1.3 純粋理性批判(カント)
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「悟性」 (Verstand) にはたらきかける。そして、それによっ
て人間理性 (menschliche Vernunft) は、「直観」(Anschauung)
と 「概念」 (Begriff) とを通じて、超越論的制約である空
間と時間という二つの純粋直観 (reine Anschauungen)、およ
び 12 の「範疇」 (Kategorie) すなわち純粋悟性概念 (reine
Verstandbegriffe) の下に、自らの経験の対象として物を与
える。
しかし、これは一方で、人間理性はわれわれの「認識能力」
(unser Erkenntnisvermoegen) を超えるものに認識能力を適用
することができない、ということを意味する。すべての人間
的認識は、超越論的制約の下に置かれている。したがって、
伝統的に考えられてきた直接知や知的直観の可能性は、否
定される。神やイデア(理念)といった超越は、人間理性に
とって認識可能であるとした。そして、このような伝統的な
形而上学とは対照的に、カントは、認識の対象を、感覚に与
えられうるものにのみ限定する。すなわち、人間理性はただ
感性に与えられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適用
するにとどまるのである。
感性と悟性とは異なる能力である。そして、これらを媒
介するものは、構想力 (Einbildungskraft) の産出する図式
(Schema) である。また、感性の多様 (Mannigfaltigkeit der
Sinnlichkeit) は統覚 (Apperzeption) 、すなわち「我思う」(Ich
denke: つまりデカルトのコギト)によって統一されている。
しかし、理性には、自分の認識を拡大し、物自体ないし存在を
把握しようとする形而上学への本性的素質 (Naturanlage zur
Metaphisik) がある。このため、認識理性は、ほんらい悟性
概念の適用されえない超感性的概念・理性概念をも知ろうと
欲し、それらにも範疇を適用しようとする。しかし、カント
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