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北海道 (令制) - Wikipedia

北海道 ()

畿八一つ
一覧 > 北海道 ()

北海道ほっかいどう1869920明治2815制定日本広域行政区画ある

明治時代日本地図北海道記さいる

それまで畿七北海道() 加えこと畿八一つなっ

その範囲北海道本島江戸時代まで蝦夷など明治時代など呼ばその付随する島々含ん#行政区画

この制定戊辰戦争戦争終結直後ありまた置き換えるよう開拓使設置あっこの開拓使開拓判官あっ松浦武四郎北海道上書もと命名[1]

松浦このから北海道という7世紀後半成立律令制畿七における東海道西海南海など踏襲命名ものある

なお明治維新近代行政区画として北海道について北海道近代行政機関について時代および北海道庁 (1886-1947)北海道庁項目参照

概要編集

松浦北海道ほっかいどうじんするなど幕末探検蝦夷思い入れ深かっ

開拓判官なりそれまで蝦夷蝦夷蝦夷中央から異質民族蝦夷など替わる名称として高見=かい蝦夷音読みとも同島先住あるアイヌによる同島呼び名いわれる海島東北千島6あげこのうち折衷における名称すなわち東海道南海西海倣っ北海道ほっかいどう北海道範囲かつて和人渡島後志胆振山越東西蝦夷含まいる

行政区画編集

蝦夷北海道分割国名 (太政官布告)

北海道本島蝦夷呼ばから千島列島島国にかけて置か1186構成

道路編集

江戸時代から明治時代初頭にかけて北海道陸上交通記述する北海道松前によって開か場所呼ばれる松前家臣知行場所知行および場所請負参照漁場結ぶよう沿岸形成いっ特に御料時期多く工事行わそれまで陸路絶たなど利用箇所新た開削各地旅宿宿場設け道内各地通年陸路移動可能なっいる旅宿上屋会所宿場として機能持たものなどあっまた河川時代から使まで渡船場114箇所数え石狩石狩はじめ渡し船など運行

道内古くからある道路について大正14(1925)610北海道庁から出版北海道道路詳細書かいる

松前編集

奥州街道街道仙台から松前経由筥館はこまで松前あっ宿場松前函館古くから吉岡福島など山道あっ

太平洋編集

から道東島国編集

寛政年間から文政年間かけ幕末までそれまで悪天候通行不能なったり陸上交通途絶える箇所新た開削各地設け渡島函館から道東島国方面陸上交通整備いる函館から択捉末端まで2821107.5km道のりあっ以下工事挙げる

長万部-虻田間道
山越虻田越えるある寛政11幕命により松前開削3津軽によって礼文華山道箇所とともに改修道幅拡張この現在国道37静狩前身ある
室蘭-幌別
当初13.9km室蘭横切っ絵鞆えと渡りその後幌別まで陸路あっ室蘭から幌別まで陸路行けるよう
様似山道留山
寛政11大河内兵衛開削普請最上徳内中村小市など工事携わっいる南部場所警衛藩士命じ212から3にかけて修繕国道336前身ある
ルベシベツ山道
寛政10幕吏近藤重蔵によって開削十勝広尾西にあたるビタタヌンケ(鐚田)ルベシベツ(留辺蘂)27.9km国道336黄金道路前身ある重蔵従者下野これ記録蝦夷碑文作ら十勝神社奉納
釧路-厚岸道路
釧路から厚岸至るある釧路-仙鳳趾せんぽう935.3km寛政11から12にかけて通行支障ないよう開削厚岸-仙鳳趾521.6km厚岸在住丹羽金助奉行許可受け蝦夷使い文化5開削これら区間現在道道根室浜中釧路前身ある
根室-厚別道路
根室場所キナトウシ登りから海岸ヌエンチャシナイ(茶志内)そこからコンブムイ現在昆布盛番屋西方から厚別あつしべつ至る道路万延元年根室場所請負人藤野喜兵衛幕命受け根室会所から厚別止宿至る91036.4km道程うち61725.4km新規開削オンネトウ(温根湯)渡し場1425.5m橋梁かけられいる

日本海岸編集

から道北増毛編集

日本海太田津田雷電積丹半島など難所あり久遠くどより増毛至る陸上交通完全絶たれる場所箇所あっ文化年間安政以降陸上交通整備いる以下工事ある

太田山道狩場山道
安政43起工太田山神ある太田中心セキナイからラルイシ(瑠石)まで1247.1km開削継い狩場山道着手須築運上置かスツキ場所中心から島牧原歌辺りコタニシ至る開削
雷電
安政3場所請負人桝屋五郎アフシタ以西あまり開削岩内場所請負人仙北仁左衛門アフシタ以東27.9km開削雷電峠磯谷岩内場所越える現在国道229前身ある以前から山中温泉湧くこと知らおり通行旅客便はかるため開通温泉家屋立て在住又兵衛家守これ現在朝日温泉前身ある
余市山道
文化6開削岩内から余市至る稲穂ある大変難所あっこの現在国道5稲穂前身あるその後荒廃ため安政3から4にかけて改めて開削里程122049.3km稲穂挟ん岩内横沢ペンケシヤマチケナイ余市野沢ルベシベ小屋設けられ通行建て宿泊すること出来安政58余市場所在勤足軽桐谷兵衛指導余市運上から岩内場所境界まで至るノウチ新道開削この桐谷呼ば現在道道豊丘余市停車場から分岐する舗装前身ある
小樽-銭函道路
小樽場所請負人恵比須半兵衛奉行出願安政44から9にかけて自費新道29.8km開削54カムイコタン(神居古潭)からチャラツナイ(津内)まで延長5545.5m海岸道路渡っ開削数カ所河川架橋また文久元年許可から港町至る海岸投石埋立施行この埋立道路以外希望宅地各種営業行わ
濃昼山道増毛山道
安政4厚田場所請負人浜屋興三右衛門自費濃昼山道22410.5km開削濃昼達し同年浜益増毛場所請負人伊達衛門また自費浜益から増毛まで935.3km増毛山道寛政8資料ある開削また増毛山道より古くから開削不詳雄冬山道あっそのほか濃昼増毛山道中間位置する毛山オクリキ山道15.9km岩内在住柳川善蔵開い伝わるこれら山道現在海沿い国道231切り替えられいる

日本海この寿都場所場所請負人山崎屋によっていくつ道路開削積丹美国場所請負人岩田屋金蔵現在道道野塚婦美国道229前身ある積丹場所日司より美国場所小泊至る415.7km新道開削余市場所請負人竹屋左衛門余市から古平境界まで27.9km開削いる

域内編集

かつて和人結ぶ行わ工事あげる

福山-上ノ国山道
城東水源から上ノ国達する1143.2km安政411伊達左衛門によって開削現在道道石崎松前線前身
木古内山道
木古内から北村上ノ国中心付近至る831.4km現在道道江差木古内前身ある文化年間江戸幕府によって修築木古内川沿っさかのぼり稲穂越え天の川沿っ下る方面江差方面交通北側あっ番所旅人宿泊せるなど便宜図っ
山道大野
大野川沿っ上り分水嶺越え鶉川沿っ下る方面江差方面結ぶ1143.2km現在国道227前身安政53から9にかけて江差右衛門津軽庄兵衛によって開削戊辰戦争戦争沿道二股戦い行わいる
軍川新道
それまで茅部大沼現在国道5大沼トンネル付近替わり安政3奉行によって藤山-軍川山道開削茅部より311.8km短く軍川住民日帰りまた大川藤山峠下持つ鹿部生魚など買い出し日帰りすること可能なっ
黒松内越
長万部から長万部川沿い北上稲穂越え黒松内から朱太川沿っ下り歌棄うた寿都すっ至る現在道道寿都黒松内線前身ある長万部から黒松内まで623.6km黒松内から追分まで27.9km追分分岐寿都まで27.9km歌棄まで13.9km道程あっ寛政文化よりあと黒松内在住利右衛門木賃宿渡船営ん安政35から10にかけて歌棄場所請負人桝屋五郎衛門奉行出願黒松内以北黒松内以南弁天福治千代田太郎2出願それぞれ開削ものある

付近編集

付近ものあげる

勇払から石狩湾岸編集

千歳
勇払から至る経路勇払からビビまで勇払ビビ美々川さかのぼりビビからまで山田衛門によって文化年間開削陸路27.9km馬車通すことでき国道36道筋あたる年間2728馬車20ほどあっ言われるこの-漁太623.6km文化年間開削いる
札幌新道千歳新道
銭函から至る安政4奉行によって開削銭函-ホシポツケ小樽場所請負人恵比須半兵衛ホシポツケ-島松石狩場所請負人阿部博次島松-勇払場所請負人山田衛門それぞれ工事受け持っこのとき幕命奉行受け志村吉田豊平川渡し守なる銭函から現在札幌市内まで国道5および道道宮の沢北一条札幌市内からまで国道36および道道江別恵庭西島松から戸磯前身ある

石狩川流域から道北天塩留萌編集

雨竜
留萌からニセバルマエタイベツ(恵岱別)石狩川流域シラリカ(現在白糠)出る2598.2km文化5留萌支配人山田衛門によって開削シラリカから石狩川下り江別太至りそこから千歳向かう石狩下ることでき年秋樺太警固行っ会津帰路この通っいる

道東域内編集

道東域内結ぶものあげる

釧路から北見網走編集

網走
釧路庶路から阿寒湖西岸釧路北見国境越え網走川沿い下りニマンベツ(女満別)くりばけ現在網走藻琴至る46180.7kmあるこの現在国道240前身文化5から文化7にかけて白糠在勤幕吏大塚忽太指揮開削宗谷から留萌まで場所送っ網走経由

根室から北見斜里編集

斜里
標津から標津川沿いさかのぼり西シカンチウシ付近向かいルチシ越えワツカオイ(若生)斜里至るもともと蝦夷アイヌ通り道ある文化元年前後(1804前後)八王子千人同心千人頭原胤敦によって改修開削工事斜里根室釧路場所蝦夷請負っ

明治時代道路建設編集

北海道1186制定江戸時代開削用い1870年代なる本願寺道路江戸時代拡張札幌本道など札幌結ぶ目的建設道路はじめ道東道北内陸など道路建設

歴史編集

飛鳥時代阿倍比羅夫による遠征行わはじめ北海道における和人居住古く奥州藤原残党道外から逃れくるなど鎌倉時代定着言わいる室町時代以前時代江戸時代樺太とともに松前所領なっ

その後1886明治19函館札幌根室再び統廃合新た北海道庁長官する北海道庁設置その後地域異なり府県置かなかっ1947昭和22長官都府県同様公選による北海道知事地方自治体として北海道なっ

脚注編集

  1. ^ 北海道上書 / 松浦武四郎
    新撰北海道北海道庁1937旭川旭川1994

関連項目編集

外部リンク編集