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信濃の国 - Wikipedia

信濃

日本長野

信濃くに長野ある1900明治33発表

信濃
関連画像
長野庁舎ある信濃 歌碑

対象
Flag of Nagano Prefecture.svg 長野

作詞 浅井1899
作曲 北村1900
採用時期 1968520制定告示
言語 日本語
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概要編集

作詞松本藩士族浅井1849 - 1938作曲東京出身北村1872 - 1930により1900明治33成立長野師範学校附属小学校郷土唱歌として作らその後身に当たる信州大学教育学部附属長野小学校校歌として歌い継がいる

太平洋戦争終結1945昭和20以前秋田県民山形最上川並ぶ大県民歌称さ戦後実質長野として歌わ1968昭和43520告示正式長野として制定

歌詞編集

作曲北村(1910)
一、
信濃くにじっしゅう さかいつらぬるくに
ゆるやまいやたか るるいやとお
松本まつもと伊那佐久さく善光寺ぜんこうじ よったい肥沃ひよく
うみこそなけれものさわ よろことなき

四方よもゆる山々やまやま 御嶽おんたけ乗鞍のりくら駒ヶ岳こまたけ
浅間あさまこと活火山かつかざん いずれくになり
よどまずゆく 犀川千曲さいちくま
みなみ木曽川天竜てんりゅう これまたくにかたなり

木曽真木まきしげ 諏訪すわうみおおお
たみかせぎにて 五穀こくみのある
しかのみならくわとり こがわざひらけ
ほそきよかろから くにいのちぐなり

ほしき園原そのはら たびやどりざめ とこ
木曽かけはしかけ こころゆけ久米くめ
くるひとおお筑摩つかま つきたつ姨捨山うばすて
しるき名所めいしょ風雅みやび 詩歌しいよみつたたる

将軍あさひょうぐん義仲よしなか 仁科五郎ろう信盛のぶ
春台しゅんだい太宰先生だざいせんせい 象山ぞうざん佐久間くま先生せんせい
みなこのくにひと 文武ぶんまれたぐいなく
やまえて つき

吾妻あづま日本やまとたけ なげたまいし氷山うすい
穿隧道トンネルゅうろく ゆめゆる汽車しゃみち
みち一筋ひとすじびな むかしひとおとべき
古来山河こらいさんひいたる くに偉人いじんあるなら
現代(意訳)

信濃10か国上野越後中国飛騨美濃三河遠江駿河甲斐武蔵接する広大ある
当地そびえる遥か高く流れる長大ある
山国ある松本伊那久平善光寺平4つ肥沃平地ある
ない内陸ある様々物品産し不足すること無い

四方聳える山々著名もの挙げるなら御嶽山乗鞍岳木曽駒ケ岳
浅間山活火山として著名あるこれらいずれ信州っている
澱むことなく軽快流れる著名もの挙げるなら流れ日本海注ぐ犀川千曲流れ太平洋注ぐ木曽川天竜川
これら信濃ある

木曽ヒノキはじめ有用針葉樹茂り諏訪湖水産物宝庫ある
住民さまざま生業励み五穀実らない村落など無い
そればかりカイコ飼う養蚕技術広範広まっいる
養蚕ごと零細家内工業あり生産生糸細く軽いしかしその意味決して軽くない信州基幹産業としてさらに日本重要輸出として命運繋いいる

信州名所挙げるなら万葉集時代から歌枕あっ阿智智里園原ぜひとも訪ねたいあるいは浦島太郎玉手箱開け伝承ある一夜宿結びたい
旅人便宜図り木曽川断崖木曽犀川流れ久米架けられだが険しい心して進みたいものある
奈良時代から歴史ある筑摩旅客賑わう古今編纂時代より月見名所詠わ姨捨山
これら名所風流愛さ和歌漢詩詠み込ま伝えられ

源平合戦凱旋将軍讃えられ源義仲織田信長甲州攻め高遠対峙仁科
儒学として経済知らしめ太宰春台幕末洋学あり維新志士教育佐久間象山
みな信州ゆかりある偉人ある
文武両道優れ彼ら世人よう振り仰い尊敬名声流れよう末永く語り継いいる

かのヤマトタケル東国遠征入水オトタチバナヒメ想い吾妻はや嘆いそんな伝承ある碓氷峠
中山道難所だっ碓氷峠今や鉄道信越線開通26か所トンネル開削苦難旅路汽車ひと眠りうち通過できる文明開化時代ある
山中一直線貫く鉄路よう一心不乱勉学なら先人劣ることあるだろ
古来より美しい山河自然環境恵まれ信州そんな郷土から偉人輩出れる道理ある


解説編集

6からなり4のみメロディーテンポ異なる転調ない4異なる七五調歌詞姨捨山字余り2くる情緒持たせるため言わいる

歌詞内容よう分かれいる

  1. 長野地理に関する概要
  2. 山河
  3. 産業
  4. 旧跡/名勝
  5. 長野出身著名
  6. 碓氷鉄道作曲開通信越本線結句

全般長野地理歴史文化賞揚するものあり御嶽山乗鞍木曽駒ヶ岳浅間犀川千曲木曽川天竜川木曽諏訪湖佐久間象山長野各地事物長野持つ人物列挙いる但し作詞浅井地方出身松本藩士族あるため取り挙げられいる事物人物偏りられる

その内容から複数盆地寄せ集め連邦揶揄れる長野一体結び付き高める精神支柱として使用これ関連信濃直接登場ない下高井独自作っいる

なお5において仁科五郎仁科五郎として歌わいる仁科一般として知らいる近年記さ文書残さいることから改名可能指摘いる[1]

楽譜編集

{
key f major time 4/4 tempo 4 = 104 relative g' {
 c4 c c4. f,8| g4 a g4. r8| f4. d8 d4 c| f2. r4|
d8. d16 d8 d d c c f| g8. f16 g8 a g4. r8|
a8. a16 a8 f g8. g16 f8 d| c f a8. f16 g4. r8|
f8. f16 f8 d d c c f| g c, a'8. g16 f4. r8|
g4. g8 g4 g| g8 f g a c4 c| d4. c8 d c a f| g2. r4|
a8. a16 a8 f g8. g16 f8 d| c f a8. f16 g4. r8|
f8. f16 f8 d d c c f| g c, a'8. g16 f4. r8|
g4. g8 g4 g| g8 f g a c4 c| d2 c4 f,| g a8 g f4 r bar "|."
 }
addlyrics {
し な の の く に は じ っ しゅ う に
さ ー か い つ ら ぬ る く に に し て 
そ び ゆ る や ー ま は い や た か く 
な が る る か ー わ は い や と お し
ま つ も と い ー な ー さ く ぜ ん こ ー う ー じ 
よ っ つ の た い ら は ひ よ く の ち
う み こ そ な ー け れ も の さ わ に
よ ー ろ ず た ー ら ー わ ぬ
こ と ー ぞ な ー き
 }
}

歴史編集

信濃もともと郷土教育目的として作らありその歴史明治時代初期までさかのぼる現在長野ほぼ相当する信濃国地域山地気候交通によって随所細分おり江戸時代多く天領分かれおり明治時代至っ旧藩天領住民帰属意識残存ため[2]県域全体一体希薄あっ

1871明治4廃藩置県その後府県再編により現在長野長野県庁置く長野松本県庁置く筑摩現在岐阜属する飛騨領域含ん分かれしかし1876明治9松本筑摩庁舎火災焼失こと同年820筑摩廃止管轄信濃部分長野編入その結果信濃全域長野管轄入っ以来南北戦争南北格差まで呼ばれる長野松本激しい地域対立続いおり県民意識一体高めること大きな課題なっいる

信濃本来時期作ら流行鉄道唱歌など同様県内地理教育教材として作らものある当時同様地理唱歌地域多く作らおり長野だけ特異事例ない[3]しか上記よう事情背景県内各地事象ほぼなく歌いこみ本来都市ある長野なく県内大方地域該当する信濃という国名県域包括こと本来地理唱歌という超え地域全体共同意識喚起するとして歌い継が時代まさに戦争戦争狭間時期あり国家主義地域ナショナリズム鼓舞する目的存在[4][2]

信濃最初バージョン1898明治3110信濃教育組織小学校唱歌教授細目取調委員委嘱により長野師範学校信州大学教育学部教諭あっ浅井作詞同僚依田作曲創作ものあるこの信濃教育雑誌1899明治326発行掲載あまり歌われることなかっ1900明治33師範学校女子生徒依田後任あっ北村同年10運動会遊戯作曲依頼このとき新た作曲バージョン現在歌わいるものある師範学校から巣立っ教員たち長野県内各地学校教え伝えことからこの戦前から長野県内普く定着

1947昭和22日本国憲法公布記念新しい長野県民作詞北村隆男作曲前田公募制定県内各地発表開催たり歌詞楽譜配布するなど普及図ら県民戦前から歌わ信濃余りに浸透ためこの県民遂に受容れること無く忘れ去ら行っ[5]

信濃にまつわる逸話として以下ようものよく語られる1948昭和2374定例県議会長野南北分割しよする意見地方合併筑摩県出身議員から提出分割反対する北信出身議員病欠などあっ可決そうなっこの傍聴詰めかけ分割反対する北信地方地方合併長野住民突如信濃合唱行ない分割求める県会議員たち意思潰し分割撤回言わいる[6][7][8]しか当時職員投票歌わ記憶無くまた仮に県議会分割可決として政府国会認めない方針あっいる[7]長野県議会よれ1948319会議採決において反対議員牛歩戦術行っ傍聴信濃合唱するなど議事混乱ことこの会議流会なっれるしかしその後なお賛成意見採決諦め41会議改めて分割採決行わ反対あっ県議会議長欠席ため賛成議長代理として議長座ることなっ賛成議長議長代理なっため賛成による過半数による可決不可能なっ可否同数議長代理による裁決可決できる可能あっため反対議員一部あえて白票投じるという機転効かこと最終賛成29 反対26 白票3なり可決必要過半数られなおかつ可否同数防げため意見廃案なっ[9]

歌唱編集

信濃
内田栄一シングル
A 信濃
B 信州男児
リリース
規格 SPレコード
ジャンル 地理唱歌
レーベル 日本コロムビア26591
作詞作曲 A作詞浅井作曲北村
B作詞田中常憲作曲山下信太郎
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信濃 長野 歌唱
立川澄人/東京混声合唱
ビクター少年少女合唱
シングル
A 信濃斉唱
B 信濃合唱
リリース
規格 シングルレコード
8センチCDマキシシングル再発有り
ジャンル
時間
レーベル SGC-119
作詞作曲 作詞浅井作曲北村編曲小山清茂
テンプレート表示

初めて市販1931昭和612日本コロムビアから発売内田栄一歌唱によるSPレコード商品番号26591B信州男児作詞田中常憲作曲山下信太郎あっコロムビアから1949昭和24小山清茂編曲浅野千鶴子ソプラノ鷲崎良三テナー三枝喜美子アルト尾籠晴夫バスそれぞれ担当する合唱A/Bそれぞれ後半収録SPレコード商品番号B313製造いる[10]

コロムビア以外ビクターレコードJVCケンウッドビクターエンタテインメント発売藤井典明による独唱キングレコード発売上條恒彦花井真里子長野出身によるデュエットある

現在入手容易音源ビクターから発売いる立川澄人歌唱バージョンある1971昭和46シングル商品番号SGC-119として発売1992平成48センチCD商品番号VIDG-300012014平成2612センチCDとしてシングルジャケット復元新装マキシシングル商品番号VICL-36950発売[11]立川歌唱するバージョンアルバム決定 信濃民謡商品番号VZCG-87収録いる

歌詞旋律いずれ著作保護期間満了いるためアレンジ盛ん行わいる#普及参照

普及編集

信濃かつて長野県多く小学校中学校高校さまざま行事歌わため信州長野育ちなら信濃歌える会議宴会締め必ず信濃合唱れる県内在住あっ信濃歌えなけれ他所やや誇張気味語られるほど信州長野県民深く浸透

日本都道府県住民にとってあまりなじみない場合多く存在すら認識ないあるため信濃日本最も有名言えるある現在でもから多く日本国政府から出向幹部職員着任せる同意了解求める出身人事快しない長野県議会議員から信濃知っいるどう質疑詰問する風景られることある

信濃長野師範学校附属小学校後身ある信州大学教育学部附属長野小学校[12]よう校歌として採用いるあるものの昭和末期から長野県内信濃歌わない学校現れおり信濃歌えない県民徐々増えつつあるしかしカラオケレパートリー携帯電話着信メロディ用いられるなど地元長野県支持依然として根強い

長野地域公共放送ジングル特別急行列車車内アナウンス採用1997平成9北陸新幹線長野まで開業する以前特急あさま長野到着特急あずさ松本到着多く2020274より鉄道営業運転開始車両SR1乗降促進メロディー採用JR2002平成142JR東日本長野支社から列車走る風景背景信濃歌詞1ずつあしらっ6オレンジカード発行

2014平成26117JR東日本長野支社2015平成27314北陸新幹線金沢延伸先駆け同年1から長野新幹線ホーム発車メロディ信濃する発表[13]同年131始発から変更[14][15]

信越放送ラジオ (SBC) において開局から放送開始終了インストゥルメンタルこの楽曲放送いる現在終夜放送日曜深夜月曜未明なっおり毎日午前51基点1インストゥルメンタル[16]及び日曜放送終了4インストゥルメンタル放送いるまたかつて信越放送テレビSBCにおいて放送開始終了インストゥルメンタルこの楽曲放送2005平成17パラパラ踊れるユーロビートバージョン登場ユーロビートバージョンCMなど流れいることある20137からこのユーロビートバージョンバック長野観光PRキャラクターアルクマ様々イベントダンス披露いる[出典]

またこの全国自治体なか特に知名度高くから観光修学旅行などバスガイド歌うこと多い

2005平成17長野青年会議により上高井小布施在住セーラマリカミングス翻訳監修全て英語歌詞信濃の国英語: Our Shinano制作外部リンク参照

2015平成276宇宙6ヶ月程度滞在する決まっいる宇宙飛行油井美也南佐久川上出身機内放送れるわからない信濃ISS歌いたい話しいる[17]

また北陸新幹線一部先行開通記念長野セレモニー199710長野オリンピック19982開会における国歌斉唱次に信濃歌っほか日本選手入場行進など代表れるよう長野関わる公的行事伴奏音楽として頻繁採り上げられいる高校野球全国大会長野代表応援として使用おり出場出身なく殆ど長野歌えるという普及生かさいる[18]

長野本拠地するスポーツチーム応援として使用れること増えいる1999NTT再編によりクラブチームNTT信越硬式野球クラブ当時信越硬式野球クラブ従来NTT応援変わり使い始め皮切り日本プロサッカーリーグJリーグ加盟する本山FC試合チャントサポーターソングとして歌わいるプロ野球独立リーグベースボールチャレンジリーグBCリーグ所属する信濃グランセローズ主催試合歌われるBリーグ所属する信州ブレイブウォリアーズ試合使用れる

歴史項目述べいる問題にまつわる逸話題材作家内田康夫信濃殺人事件書いおり信濃コロンボ事件ファイルとしてTVドラマ作ら

その他編集

県内長野2長野庁舎東京大学地震研究所信越地震観測佐久1佐久市立国保浅間総合病院吉沢先生歌碑裏面松本1信州スカイパーク噴水付近合計4歌碑建立いるまた兵庫神戸中央大倉山公園ふるさと現地長野建立歌碑設置いる[19]

くに名称アクセント - - (信濃尾高)なる[20]

脚注編集

  1. ^ 丸島和洋武田勝頼一門武田勝頼すべて新人物往来社2007[ページ番号]
  2. ^ a b 市川健夫信州大全信濃毎日新聞2005[ページ番号]
  3. ^ 渡辺.歌う国民 唱歌校歌うた.中公新書.2010[ページ番号]
  4. ^ 憲和本当信州 信濃かたち2003[ページ番号]
  5. ^ 中山裕一郎 監修全国 都道府県東京出版2012 ISBN 978-4-490-20803-0 p.227
  6. ^ 長野. 信濃4. 2005913時点オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ2006928閲覧
  7. ^ a b 読売新聞 (2007522). 信濃 15合唱伝説真相522”. 20131014時点オリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ2009518閲覧
  8. ^ インターネット広報のけん vol420131 特集 歌い継がれる信濃20143閲覧
  9. ^ 議会沿革長野県議会202055閲覧
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション信濃 NDLJP:2915474信濃 NDLJP:2915475
  11. ^ 日本一有名信濃ビクターブログ
  12. ^ 信州大学教育学部附属長野小学校 本校概要校歌校章
  13. ^ 新幹線発車メロディー長野信濃飯山故郷 信濃毎日新聞2014118
  14. ^ 長野新幹線発車メロディー 31から信濃 信濃毎日新聞2015127
  15. ^ 長野新幹線ホーム発車メロディ信濃使用開始について
  16. ^ 2009から2012一時期4中島みゆきオールナイトニッポンイチ放送3
  17. ^ 宇宙信濃歌いたい 信濃毎日新聞20121019
  18. ^ YOMIURI ONLINE 信濃17
  19. ^ 長野神戸公園緑化協会
  20. ^ 信濃三省堂明解日本語アクセント辞典22016古いアクセント尾高新しいアクセントなっいる

外部リンク編集