第2章 難文書が難しい理由
前章で本書が想定する「難文書」の具体例をいくつか見てきました。本章では、これら難文書が難しい理由を見ていきます。まず文書全てに共通する特徴を概観し、その後で難文書の特徴を掘り下げていきます。
2.1 文書全てに共通の特徴 - 現実の記号化
文書に書かれている文章は、現実の現象を記号化したものです。
2.1.1 具体例
たとえば、『私はイベントのオフライン会場に電車でやってきた』という文章があったとします。これらは、以下のように主要部5つに分けられます。
- 『私』(名詞)
- 『イベント』(名詞)
- 『オフライン会場』(名詞)
- 『電車』(名詞)
- 『やってきた』(動詞)
これら名詞・動詞はそれに対応する何かが現実に存在するような記号です。更にそれら同士の関係を助詞4つが表現します。
- は(行為の主体)
- の(所有)
- に(場所)
- で(手段)
これら名詞・動詞・助詞を組み合わせた1文(これも記号)で、現実のある一区切りの状態を表現することになります。いちいち具体的現実を想起することなく、文書上で要点だけをお手軽に抽象的に議論するために記号化されています。
2.2 文書全てに共通の特徴 - 分かることは分けること
文書は読者に何かを分かってもらうために書かれます。そして、何かを理解する、「分か」るということは、現実をうまく「分け」ることと対応します。具体例を見てみます。
2.2.1 具体例
例えば
という文章はざっくりとしていますが、より理解が進んだ場合は、
- 『ハセガワさんの飼っているミックというチンチラがカメラの前でじゃれている』
といった具合に記号を付加することで現実を分けていきます。分けていくとは、例えば、
- 『ハセガワさんの飼っているミックというチンチラがカメラの前でうずくまっている』
という状況と分けるということです。そして、一方では実際に前者は真、後者は偽と調べることで現実が『分かること』にもなりますし、他方では『ハセガワさんの飼っているミックというチンチラ』が『カメラの前』に居た際に、『どうしている』可能性があるか、を分かったとも言えます。つまり『じゃれうる』, 『うずくまりうる』という可能性レベルにとどめて示すだけでも現実への理解が深まった(分かった)とも言えます。
先ほどの文であれば、
- 私はイベントのオフライン会場に『電車』でやってきた (先ほどの文)
- 私はイベントのオフライン会場に『バス』でやってきた (別の有り様を表現した文)
といった具合です。で、さらに、
- 私はイベントのオフライン会場に『電車』でやってきた、ので遅刻しなかった (先ほどの文)
- 私はイベントのオフライン会場に『バス』でやってきた、ので渋滞により遅刻した (別の有り様を表現した文)
などと、『電車』と『バス』の違いが反映された後続が付加されたりします。
2.2.2 語感
以上は具体例ですが、語感でも『分かる』、『分ける』、似ていますね。日本語でなくとも『scire(知る、分かっている)』, 『scindere(切る、分ける)』と表現されます。どちらもラテン語ですが英語のscienceにつながる展開が読めます*1。印欧語と非印欧語とで共通の傾向があるのは、『分かる』と『分ける』は人類に普遍的な類似性だという強い根拠になります。
2.3 文書全てに共通の特徴 - 記号化の分解能の存在
物事の理解(『分かる』)には『分けること』が大事と分かりました。分けるにしてもどのレベルまで分けるか、程度があります。先程の例であれば、
- 『コヤマさんの飼っているミックというチンチラがカメラの前でじゃれている』
後者を発言した場合、『そこまで詳しくはww』という反応をされることもあるはずです。以下、分けるレベルのことを分解能、粒度とでも呼んでおきます。分解能、粒度はいかにして決まるのでしょうか。
2.3.1 文脈に応じた分解能
例えば以下の文脈を考えます。新聞紙がビリビリに破られている。誰がやったんだ?という文脈です。それに対し、『ネコがいる』、『子供がいる』、『おそうじロボットがいる』といった複数の回答がありえます。一方で以下の文脈だとどうでしょう。誰かネコ飼っている人、いませんか?という文脈です。それに対し、『コヤマさんの飼っているネコがいる』、『ハセガワさんの飼っているネコがいる』、『ババさんの飼っているネコがいる』、といった複数の回答がありえます。この場合は『ネコがいる』では不十分です。『コヤマさんの飼っているミックというチンチラがカメラの前でじゃれている』だと十分ですがやや情報過多です。
このように、質問という文脈に応じて記号化の適切な分解能・粒度が存在します。分けているということは何らかの観点で分けられているわけで、質問が気にしている観点で分けるのが適切です。
2.4 文書全てに共通の特徴 - 暗黙の前提の存在
具体例をまず見ます。
2.4.0.1 具体例
先ほどの、『誰かネコ飼っている人、いませんか?』という文脈に対して、普段の会話であれば『ミックがいる』という回答も普通にありえます。『コヤマさんの飼っているネコがいる』は冗長に感じます。『ミックがいる』という回答で違和感がないのは、当事者間で『ミックはネコである』、『ミックはコヤマさんが飼っている』という暗黙の了解・前提があるからです。文章術の教科書でも、このように、簡潔さを心がけると読みやすくなると、文章術の教科書にも書かれています。
2.4.1 難文書に特有の特徴 - 簡潔性よりも正確性を優先
(ここからが本章の本命部分です。)
しかし難文書の場合は多少簡潔性が損なわれ冗長となっても、正確性を優先して『コヤマさんの飼っているネコがいる』と書くはずです。例えば、オザワさんがミックというイヌを飼っていたとしたらどうでしょうか?混乱を招くはずです。前章の難文書の例はいずれもこのような混乱を避ける傾向があります。教科書であれば読者に誤解を与えてはならない(本当は説明のために正確性を犠牲にして良い部分もあるかと思いますが)です。ヤマカワの歴史教科書と大手予備校の歴史の参考書を思い浮かべると良いかも知れません。他にも、法律、契約書に至っては法廷で誤解は紛争(訴訟等)の原因になるので、誤解なきよう細心の注意を払って正確に書かれるはずです。
2.4.1.1 正確性を優先した難文書の文章の特徴
このように難文書は、たとえ簡潔性よりも正確性を優先して記述される傾向がありそうです。この志向により、難文書を構成する文章には以下の特徴が見られます。
同じものは同じと明記、省略は基本的にしない
詳細は割愛しますが以下の特徴が見られます。
- ひらがなで書いたほうが文章が読みやすくなりそうでも漢字を使う。
- 指示代名詞で済ませられそうでも、省略せずもう一度書く
これらにより