第1章 難文書の例
まず難文書とは何を指しているのか、具体例を挙げます。ご自身でタップハイライトしてほしいですが、最初は白黒で読んでみてください。かなり『てごわい』文書たちを用意しました。
1.1 並行計算の説明*1*2
1.1.1 並行計算
1.1.1.1 概要
並行計算(へいこうけいさん、英: Concurrent computing)とは、複数の計算あるいはアルゴリズムを、同一期間に同時実行させつつ相互に同調(コンカレント)させて、次の期間開始までに互いに完遂させるという計算形態を意味している。非同期なメッセージパッシングではその完遂の抽象化も可能になる。対義語は順次計算(シーケンシャル)である。並行コンピューティングとも邦訳される。並行プログラミング(Concurrent programming)とも言われる。並行計算は、コンピュータプログラムやコンピュータネットワークの重要な特性であり、各プロセスの各スレッド制御などがその要点になる[1]。並行計算下の各スレッドは、一定の制約内で他のスレッドの完了を待つことなく同時にそれぞれ進行できる。非同期では他のスレッドの応答も一定の制約内で待たなくてよくなる。エドガー・ダイクストラやアントニー・ホーアが、並行計算のパイオニアとして名高い。
1.1.1.2 イントロダクション
並行計算は、「並列」計算(parallel computing)としばしば混同される。並列計算はマルチプロセッサ前提であり、独立した各「プロセッサ」が割り振られた計算を同時実行することを指す。故にシングルプロセッサでは不可になる[2]。分散システム内の各コンピュータが割り振られた計算を同時実行するのもそうである。並列計算はスループット・パフォーマンス向けとされる。並列計算の対義語はマルチプロセッサのシリアル計算(serial computing)であり[3]、各プロセッサの排他的な計算順序配置が重視される。
並行計算は一つのプロセッサに複数のタスクを存在させて、各タスクに計算を割り振ることを指す[4]。そこではタイムシェアリング技術などが使われる。マルチプロセッサならば、タスクを各プロセッサに分散できるのでより効率的になる[5]。各タスクは協調する相手タスクが別プロセッサの並列性なのか、同プロセッサの並行性なのかを気にしない[6]。いわゆるマルチタスクOSでは、カーネルとアプリケーションプログラムから複数のプロセスやスレッドが生成されて、それぞれがタスクの担い手になる。並行計算はレイテンシ・パフォーマンス向けとされる。並行計算の対義語はシーケンシャル計算(sequential computing)であり[3]、タスクが一つずつ実行される。
並列計算・「シリアル計算」・並行計算・「シーケンシャル計算」の適性は下のようになる。
- 「スレッド」Aの完了後に、スレッドBが実行される(シリアル・シーケンシャル)
- スレッドAと、スレッドBが交互に実行される(シリアル・並行)
- スレッドAと、スレッドBが同時に実行される(並列・並行)
並行計算システムの設計における主要な課題は、タスク間の相互作用や通信の順序付けとタスク間で共有するリソースへのアクセスである。そこではスレッド間通信やプロセス間通信を意識して開発を行う必要があり、通信に用いるプロトコルの開発も必要となる。
1.1.1.3 リソース共有アクセス調整
並行計算の最も身近な課題になるのは、複数のプロセス/スレッドで一つのリソース共有するためのアクセス調整をする並行性制御である[7]。ここでよく取り沙汰されるのは競合状態、デッドロック、リソース欠乏などである。下は共有リソースのコード例である。
図1.1: 普通のハイライト(キーボード利用、単色)
ここでbalance=500としてプロセスAとプロセスBを走らせる。Aがwithdraw(300)を、Bがwithdraw(350)をコールする。Aが2行目をtrueで終えて3行目に入る前に、Bが2行目に入るとbalance > withdrawalはここでもtrueになってしまい、AとBの双方が減算してbalance=-150となり、口座残高以上の金額が引き落とされてしまうことになる。こうしたリソース共有問題の並行性制御では、クリティカルセクションのロック(セマフォ・ミューテックス・モニタなど)同期がよく使われる。
並行システムは共有リソース(通信媒体を含む)に依存しているため、並行計算は一般にリソースへのアクセスに関する何らかの調停回路を実装する必要がある。これにより無制限の非決定性問題が生じる可能性が出てくるが、調停回路を注意深く設計すればその可能性を限りなくゼロに近づけることができる。だが、リソース上の衝突問題への解決策は数々あるが、それら解決策は複数のリソースが関わってきたときに、新たな並行性問題(同期のデッドロックなど)を生じる。非ブロックアルゴリズムはそれらに対応できる並行性制御とされる。
1.1.2 化学結合*3*4
1.1.2.1 概要
化学結合(かがくけつごう、(英: chemical bond)は、化学物質を構成する複数の原子を結びつけている結合である。化学結合は分子内にある原子同士をつなぎ合わせる「分子内結合」と分子と別の分子とをつなぎ合わせる「分子間結合」とに大別でき、分子間結合を作る力を分子間力という。なお、金属結晶は通常の意味での「分子」とは言い難いが、金属結晶を構成する結合(金属結合)を説明するバンド理論では、分子内結合における原子の数を無限大に飛ばした極限を取ることで、金属結合の概念を定式化している。
分子内結合、分子間結合、「金属結合」のいずれにおいても、化学結合を作る力は原子の中で正の電荷を持つ原子核が、別の原子の中で負の電荷を持つ電子を電磁気力によって引きつける事によって実現されている。物理学では4種類の力が知られているが、電磁気力以外の3つの力は電磁気力よりも遥かに小さい為、化学結合を作る主要因にはなっていない。したがって化学結合の後述する細かな分類、例えば共有結合やイオン結合はどのような状態の原子にどのような形で電磁気力が働くかによる分類である。
化学結合の定式化には、複数の原子がある場合において電子の軌道を決定する必要があり、そのためには量子力学が必須となる。しかし多くの簡単な化合物や多くのイオンにおいて、化学結合に関する定性的な説明や簡単な定量的見積もりを行う分には、量子力学で得られた知見に価電子や酸化数といった分子の構造と構成を使って古典力学的考察を加える事でも可能である。
それに対し複雑な化合物、例えば金属複合体では価電子理論は破綻し、その振る舞いの多くは量子力学を基本とした理解が必要となる。これに関してはライナス・ポーリングの著書、The Nature of the Chemical Bondで詳しく述べられている。
1.1.2.2 分子内結合
古典力学的な説明
分子間力が働く機構を定性的に説明すると下記のとおりになる。分子内にある「原子」は、原子Aの「原子核」と原子Bの「電子」との間に働く電磁気的な力F1により引きつけられ、これがAとBの間の分子内結合を構成する引力となる。それに対し、原子Aの原子核と原子Bの原子核の間には電磁気的な斥力F2働いて結合を邪魔しようとし、同様に原子Aの電子と原子Bの電子の間にも斥力F3が働く。
しかし原子同士の距離が適切な近さ(結合距離)[1]程度にあれば、引力は斥力よりも大きくなる。この原因を古典力学にいえば、原子は中心に原子核があり、そこから遠く離れたところに電子が飛んでいるという構成をしているので、原子核・原子核間の距離よりも原子核・電子間の距離のほうが小さくなり、斥力F2は引力F1よりも小さくなる。また電子は原子核に比べて軽いので、電子・電子間は斥力によって簡単に遠く離れるため、電子・電子間の斥力F3も小さくなる。
結局引力がF1斥力F2 + F3に勝ち、分子内の原子同士が引きつけられる事になる。
なお、既に述べたように分子内結合が起こるためには原子間の適切な範囲にあり、距離が近すぎる場合には、斥力によって距離が離れていき、結局結合距離の近辺で落ち着く事になる。この事実は量子力学の知識を使って中心力場の系を解く事で示せる。
原子の電子配置による説明
分子内結合をさらに詳細を記述する為、「電子軌道」の量子数の概念を説明し、量子数を使って分子内結合を記述する。原子内の電子の軌道は、実際には量子力学に従っているため、軌道は「量子化されている」(=飛び飛びの値を取る)。電子の軌道は4種類の量子数という自然数値によって特徴づけられる。4つの量子数は、電子がK殻、L殻、M殻…のいずれに入るかを決める主量子数、殻の中のs軌道、p軌道、d軌道…のいずれに入るかを決める方位量子数、軌道角運動量、スピン角運動量がそれぞれ上向きか下向きかを決める磁気量子数、スピン量子数からなる[2]。
分子内結合を記述する上で重要になるのは、同一原子中にある相異なる2つの電子の量子数が4つとも同一になる事はないという事実である(パウリの排他律)[3]。よって原子中の異なる電子は異なる軌道にある事になり、例外はあるものの、基本的にはエネルギー状態が小さい軌道から順に電子が埋まっていく[4]。
電子が1つ以上ある殻で、最も外側にあるものを原子価殻[5]、もしくは「最外殻」といい、原子価殻にある電子を原子価殻電子[5]もしくは最外殻電子という。
化学結合に関わるのは、基本的にエネルギー状態が高い不安定な軌道にある電子であり、それは主に最外殻電子である。パウリの排他原理により最外殻には有限個の原子しか入れない。最外殻に最大数の電子が入っている場合、最外殻は閉殻であるという。閉殻は安定した状態にあり、逆に言えば最外殻に余った電子がある場合は、その電子は電磁気力により他の原子の原子核に引き寄せられる。また最外殻に電子が足りていないなら、他の原子の最外殻に余っている電子を電磁気力で引きつけて足りない部分を補おうとする。
電気陰性度による分類
こうして電磁気的に引きつけられた原子同士の分子内結合を記述する為のパラメータとして、電気陰性度という尺度がある。これは原子がどの程度原子外にある電子を引きつけるかを示す尺度である。結合した2つの原子の電気陰性度に極端な差異がある場合は、電気陰性度が大きい原子の方に最外殻電子が完全に移動してしまう。この状態における分子内結合をイオン結合という[6]。
それとは逆に両者の電気陰性度が完全に釣り合っているときは、最外殻電子を2つの原子で「共有」する状態になる。この状態を非極性共有結合という[6]。電気陰性度が両者の中間にある場合は、最外殻電子を一方の原子にやや引きつけた「極性」のある共有状態になる。この状態を極性共有結合という[6]。非極性または極性の共有結合の事を共有結合という。
1.2.1 定義(開集合系による位相空間の定義)
「X」を「集合」とし、「O」をXのべき集合P(X)の部分集合とする。
Oが以下の性質を満たすとき、組 (X, O) を X を台集合とし O を開集合系とする位相空間と呼び、Oの元を X の開集合と呼ぶ。
- ∅, X ∈ O
- (∀O1 ∈ O) (∀O2 ∈ O)) (O1 ∩ O2 ∈ O)
- (∀F0 ⊆ O) (U(F ∈ F0) F ∈ O)
1.3 純粋理性批判(カント)*7*8
1.3.1 概要
『純粋理性批判』(じゅんすいりせいひはん、独: Kritik der reinen Vernunft) は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントの主著である。1781年に第一版が、1787年には大幅に手を加えられた第二版が出版された(一般に前者をA版、後者をB版と称する)。カントの三大批判の一つで、1788年刊の『実践理性批判』(第二批判)、1790年刊の『判断力批判』(第三批判)に対して、第一批判とも呼ばれる。人間理性の抱える諸問題についての古典的名著であり、ライプニッツなどの存在論的形而上学と、ヒュームの認識論的懐疑論の両方を継承し、かつ批判的に乗り越えた、西洋哲学史上最も重要な書物のひとつである。
1.3.2 概論
『純粋理性批判』は、「理性認識」の能力とその適用の妥当性を、理性の法廷において、理性自身が審理し批判する構造を持っている。したがって、それは、哲学(形而上学)に先立ち、理性の妥当な使用の範囲を定める哲学の予備学であるとカントは言う。
カントは、理性 (Vernunft) がそれ独自の「原理」 (Prinzip) に従って事物 (Sache, Ding) を認識すると考える。しかし、この原理は、「経験」に先立って理性に与えられる内在的なものである。そのため、理性自身は、その起源を示すことができないだけでなく、この原則を逸脱して、自らの能力を行使することもできない。換言すれば、経験は経験以上のことを知りえず、原理は原理に含まれること以上を知りえない。カントは、理性が関連する原則の起源を、経験に先立つアプリオリな認識として、経験に基づかずに成立し、かつ経験のアプリオリな制約である、超越論的 (transzendental) な認識形式に求め、それによって認識理性 (theoretische Vernunft) の原理を明らかにすることに努める。
初学者向けの解説: すなわち「認識する」とされる理性そのものは、理性からは認識できる範囲外にあることを原点とした。『コペルニクス的転回』を見せたのである[1]。
1.3.2.1 人間的認識能力とその制約
伝統的な懐疑論は、認識の内容が人間の精神に由来することから、外界との対応を疑い、それを以て認識そのものの成立の妥当性を否定した。しかし、カントは、こうした認識の非実在性と非妥当性への疑問に対して、次のように答える。すなわち、経験の可能性の条件である超越論的制約は、すべての人間理性に共通なものである。したがって、その制約の下にある認識は、すべての人間にとって妥当なものである。
ここでカントは、認識の制約以前にある「物自体」 (Ding an sich) と経験の対象である「物」 (Ding) とを区別する。「物自体」は、理性を触発し (affizieren)、「感性」 (Sinnlichkeit) と「悟性」 (Verstand) にはたらきかける。そして、それによって人間理性 (menschliche Vernunft) は、「直観」 (Anschauung) と 「概念」 (Begriff) とを通じて、超越論的制約である空間と時間という二つの純粋直観 (reine Anschauungen)、および12の「範疇」 (Kategorie) すなわち純粋悟性概念 (reine Verstandbegriffe) の下に、自らの経験の対象として物を与える。
しかし、これは一方で、人間理性はわれわれの「認識能力」 (unser Erkenntnisvermoegen) を超えるものに認識能力を適用することができない、ということを意味する。すべての人間的認識は、超越論的制約の下に置かれている。したがって、伝統的に考えられてきた直接知や知的直観の可能性は、否定される。神やイデア(理念)といった超越は、人間理性にとって認識可能であるとした。そして、このような伝統的な形而上学とは対照的に、カントは、認識の対象を、感覚に与えられうるものにのみ限定する。すなわち、人間理性はただ感性に与えられるものを直観し、これに純粋悟性概念を適用するにとどまるのである。
感性と悟性とは異なる能力である。そして、これらを媒介するものは、構想力 (Einbildungskraft) の産出する図式 (Schema) である。また、感性の多様 (Mannigfaltigkeit der Sinnlichkeit) は統覚 (Apperzeption) 、すなわち「我思う」(Ich denke: つまりデカルトのコギト)によって統一されている。しかし、理性には、自分の認識を拡大し、物自体ないし存在を把握しようとする形而上学への本性的素質 (Naturanlage zur Metaphisik) がある。このため、認識理性は、ほんらい悟性概念の適用されえない超感性的概念・理性概念をも知ろうと欲し、それらにも範疇を適用しようとする。しかし、カントは、認識の拡大へのこの欲求を理性の僭越として批判し、認識 (erkennen) されえないものはただ思惟する (denken) ことのみが可能であるとする。そのような理性概念として、神、魂の不滅、自由が挙げられる。
1.4 令和4年司法試験問題(論文式試験・民事系科目)*9
1.4.1 〔第1問〕
次の各文章を読んで、後記の 、 及び に答えなさい。 〔設問1⑴・⑵〕 〔設問2〕 〔設問3〕なお、解答に当たっては、文中において特定されている日時にかかわらず、試験時に施行されている法令に基づいて答えなさい。
1.4.2 【事実Ⅰ】
1.個人で事業を営んでいる「A」は、その所有する「甲土地」を売却することとした。
2.令和2年3月20日、不動産取引の経験がなかったAは、かつて不動産業に携わっていた友人の「B」に甲土地の売却について相談をした。甲土地の登記記録には、弁済によって被担保債権が既に消滅した抵当権の設定登記が残っていたことから、Bは、甲土地の売却先を探してみるが、その前に抵当権の登記を抹消してあげようと申し出、Aはこれを了承した。
1.4.3 【事実Ⅱ】
前記【事実Ⅰ】の1と2に続いて、以下の事実があった。
3.Bは、自身が負う金銭債務の弁済期が迫っていたため、甲土地を自己の物として売却し、その代金を債務の弁済に充てようと考えた。
4.令和2年4月2日、Bは、Aに対し、抵当権の抹消登記手続に必要であると偽って所有権移転登記手続に必要な書類等の交付を求め、Aは、Bの言葉を信じてこれに応じた。Bは、Aが甲土地をBに3500万円で売却する旨の契約(以下「契約①」という。)が成立したことを示す売買契約書を偽造し、同契約書とAから受け取った書類等を用いて、同月5日、甲土地につき、抵当権の抹消登記手続及びAからBへの所有権移転登記手続をした。
5.令和2年4月20日、Bは、甲土地を4000万円で「C」に売却する旨の契約(以下「契約②」という。)をCとの間で締結した。Cは、契約②の締結に当たり、甲土地の登記記録を確認し、Bが甲土地を短期間のうちに手放すことになった経緯につきBに尋ねたところ、Bは、「知らない人と契約を交わすのを不安に感じたAの意向で、いったん友人である自分が所有権を取得することになった」旨の説明をした。
6.令和2年4月25日、CからBへの代金全額の支払と、甲土地につきBからCへの所有権移転登記がされた。
1.4.4 〔設問1〕
【事実Ⅰ】及び【事実Ⅱ】(1から6まで)を前提として、令和2年5月1日、CがAに対して甲土地の引渡しを請求した。Aはこれを拒むことができるか、論じなさい。
1.5 難文書まとめ
以上、5つの難文書を挙げました。本書を最後まで読んだら再挑戦してみてください。仮に詳細がわからなくても楽になったと感じられるはずです。