]。
域内総生産編集
2017年(平成29年度)の四国四県の域内総生産は名目で14兆5820億5000万円であり[15]、全国の総生産(日本のGDP)に占める経済規模は2.60%だった。これを他の都道府県と比べると、茨城県(13.8兆円)より大きく、静岡県(17.3兆円)より小さい。また、1人当たり県民所得は四県全てにおいて日本の1人当たり県民所得を下回っていた。
地域 | 県内総生産(千円) | 県民所得(千円) | 1人当たり県民所得(千円) |
---|---|---|---|
徳島県 | 3,156,884 | 2,297,253 | 3,091 |
香川県 | 3,845,915 | 2,919,952 | 3,018 |
愛媛県 | 5,149,797 | 3,739,076 | 2,741 |
高知県 | 2,429,454 | 1,891,510 | 2,650 |
四国 | 14,582,050 | 10,847,791 | 2,863 |
全国 | 561,523,371 | 418,620,499 | 3,304 |
工業編集
四国瀬戸内海側は太平洋ベルト地帯に位置しており、坂出市・丸亀市・四国中央市・新居浜市・西条市・今治市および松山市などを中心に、瀬戸内工業地域が形成されている。徳島市と西条市は、新産業都市建設促進法に基づいて指定される新産業都市(工業開発の拠点地域)であった。
製造品出荷額等(2010年工業統計)
- 四国:8兆5503億9955万円
- 愛媛県:3兆7923億8236万円
- 香川県:2兆6143億8049万円
- 徳島県:1兆6755億7412万円
- 1. 今治市:8871億1512万円
- 2. 西条市:8113億7131万円
- 3. 坂出市:7626億6074万円
- 4. 新居浜市:6150億4731万円
- 5. 四国中央市:6068億9577万円
- 6. 徳島市:4902億5006万円
- 高知県:4680億6258万円
- 7. 松山市:4237億5149万円
- 8. 香川郡直島町:3454億5106万円
- 9. 阿南市:3345億1543万円
- 10. 高松市:3234億2799万円
- 11. 丸亀市:2422億4302万円
- 12. 板野郡松茂町:2218億2198万円
- 13. 三豊市:1875億0302万円
- 14. 鳴門市:1696億5713万円
- 15. 観音寺市:1557億3131万円
人口編集
各県の人口編集
都道府県名 | ISO 3166-2 | 全国順位 | 人口 | 全国割合 | 四国割合 |
---|---|---|---|---|---|
徳島県 | JP-36 | 44 | 755,733 | 0.59% | 19.7% |
香川県 | JP-37 | 39 | 976,263 | 0.76% | 25.4% |
愛媛県 | JP-38 | 28 | 1,385,262 | 1.08% | 36.0% |
高知県 | JP-39 | 45 | 728,276 | 0.57% | 18.9% |
合計 | 3,845,534 | 3.00% | 100.0% |
※順位・人口・割合は平成27(2015)年国勢調査による[16]。
年齢構成編集
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
総計 [単位 千人]
年齢5歳階級別人口
2004年10月1日現在推計人口
男女別 [単位 千人]
- データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口-総人口
(総務省統計局)
人口の増減編集
2010年国勢調査時の四国における自治体は95市町村であるが、そのうち2005年国勢調査と比べ人口が増加したのは8市町のみでそれ以外の87市町村は全て減少している。そのため四国全体はもとより、県単位でも4県全てで減少となっている。県別にみると最も減少率が高いのは高知県の△4.00%で、以下、徳島県△3.02%、愛媛県△2.47%、香川県△1.64%と続く。逆に、増加した自治体は香川県の3市町、徳島県の3町、愛媛県および高知県のそれぞれ1市である。県庁所在地別では増加したのが高松市と松山市のみで北四国と南四国で明暗が分かれる形になったが、徳島県の増加3町はいずれも徳島市に隣接したベッドタウンである。県庁所在地以外では徳島県の上記3町のほか、香川県第二の都市である丸亀市とそこに隣接する綾歌郡宇多津町、高知県香南市で人口が増加した。愛媛県では県庁所在地である松山市以外で人口が増加した市町村は存在しなかった。
最も減少率が高い高知県土佐郡大川村は唯一の△20%越えとなっているほか、上位6位までが全て高知県の自治体となっている。その他の減少率が高い自治体には、概ね南四国の太平洋沿岸や中央部の四国山地に位置する自治体が多い。
- 増加自治体
- 減少自治体(△20%以上)
- 大川村△23.61%
- 減少自治体(△10%-△19%)
- 大豊町△14.08%、檮原町△13.86%、馬路村△13.42%、室戸市△13.04%、東洋町△12.97%、那賀町△12.88%、神山町△12.80%、三好市△12.17%、久万高原町△11.89%、仁淀川町△11.53%、美波町△11.01%、つるぎ町△10.51%、牟岐町△10.48%、大月町△10.16%、伊方町△10.03%
- 減少自治体(△5%-△9%)
- 安田町△9.92%、愛南町△9.67%、田野町△9.39%、海陽町△9.22%、中土佐町△8.85%、上勝町△8.80%、四万十町△8.74%、勝浦町△8.54%、越知町△8.31%、内子町△8.03%、黒潮町△7.97%、土庄町△7.85%、日高村△7.60%、佐那河内村△7.57%、北川村△7.51%、いの町△7.41%、宿毛市△7.32%、琴平町△7.26%、土佐清水市△7.24%、大洲市△7.15%、三原村△7.02%、八幡浜市△7.01%、松野町△6.67%、津野町△6.63%、鬼北町△6.43%、東かがわ市△6.41%、小豆島町△6.40%、西予市△6.38%、本山町△6.20%、美馬市△6.02%、直島町△6.02%、土佐町△5.92%、宇和島市△5.85%、上島町△5.56%、四万十市△5.23%、須崎市△5.15%
- 減少自治体(△4%以下)
- 奈半利町△4.96%、さぬき市△4.94%、香美市△4.93%、善通寺市△4.73%、阿波市△4.45%、土佐市△4.42%、今治市△4.28%、まんのう町△4.07%、高知県△4.00%、安芸市△3.94%、綾川町△3.91%、観音寺市△3.89%、吉野川市△3.85%、芸西村△3.80%、三豊市△3.75%、伊予市△3.74%、東みよし町△3.72%、小松島市△3.56%、佐川町△3.43%、徳島県△3.02%、上板町△3.02%、坂出市△2.87%、四国中央市△2.87%、鳴門市△2.67%、南国市△2.53%、阿南市△2.49%、愛媛県△2.47%、砥部町△1.98%、板野町△1.91%、新居浜市△1.79%、香川県△1.64%、高知市△1.60%、徳島市△1.23%、三木町△1.13%、西条市△1.13%、松前町△0.67%、多度津町△0.49%、石井町△0.44%、東温市△0.07%
- データ出典:平成22年国勢調査
地域編集
四国には突出して大きな都市がなく、地形的制約から各県に独立した都市圏が存在する。また、古くから海上交通が盛んであったため、各地ともに対岸との交流も盛んである。
四国地方を便宜的に2つの地域に分ける場合がある。
各地域とのつながり編集
どの出発地からも対四国内への流動が最も多く、全体の流動数に占める割合は最低でも50%、最高で95%を占めている。四国内の県庁所在地別では、特に高松市が位置する香川東部が目的地として全てで首位となっているほか、四国外との流動では、徳島が神戸、香川東部が岡山県南、松山および高知が東京23区が最も多くなっている。全ての出発地別からは5位以内に香川東部・高知中央、6位以内に香川西部、8位以内に新居浜、11位以内に松山、12位以内に東京23区・大阪・岡山県南、14位以内に徳島を四国内全ての出発地が目的地としている。
かつては、「徳島は近畿(大阪・神戸)を向き、高松は岡山を向き、松山は広島を向き、そして高知は太平洋(または東京)を向いている」と言われ、「四国は一つ一つ」などと風刺されることもあった。しかし、20世紀末から高速道路網の整備によって四国内の相互交流が深まり、21世紀初頭にはそれまで盛んだった本州の都市を凌駕するに至った。
1990年(平成2年)時点での状況は徳島、高松、松山とも四国外との交流人口の方が多く、高知のみ四国内との交流の方が多かったが、流動数自体が非常に少なかった。四国外との繋がりでは徳島が京阪神、香川東部が岡山県南、松山が広島・大阪、八幡浜が大分といった地域と強く、特に香川東部と岡山県南との流動数は他に突出して多かった。
1990年(平成2年)と2010年(平成22年)の変化では、四国全域で四国内の相互交流が非常に活発になったこと、目的地としての流動が香川東部に集中することにより同地域が交流の中心としての性格を強めたことが挙げられる。また大きな変化として香川東部における徳島と岡山県南の関係性が逆転し、さらにその数も1990年の岡山県南よりも2010年の徳島の方が多く、圧倒的な差がついている。
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